探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて書いていきます。

淀藩 稲葉家の分家2~旗本 稲葉家1~

こんにちは、勘矢です。
今回は淀藩 稲葉家の一族、旗本 稲葉家について調べたことをまとめました。
 
 

1. 淀藩 稲葉家の一族

 淀藩稲葉家にはいくつかの分家旗本がありました。
 稲葉正則の四男 正辰 は宗家から三千石を分知されて分家しました。正辰は書院番頭、その子正邑は大番頭をつとめました(稲葉金之丞家)。
 ほかに旗本家として、稲葉正則の八男 通周からはじまる千石の稲葉左衛門家、稲葉正次の二男 正定からはじまる二千石の稲葉茂桶家がありました。
 

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旗本稲葉氏(淀藩系)略系図1
 
 

2. 旗本 稲葉家

(1)旗本:稲葉金之丞家

初代 稲葉 正辰(まさたつ)【1650~1728】
 稲葉正則の四男、母は毛利秀元の娘。
 1681年(32)に中奥の御小姓となり、1683年(34)に父の遺領のうち駿河国内の新墾田三千石を分け与えられました。1702年(53)に御小姓組番頭に進み、1710年(61)に御書院番番頭に移りました。1718年(69) 辞職し、 寄合に列しました。享年79。
 妻は山城淀藩世子 永井尚房の娘。
 
稲葉 正長(まさなが)【?~?】
 豊前小倉藩主 小笠原忠雄の二男。小笠原氏の系図では名は清彪。
 1700年に五代将軍 徳川綱吉に拝謁しました。のちに病により実家に戻りました。
 妻は稲葉正辰の娘(離婚)。
 
二代 稲葉 正邑(まさくに)【1713~1783】
 稲葉正辰の二男。
 1728年に16歳で家督相続しました。1741年(29)に中奥の御小姓となり、1753年(41)に御小姓組番頭にすすみました。1756年(44)に井上正経が大坂城代となるので、仰せ受けて現地に赴き、台命を伝えました。同年、御書院番番頭に移り、1768年(56) に大番頭に転じました。1777年(65) に駿河の知行を武蔵国内に移されました。 1781年(69) に西ノ丸の御側となりました。 享年71。
 妻は旗本 武田信胤の娘(離婚)、後妻は旗本 秋月種輔の娘。
 
三代 稲葉 正峯(まさみね)【1743~?】
 稲葉正邑の二男、母は秋月種輔の娘。
 1783年に41歳で家督相続しました。1788年に46歳で隠居しました。
 妻は山城淀藩主 稲葉正益の娘。
 
四代 稲葉 正芳(まさよし)【1772~?】
 稲葉正峯の長男、母は稲葉正益の娘。
 1788年に17歳で家督相続しました。1807年(36)に寄合より中奥の御小姓となり、1819年(48)に辞職しました。
 妻は旗本 五島盛恭の娘。
 
五代 稲葉 正師【?~1861】
 稲葉正芳の子。金之丞。
 1820年家督相続しました。1843年に寄合より火事場見廻となりました。1849年に先手弓頭となりました。
 
六代 稲葉 正厚【?~?】
 稲葉正師の子。主水、隼人、紀伊守。
 1860年に中奥番となり、1861年家督相続し、のち中奥小姓をつとめました。1865年に御役御免となり勤士並寄合となりました。1868年に寄合肝煎となりました。
 
屋敷は築地本願寺の向かいの京橋築地小学校のあたり。
 

(2)旗本:稲葉左衛門家

(寛政年間までの当主)
初代 稲葉 通周(みちちか)【1668~1738】
 稲葉正則の八男。
 1697年(30)に兄より越後国内で新墾田千石を分知され、寄合に列しました。1702年(35) に御徒頭となり1709年(42) に御小姓組の組頭にうつりました。1723年(56)に辞職しました。享年71。
 妻は旗本 朝岡明時の娘。
 
稲葉  通明(みちあきら)【1703~1724】
 稲葉通周の長男。1720年(18)に八代将軍 徳川吉宗に初お目見えしました。1724年(22)に父に先立ち没しました。享年22。
 
二代 稲葉 通度(みちのり)【1722~1759】
 稲葉通周の二男、母は朝岡明時の娘。
 1738年に17歳で家督相続し、寄合に列しました。1741年(20)に中奥の番士となり、1757年(36)に御徒頭にすすみました。享年38。
 妻は旗本 酒井友完の娘。
 
三代 稲葉 通欽(みちよし)【1743~1785】
 稲葉通度の長男、母は酒井友完の娘。
 1759年に17歳で家督相続し、小普請となりました。1767年(25)に西ノ丸の御書院番に列し、1775年(33)より進物役をつとめ、1777年(35)に辞職しました。1778年に36歳で隠居しました。享年43。
 妻は旗本 松平(大河内)信成の娘。
 
四代 稲葉 通義(みちよし)【1765~?】
 稲葉通欽の長男、母は松平信成以の娘。
 1778年に14歳で家督相続しました。
 妻は旗本 山田利寿の娘。
 
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
 
参考文献:
 寛政重修諸家譜(國民圖書 /  国立国会図書館デジタルコレクション)
 徳川幕臣人名辞典(東京堂出版
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本名字家系事典(東京堂出版
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 続徳川実紀 第2篇、第3篇、第4篇、第5篇(国立国会図書館デジタルコレクション)
 寛政譜以降 旗本百科事典 第1巻(東洋書林
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。