探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて書いていきます。

旗本 堀越氏

こんにちは、勘矢です。
今回は今川一族の旗本堀越氏について調べたことをまとめました。
 
 

1. 堀越氏とは

 今川了俊の玄孫 今川貞延の二男貞基が、遠江国山名郡堀越(静岡県袋井市)に住んで、堀越と称しました。貞基の兄の系統は瀬名氏。
 定吉・定次親子は徳川家の家臣 菅沼定利に属しました。1602年に定利が没すると、定次は命によって武蔵忍城の城番をつとめ、その子貞勝も忍城の城番をつとめました。
  貞年は五代将軍徳川綱吉の養女竹姫の用達となり、廩米百五十俵を賜りました。
 定次の二男定正からはじまる分家があります。
 

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堀越氏の略系図
 
 瀬名氏については、こちらもご覧ください。

2. 旗本堀越氏

(1)旗本:堀越市之進家

(寛政年間までの当主)
初代 堀越 定次(さだつぐ)【?~1645】
 堀越定吉の長男。1602年から武蔵忍城の城番をつとめ、1625年に隠居しました。
 
二代 堀越 貞勝(さだかつ)【?~1680】
 堀越定次の長男。1626年より忍城の城番をつとめ、1640年に江戸に召されて御宝蔵番をつとめました。
 
三代 堀越 貞年(さだとし)【1662~1735】
 堀越貞勝の長男。
 1680年に19歳で相続しました。御宝蔵番をつとめ、のち奥火番うを経て御広敷番に転じました。1715年(54)に竹姫の用達に移り、廩米百五十俵を賜りました。1720年(59)に務めをゆるされ、小普請となりました。1730年に69歳で隠居しました。享年74。
 妻は御家人 前田安知の娘。
 
四代 堀越 貞広(さだひろ)【1707~1747】
 堀越貞年の長男、母は前田安知の娘。
 1730年に24歳で相続しました。1740年(34)に西ノ丸の小十人に列しました。享年41。
 妻は河合専右衛門の娘。
 
五代 堀越 貞繁(さだしげ)【1735~?】
 堀越貞広の長男、母は河合専右衛門の娘。
 1747年に13歳で相続しました。
 妻は旗本 八木茂弘の娘。
 
堀越 貞治(さだはる)
 堀越貞繁の長男。妻は旗本 長井実邑の娘(離婚)。
 

(2)旗本:堀越政吉家

(寛政年間までの当主)
初代 堀越 定正(さだまさ)【1620~1692】
 堀越定次の二男。
 1634年(15)より忍城の城番をつとめました。1640年(21)に江戸に召されて御宝蔵番をつとめました。享年73。
 妻は石川久吉の娘。
 
二代 堀越 貞光(さだみつ)【?~?】
 宿谷氏の子。1692年に相続しました。妻は堀越定正の娘。
 
三代 堀越 政峯(まさみね)【1705~1764】
 鵜殿氏の子、母は宿谷氏の娘。
 1728年に24歳で相続し、のち二ノ丸の添番となりました。1731年(27)に田安家の小十人となり、のち組頭に進みました。享年60。
 妻は堀越貞光の娘。
 
四代 堀越 政武(まさたけ)【1727~?】
 堀越政峯の長男、母は堀越貞光の娘。
 1764年に38歳で相続し、小普請となりました。1792年に66歳で隠居しました。
 妻は片岡忠福の娘。
 
五代 堀越 政方(まさのり)【1771~?】
 堀越政武の長男、母は片岡忠福の娘。
 1792年に22歳で相続しました。
 
※旗本各家の家名は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
 
参考文献:
 寛政重修諸家譜国立国会図書館デジタルコレクション
 日本名字家系事典(東京堂出版
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。