こんにちは、勘矢です。
1. 下野吹上藩主有馬家とは
義景の子氏倫は徳川吉宗に仕え、吉宗が将軍になると幕臣に加えられ、伊勢国内などに千三百石と役料として廩米千俵を与えられました。また、御側御用取次となり、「人の憎がるもの、食いつき犬と有馬氏倫」と風刺をされるほど権勢をふるいました。その後七千七百石の加増があり、合わせて一万石となり伊勢西条藩を立藩しました。
その後、五代氏恕のときに上総五井に移り、九代氏郁のときに下野吹上に移り廃藩置県を迎えました。
2. 吹上藩系 有馬家一族
初代 有馬 頼次(よりつぐ)【1611~1649】
二代 有馬 吉政(よしまさ)【?~?】
三代 有馬 義景(よしかげ)【?~?】
紀州藩士 正木為長の二男。妻は旗本 建部光延の娘。
四代/大名 初代 有馬 氏倫(うじのり)【1668~1735】
紀州藩士 有馬義景の子、母は建部光延の娘。1716年(49歳)に幕臣となり、御側御用取次役となりました。1727年(60歳)に加増され諸侯に列し、伊勢西条藩を立藩しました。享年68。正室は播磨林田藩主 建部政宇の娘。
二代 有馬 氏久(うじひさ)【1699~1771】
紀州藩士 渡辺泰綱の子。氏倫の養嗣子となり、1717年(19歳)に徳川吉宗に拝謁し、1723年(25歳)に小納戸となりました。1736年に38歳で伊勢西条藩を相続しました。1740年(42歳)~1758年(60歳)まで大番頭をつとめました。1759年に61歳で隠居しました。享年73。正室は信濃飯田藩主 堀親賢の娘。
有馬 光隆(みつたか)【?~?】
三代 有馬 氏恒(うじつね)【1739~1760】
四代 有馬 氏房(うじふさ)【1757~1773】
有馬氏久の三男。義兄氏恒の養嗣子となり、1760年にわずか4歳で伊勢西条藩を相続しました。享年17。
五代 有馬 氏恕(うじよし)【1761~1783】
信濃飯田藩主 堀親長の二男、母は石川氏。1773年に13歳で氏房の末期養子となり、伊勢西条藩を相続しました。1781年(21歳)のとき上総五井藩に移り、定府大名から参勤交代する大名となりました。享年23。
六代 有馬 氏保(うじやす)【1762~1790】
七代 有馬 久保(ひさやす)【1779~1814】
八代 有馬 氏貞(うじさだ)【1812~1833】
九代 有馬 氏郁(うじしげ)【1831~1862】
十代 有馬 氏弘(うじひろ)【1850~?】
一族の旗本 有馬則篤の子。1862年に13歳で下野吹上藩を相続しました。1869年(20歳)に吹上藩知事となり、1871年(22歳)に廃藩置県を迎えました。1876年(27歳)に隠居して離籍し、先代の夫人瑶光院に家督を譲りました。正室は交代寄合 本堂親久の娘釟子、離縁。継室は美濃岩村藩主 松平乗喬の娘 敏、1873年離縁。
3. 吹上藩有馬家の婚姻関係
※赤線が吹上藩有馬家。黄線が久留米藩有馬家を示します。
(1)有馬家と建部家
紀州藩士の正木家から吉政の養子となった義景は、吉政の姪(建部光延の娘)を妻に迎えました。
有馬氏倫は、吉政の弟建部政長の孫政宇の娘を正室に迎えました。
有馬氏久の婿養子に迎えられた光隆は、氏倫正室の甥にあたります。
このように江戸初期から中期にかけて、有馬家と建部家は何重にも縁を重ねていました。
(2)有馬家と徳川家
有馬吉政から義景、氏倫と紀州藩士でありました。氏倫の養子になった氏久は紀州藩士 渡辺恭綱の子です。恭綱は徳川吉宗と従兄弟にあたります。恭綱の父は伊予西条藩主 松平頼純で嫡出ではなかったため紀州藩士の渡辺家に養子に出されたようです。他に弟がいなければ藩主になれたかもしれませんが、頼純は子だくさんだったため、西条藩は恭綱の弟頼致が継ぎ、さらに頼致は吉宗の将軍家相続に伴い紀州藩主に転任しました。そして西条藩はさらに弟の頼渡が相続しました。
渡辺家は兄が相続していたので氏久は厄介の身でした。氏久のそのような境遇を吉宗は自身の幼少期と重ねて憐れんで、たまたま跡継ぎのいなかった氏倫の養子にしたのではないでしょうか。氏倫の働きを評価していたことと、徳川家と有馬家には徳川家康の養女蓮姫が有馬豊氏に嫁いだ関係があることが理由ではないかと考えます。。
(3)有馬家と堀家
二代藩主氏久は信濃飯田藩主の堀親賢の娘を正室に迎えました。三代藩主には氏久正室の甥氏恒を迎えました。五代藩主には三代氏恒の甥氏恕を迎えました。そして、他家からの養子続きのためか、氏恕の正室は有馬本家の久留米藩から迎えることになりましたが、婚約のみでした。
江戸中期ごろの有馬家は飯田藩の堀家との関係が深い時期でしたが、いずれも短命の藩主でした。
(4)江戸後期の婚姻関係
七代久保は先代氏保とは従兄弟で婿養子となりました。久保の実家加納家は藩祖氏倫と吉宗に仕えた間柄の家です。
最後の藩主は有馬豊氏の弟豊長の子孫となります。氏郁の子が幼少のため吹上藩を相続しました。
参考文献:
江戸時代全大名家事典(東京堂出版)
江戸大名家血族事典(新人物往来社)
名門・名家大辞典(東京堂出版)
日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。