こんにちは、勘矢です。
今日は 御三卿の家老について調べたことをまとめました。
御三卿の家老などの重職は、幕臣が各家に出向されてつとめました。数年ごとに異動があり、幕府職制の一部署という位置づけで、基本的に2名置かれました。
大日本近世史料2の柳営補任によれば、再任されたのも合わせて、田安殿家老は62名、一橋殿家老は63名、清水殿家老は23名、清水勤番支配は6名、元清水附支配は4名です。就任時の年齢は50歳代以上が多く、勘定奉行や大目付、町奉行などを経てから就任しているケースが多いようです。
田安家では、治察が亡きあと当主不在となるが、宗武夫人宝蓮院(森姫)が存命のため家老はそのまま続きました。この当主不在の時期に任命された家老は勘定奉行と兼任でした。
一橋家では、慶喜が隠居謹慎になった間も家老は続きました。また、慶喜が京都に滞在するようになると、家老も京都に従いました。江戸には、先々代夫人の徳信院が一橋邸にあり、こちらにも家老が置かれていました。
清水家は当主不在が多いため、扱いが異なるようです。初代重好が亡きあと、夫人貞章院(田鶴宮貞子)は存命でしたが、家老は清水勤番支配となり、人数も1名となりました。3代斉順が清水邸に入ると清水勤番支配は再び家老となり、人数も2名になりました。5代斉彊が紀州藩主に転向すると、再び当主不在となりましたが、4代斉明夫人恭真院(教宮英子)が存命のため人数を1名にして続きました。しかし、恭真院が亡くなると家老は元清水附支配となりました。1865年、元清水附支配は廃止になり、清水小普請支配となりました。
2.家老の一覧
大日本近世史料2の柳営補任を基に徳川幕臣人名事典、寛政重修所家譜、寛政譜以降旗本百科事典を基にまとめました。
(1) 田安殿家老
森川 俊勝 【1663~1732】
森川重般の子。1729年(67)新番頭より。1732年に在職中に亡くなった。享年70。
伏屋 為貞 【1666~1753】
伏屋為重の子。1729年(64)西丸先手より。1739年(74)辞。享年88。
諏訪 頼篤 【1661~1753】
諏訪頼常の子。1731年(71)
町奉行より。1738年(78)辞。享年93。
興津 忠閭 【1661~1738】
興津能玄の子。1732年(72)
大目付より。1736(76)辞。享年78。
山岡 景久 【1679~1737】
山岡景成の子。1736年(58)小普請奉行より。1737年に在職中に亡くなった。享年59。
加藤 納泰 【1681~1748】
加藤泰和の子。1737年(57)日光奉行より。1746(66)辞。享年68。
建部 広充 【1681~1753】
建部広政の子。建部秀定養子。一橋家老広次は兄。1738年(73)
甲府勤番支配より。
1751年(71)御
留守居へ。享年73。
本多 正庸 【1693~1765】
水谷勝阜の子。本多正芳養子。1746年(54)御作事奉行より。1747年(55)辞。享年73。
土屋 正慶 【1684~1753】
土屋正敬の子。1747年(64)
大目付より。1753年(70)辞。享年70。
石黒 易慎 【1692~1758】
岸吉重の子(
阿部豊後守家臣)。石黒易久養子。1753年(67)
奈良奉行より。1757年(66)辞。享年67。
奥田 忠英 【1706~1769】
奥田忠郷の子。1755年(50)
甲府勤番支配より。1762年(57)辞。享年64。
山木 正信 【1696~1785】
山木正親の子。1757年(62)小普請奉行より。1782年(87)御旗奉行へ。享年90。
大屋 昌富 【1713~1793】
大屋昌任の子。1762年(50)御小納戸頭取より。1775年(63)
大目付へ。享年81。
川井 久敬 【1725~1775】
川井久守の子。1775年(51)御
勘定奉行より、兼帯。同年に在職中に亡くなった。享年51。
石谷清全の子。1775年(61)御
勘定奉行より、兼帯。1779年(65)御
留守居へ。享年68。
安藤 惟要 【1715~1792】
田中正周の子、安藤惟泰養子。1779年(65)御
勘定奉行より、兼帯。1782年(68)
大目付へ。享年78。
松本 秀持 【1730~1797】
松本忠重の子。1782年(53)御
勘定奉行より、兼帯。1786年(57)御役御免、小普請入、逼塞。享年68。
戸川 逵和 【1720~1797】
八木補頼の子、戸川正方養子。1782年(63)小普請組支配より。
1787年(68)
大目付へ。享年78。
蜷川 親文 【1740~1827】
蜷川親豊の子。
1787年(48)新番頭より。1794年(55)西丸御小性番頭格奥勤へ。享年88。
青山 成存 【1714~1795】
松平 近言 【1749~1816】
松平近朝の子。1792年(44)御先手より。1799年(51)西丸御小性組番頭格、奥勤。享年68。
佐野 政親 【1732~1824】
佐野政隆の子。1794年(63)御先手より。1809年(78)御
留守居。享年93。
根来 長郷 【1745~1800】
根来長時の子。1799年(55)御小納戸頭取より。
1800年に在職中に亡くなった。享年56。
山本 茂孫 【1751~1819】
山本茂珍の子。
1800年(50)
佐渡奉行より。1814年(64)西丸御小性組番頭へ。享年69。
田沼意誠の子、
石谷清定養子、
田沼意次の甥。1809年(62)御目付より。1817年(47)
大目付へ。享年62。
柳沢 聴信 【1754~1832】
柳沢信門の子。1814年(61)御普請奉行より。1825年(72)御
留守居へ。享年79。
村上 義雄 【1773~1838】
村上義礼の子。1817年(45)御目付より。1825年(53)
大目付へ。享年66。
牧 義珍 【1767~?】
柴田 勝明 【?~?】
大河内 政良 【?~1832】
高井 実徳 【1761~1834】
山中 盛行 【?~1848】
朝倉 俊光 【?~1847】
朝倉勘四郎の子。1837年 小納戸頭取より、
尾張家の手元用向を兼ねる。1841年 御旗奉行へ。
渡辺 輝綱 【?~?】
久世 広正 【?~?】
山中 盛行 【?~1848】
1841年 西丸御
留守居より、家老並、再任。1844年 御鎗奉行へ。
土屋 登里 【?~?】
1844年 慶頼用人より、新番頭格家老並。1845年 辞。
渡辺 輝綱 【?~?】
堀田 正路 【1789~?】
室賀 正仲 【?~1848】
1847年 小普請組支配より。1848年に在職中に亡くなった。
松平 近韶 【?~?】
松平徳之輔の子。1848年 御目付より。1852年 西丸御
留守居へ。さらにのち一橋殿家老をつとめた。
一色 直休 【?~1855】
田村 顕影 【?~?】
朝比奈 昌寿 【1804~?】
朝比奈昌武の子。
1855年(52)御小納戸頭取より。1858年(55)西丸御
留守居へ。
松平 近直 【?~?】
水野 忠徳 【1810~1868】
河野 通訓 【?~?】
河野通開の子。1858年 御作事奉行より。
1862年 御役御免、勤仕並寄合。
田村 顕影 【?~?】
荒尾 成允 【?~1861】
平賀 勝定 【?~1871】
坂井 政輝 【?~?】
松平 正之 【?~?】
朝倉 俊徳 【?~?】
朝倉俊光の子。
1864年 小納戸頭取より。同年 御小性組番頭格御用取次見習へ。
松平 康正 【?~?】
鳥居 忠善 【?~?】
1864年 勤仕並寄合より、元堺奉行。1866年 勤仕並寄合へ。
土井 利用 【?~?】
平賀 勝定【?~1871】
1866年 御
留守居より、再任。1867年 御役御免、勤仕並寄合。
朝倉 俊徳 【?~?】
1866年 御側御用取次より、再任。1867年 御役御免、勤仕並寄合へ。
水野 忠全 【?~?】
水野忠篤の孫。1867年 御作事奉行より。同年 御役御免、勤仕並寄合へ。
竹内 幸彝 【?~?】
1867年 大坂
町奉行より。1868年 御作事奉行へ。
溝口 勝如 【?~?】
溝口助勝の弟。1867年 御
勘定奉行より。1870年家令となった。
水野 忠全 【?~?】
1868年 勤仕並寄合より、再任。
(2) 一橋殿家老
建部 広次 【1671~1739】
建部広政の子。1735年(65)御先手より。1739年に在職中に亡くなった。享年69。
山本 茂明 【1681~1741】
山本茂則の子。1735年(55)御小納戸頭取より。1741年に在職中に亡くなった。享年61。
佐野 察行 【1683~1753】
佐野定行の子。1739年(57)小普請組支配より。1747年(65)御役御免。享年71。
平井 正基 【1694~1750】
平井正俊の子。1741年(48)御小納戸頭取より。1746年(53)御役被召放。小普請入、逼塞。享年57。
伊丹 直賢 【1696~1766】
伊丹直胤の子。1746年(51)宗尹の小性頭より。1749年(54)
大目付へ。享年71。
細井 安定 【1687~1758】
細井安応の子。1747年(61)小普請奉行より。1751年(65)辞。享年72。
河野 通延 【1693~1766】
河野通広の子。1749年(57)御先手より。1759年(67)西丸御
留守居へ。享年74。
遠藤 易続 【1691~1762】
水野信休の子、
遠藤康裡養子。1744年(54)御
勘定奉行より。1762年に在職中に亡くなった。享年72。
田沼 意誠 【1721~1773】
田沼意行の子、
田沼意次の弟。1759年(39)宗尹の
側用人より。
宮内卿殿次席家老。1773年に在職中に亡くなった。享年53。
田中 勝芳 【1695~1768】
中根正冬の子。1762年(68)小普請組支配より。
宮内卿殿次席家老。1768年に在職中に亡くなった。享年74。
山木 伴明 【1701~1773】
山木勝忠の子。1768年(68)新番頭より。1771年(71)辞。享年73。
設楽 貞好 【1709~1797】
大久保忠時の子、設楽貞英養子。1771年(63)小普請組支配より。1776年(68)辞。享年89。
新庄 直富 【1725~1779】
新庄直行の子。名はのちに直宥。1774年(50)御作事奉行より。1776年(52)
大目付へ。享年55。
山口 直郷 【1709~1778】
山口直安の子。1776年(68)
甲府勤番支配より。1778年に在職中に亡くなった。享年70。
伊藤 忠勧 【1713~1780】
伊藤忠照の子。1777年(65)御作事奉行より。1778年(66)御
留守居へ。享年68。
水谷 勝富 【1715~1791】
水谷勝比の子。1778年(64)御小納戸頭取より。1785年(71)御
留守居へ。享年77。
田沼 意致 【1741~1796】
田沼意誠の子、
田沼意次の甥。1778年(38)御目付より。1781年(41)御小性組番頭格奥勤へ。享年56。
稲葉 正存 【1729~1789】
稲葉正純の子。1785年(57)御先手より。
1787年(59)辞。享年61。
林 忠篤 【1738~1794】
林忠久の子。1781年(44)
浦賀奉行より。1791年(54)御側衆へ。享年57。
山川 貞幹 【1732~1790】
山川貞胤の子。
1787年(56)御目付より。1790年に在職中に亡くなった。享年59。
飯田 易信 【1752~1806】
伊東祐賢の子、飯田直光養子。1790年(39)小普請奉行より。1805年(54)西丸御旗奉行へ。享年55。
伊藤 忠移 【1744~1820】
伊藤忠勧の子。1791年(48)御普請奉行より。1797年(54)清水勤番支配へ。享年77。
久田 長考 【1749~1808】
久田宣如の子。1797年(48)一橋
側用人より。1797年(54)
大目付へ。享年77。
横田 延松 【1746~1801】
矢橋良容の子、横田尚松養子。1801年(56)
佐渡奉行より。同年に在職中に亡くなった。享年56。
桑原 盛倫 【1746~1811】
松前順広の子、桑原盛員養子。1801年(56)新番頭より。1808年(63)
大目付へ。享年66。
岡野 知隣 【1762~1817】
岡野忠英の子。1806年(45)小普請組支配より。1811年(50)西丸御側へ。享年56。
仙石 久貞 【1767~?】
仙石久峯の子。1808年(42)御目付御船手兼帯より。1818年(52)御側。
土岐 朝利 【1765~1829】
曲淵 景露 【1758~1835】
曲淵景漸の子。1818年(61)
大目付より。1823年(66)御
留守居へ。享年78。
本多 繁文 【1772~1826】
片桐貞芳の子、本多寛方養子。1823年(52)小普請組支配より。1826年に在職中に亡くなった。享年55。
溝口 勝雄 【1772~1828】
松平乗陳の子、溝口勝興養子。1825年(54)一橋
側用人格番頭より、家老格、のち家老本役。1826年(55)御小性組番頭へ。享年57。
後藤 行朋 【1769~1840】
後藤行且の子、後藤久武養子。1826年(58)御小納戸頭取格より。
1827年(59)禁裏附。享年72。
酒井 政長 【1770~1837】
酒井政勝の子、酒井政和養子。1826年(57)御目付より。
1833年(64)西丸御小性組番頭。享年68。
森川 氏昌 【?~1831】
夏目 信平 【?~1833】
佐野 政行 【?~?】
大久保 忠恒 【1783~1855】
大久保忠厚の子。
1833年(51)新番頭格御小納戸頭取より。1842年(60)西丸御
留守居へ。享年73。
村田 矩勝 【?~1851】
1842年 御
勘定吟味役より、新番頭格家老並勤方。同年 御普請奉行へ。
加藤 正行 【?~?】
柳生 久包 【?~1856】
柳生久通の養子。1844年 山田奉行より。1846年
大目付へ。
曲淵 景山 【?~1857】
曲淵景露の養子。1846年 清水附家老より。1851年 御
留守居へ。
土岐 朝義 【?~1859】
土岐源治郎の養子。1851年 御小性組番頭より。1859年に在職中に亡くなった。
石河 政平 【?~?】
竹田 斯綏 【?~?】
竹田源次郎の子。1857年 御小納戸頭取より。1859年 御
勘定奉行へ。
大澤 秉哲 【?~?】
戸田 氏著 【?~?】
松平 近韶 【?~?】
大澤 秉哲 【?~?】
酒井 忠堅 【?~?】
一色 直温 【1819~?】
渡辺 孝綱 【?~?】
平岡 方中 【1822~1864】
岡本正成の子、平岡文次郎養子。通称、円四郎。
1864年(43)一橋殿用人より、同年京都において暗殺された。享年43。
大井 信道 【?~?】
大井栄之助の子。
1864年 小普請組支配より。1867年 御役御免、勤仕並寄合へ。
高井 道致 【?~?】
松浦 啓 【?~?】
曲淵 景曜 【?~?】
黒
田豊前守の子、曲淵景山の養子。1865年 小普請組支配より。1866年 大坂御旗奉行へ。
柴田 勝全 【?~?】
1865年 御
書院番頭より。1867年 御役御免、勤仕並寄合へ。
小笠原 広業 【?~?】
田澤 政路 【?~?】
1867年 御作事奉行より。1868年 辞。
都筑 峯暉 【?~?】
根岸 衛奮 【1817~?】
妻木 頼矩 【?~?】
(3) 清水殿家老
村上 義方 【1711~1782】
村上義愈の子。 1757年(47)御小納戸頭取より。1764年(54)家老になっても職務を全うせず勝手な行動が多かったので、家老を免ぜられた、小普請入、差控。享年72。
永井 武氏 【1693~1771】
永井武生の子。1757年(65)西丸広屋敷御用人より。1771年に在職中に亡くなった。享年79。
加藤 泰宣 【1715~1765】
小野忠久の子、加藤納泰養子(田安殿家老)。1764年(50)御先手より。1765年に在職中に亡くなった。享年51。
吉川 従弼 【1728~1797】
吉川一従の子。17654年(38)小普請奉行より。1771年(44)御役御免。享年70。
本多 昌忠 【1695~1769】
本多忠愛の子。1771年(60)新番頭より。1785年(74)辞。享年75。
岡部 一徳 【1715~1791】
岡部長雅の子。1785年(71)御小納戸より。1789年(75)西丸御
留守居へ。享年77。
柘植 正寔 【1735~?】
柘植晃正の子。1788年(54)御
勘定奉行より、元
長崎奉行。1795年(61)清水勤番支配へ。※二見時代小説文庫「隠密奉行 柘植
長門守」シリーズの主人公。
山村 良旺 【1729~1797】
山村良喜の子。1789年(61)
町奉行より。1794年(66)辞。享年69。
有田 貞勝 【1737~?】
有田基敦の子。1794年(58)禁裏附より。1795年(59)日光奉行へ。
(4) 清水勤番支配
柘植 正寔 【1735~?】
柘植晃正の子。1795年(61)清水殿家老より。1797年(63)御小性組番頭へ。
伊藤 忠移 【1744~1820】
新見 正徧 【1749~?】
武藤 安徴 【1741~1803】
土岐朝澄の子、武藤安武養子。
1802年(63)西丸御持筒より。1803年に在職中に亡くなった。享年63。
市岡 房仲 【1739~1814】
市岡正峯の子。1803年(76)御持頭より。1805年(67)御旗奉行へ。享年76。
小野 近義 【1745~1816】
小野当時の子、小野一吉の養子。1805年(61)御先手より。
1810年(66)清水殿家老へ。享年72。
(5) 清水殿家老(再設置)
小野 近義 【1745~1816】
小野当時の子、小野一吉の養子。
1810年(66)清水勤番支配より、新規。1815年(71)御旗奉行へ。享年72。
岡村 直賢 【1751~1818】
岡村直昌の子。
1810年(60)小納戸頭取より、新規。1817年(67)御旗奉行へ。享年68。
水野 忠篤 【1766~?】
水野忠芳の子。1815年(50)大坂
町奉行より。1817年(52)御小性組番頭格奥勤へ。
白須 政徳 【?~1843】
白須政雍の子。1817年 小普請組支配より。1822年 御小性組番頭格奥勤へ。
荒川 義行 【1775~1836】
荒川義閭の子。1817年(43)御目付より。
1832年(58)御
留守居へ。享年62。
花村 正彬 【1763~?】
本多 正収 【1786~?】
本多正峯の子。
1832年(47)御持頭より。1842年(57)御小性組番頭へ。
三上 季富 【?~?】
三上
因幡守の子。1836年 小普請奉行より。
1839年 家定の御小性組番頭格奥勤へ。
荒川 賢練 【?~?】
1839年 西丸御小納戸頭取より。1843年 辞。
曲淵 景山 【?~1857】
1842年 小普請奉行より。1846年 一橋殿家老へ。
岡村 直恒 【?~1850】
1843年
大目付より。1844年 小普請組支配へ。
松平 政周 【?~1847】
1845年
大目付より。1847年に在職中に亡くなった。
稲生 正興 【1782~1863】
稲生正静の子。1847年
大目付より。1858年 御
留守居へ。
(6) 元清水附支配
跡部 良弼 【?~1868】
竹田 斯綏 【?~?】
都筑 峯暉 【?~?】
都筑峯重の子。
1864年 町奉行より。同年 御役御免、勤仕並寄合へ。さらにのち一橋殿家老をつとめた。
坂井 政輝 【?~?】
1864年 御旗奉行より、元田安殿家老。1865年 清水小普請支配へ。
参考文献:
それでは今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。