探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

御三卿の家老たち

こんにちは、勘矢です。

今日は 御三卿の家老について調べたことをまとめました。

 

 

1.御三卿の家老

  御三卿の家老などの重職は、幕臣が各家に出向されてつとめました。数年ごとに異動があり、幕府職制の一部署という位置づけで、基本的に2名置かれました。

 大日本近世史料2の柳営補任によれば、再任されたのも合わせて、田安殿家老は62名、一橋殿家老は63名、清水殿家老は23名、清水勤番支配は6名、元清水附支配は4名です。就任時の年齢は50歳代以上が多く、勘定奉行大目付町奉行などを経てから就任しているケースが多いようです。

 田安家では、治察が亡きあと当主不在となるが、宗武夫人宝蓮院(森姫)が存命のため家老はそのまま続きました。この当主不在の時期に任命された家老は勘定奉行と兼任でした。

 一橋家では、慶喜が隠居謹慎になった間も家老は続きました。また、慶喜が京都に滞在するようになると、家老も京都に従いました。江戸には、先々代夫人の徳信院が一橋邸にあり、こちらにも家老が置かれていました。

 清水家は当主不在が多いため、扱いが異なるようです。初代重好が亡きあと、夫人貞章院(田鶴宮貞子)は存命でしたが、家老は清水勤番支配となり、人数も1名となりました。3代斉順が清水邸に入ると清水勤番支配は再び家老となり、人数も2名になりました。5代斉彊が紀州藩主に転向すると、再び当主不在となりましたが、4代斉明夫人恭真院(教宮英子)が存命のため人数を1名にして続きました。しかし、恭真院が亡くなると家老は元清水附支配となりました。1865年、元清水附支配は廃止になり、清水小普請支配となりました。

 

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清水門

 

2.家老の一覧

 大日本近世史料2の柳営補任を基に徳川幕臣人名事典、寛政重修所家譜、寛政譜以降旗本百科事典を基にまとめました。

(1) 田安殿家老

 森川 俊勝 【1663~1732】

 森川重般の子。1729年(67)新番頭より。1732年に在職中に亡くなった。享年70。
 
伏屋 為貞 【1666~1753】
 伏屋為重の子。1729年(64)西丸先手より。1739年(74)辞。享年88。
 
諏訪 頼篤 【1661~1753】
 諏訪頼常の子。1731年(71)町奉行より。1738年(78)辞。享年93。
 
興津 忠閭 【1661~1738】
 興津能玄の子。1732年(72)大目付より。1736(76)辞。享年78。
 
山岡 景久 【1679~1737】
 山岡景成の子。1736年(58)小普請奉行より。1737年に在職中に亡くなった。享年59。
 
加藤 納泰 【1681~1748】
 加藤泰和の子。1737年(57)日光奉行より。1746(66)辞。享年68。
 
建部 広充 【1681~1753】
 建部広政の子。建部秀定養子。一橋家老広次は兄。1738年(73)甲府勤番支配より。 1751年(71)留守居へ。享年73。
 
本多 正庸 【1693~1765】
 水谷勝阜の子。本多正芳養子。1746年(54)御作事奉行より。1747年(55)辞。享年73。
 
土屋 正慶 【1684~1753】
 土屋正敬の子。1747年(64)大目付より。1753年(70)辞。享年70。
 
石黒 易慎 【1692~1758】
 岸吉重の子(阿部豊後守家臣)。石黒易久養子。1753年(67)奈良奉行より。1757年(66)辞。享年67。
 
奥田 忠英 【1706~1769】
 奥田忠郷の子。1755年(50)甲府勤番支配より。1762年(57)辞。享年64。
 
山木 正信 【1696~1785】
 山木正親の子。1757年(62)小普請奉行より。1782年(87)御旗奉行へ。享年90。
 
大屋 昌富 【1713~1793】
 大屋昌任の子。1762年(50)御小納戸頭取より。1775年(63)大目付へ。享年81。
 
川井 久敬 【1725~1775】
 川井久守の子。1775年(51)御勘定奉行より、兼帯。同年に在職中に亡くなった。享年51。
 
石谷 清昌 【1715~1782】
 石谷清全の子。1775年(61)御勘定奉行より、兼帯。1779年(65)御留守居へ。享年68。
 
安藤 惟要 【1715~1792】
 田中正周の子、安藤惟泰養子。1779年(65)御勘定奉行より、兼帯。1782年(68)大目付へ。享年78。
 
松本 秀持 【1730~1797】
 松本忠重の子。1782年(53)御勘定奉行より、兼帯。1786年(57)御役御免、小普請入、逼塞。享年68。
 
戸川 逵和 【1720~1797】
 八木補頼の子、戸川正方養子。1782年(63)小普請組支配より。1787年(68)大目付へ。享年78。
 
蜷川 親文 【1740~1827】
 蜷川親豊の子。1787年(48)新番頭より。1794年(55)西丸御小性番頭格奥勤へ。享年88。
 
青山 成存 【1714~1795】
 青山成福の子。1787年(74)御勘定奉行より。1792年(79)御鎗奉行へ。享年82。
 
松平 近言 【1749~1816】
 松平近朝の子。1792年(44)御先手より。1799年(51)西丸御小性組番頭格、奥勤。享年68。
 
佐野 政親 【1732~1824】
 佐野政隆の子。1794年(63)御先手より。1809年(78)御留守居。享年93。
 
根来 長郷 【1745~1800】
 根来長時の子。1799年(55)御小納戸頭取より。1800年に在職中に亡くなった。享年56。
 
山本 茂孫 【1751~1819】
 山本茂珍の子。1800年(50)佐渡奉行より。1814年(64)西丸御小性組番頭へ。享年69。
 
石谷 清豊 【1771~1832】
 田沼意誠の子、石谷清定養子、田沼意次の甥。1809年(62)御目付より。1817年(47)大目付へ。享年62。
 
柳沢 聴信 【1754~1832】
 柳沢信門の子。1814年(61)御普請奉行より。1825年(72)御留守居へ。享年79。
 
村上 義雄 【1773~1838】
 村上義礼の子。1817年(45)御目付より。1825年(53)大目付へ。享年66。
 
牧 義珍 【1767~?】
 牧長賢の子。1825年(59)京都町奉行より。1837年(71)御留守居へ。
 
柴田 勝明 【?~?】
 1825年 御目付より。1828年 西丸御書院番頭へ。
 
大河内 政良 【?~1832】
 1828年 御普請奉行より。1830年 西丸御旗奉行へ。
 
高井 実徳 【1761~1834】
 横田尚松の子、高井実員聟養子。1830年(70)寄合より、元大坂町奉行1834年に在職中に亡くなった。享年74。
 
山中 盛行 【?~1848】
 1834年 田安殿側用人より、新番頭格家老並勤方。1837年 西丸御留守居へ。
 
朝倉 俊光 【?~1847】
 朝倉勘四郎の子。1837年 小納戸頭取より、尾張家の手元用向を兼ねる。1841年 御旗奉行へ。
 
渡辺 輝綱 【?~?】
 渡辺房綱の子。1838年 御作事奉行より。1843年 大目付へ。
 
久世 広正 【?~?】
 久世広才の子。1839年 長崎奉行より。1841年 西丸御小性組番頭へ。
 
山中 盛行 【?~1848】
 1841年 西丸御留守居より、家老並、再任。1844年 御鎗奉行へ。
 
土屋 登里 【?~?】
 1844年 慶頼用人より、新番頭格家老並。1845年 辞。
 
渡辺 輝綱 【?~?】
 1844年 御留守居次席大目付より、再任。1847年 御留守居へ。
 
堀田 正路 【1789~?】
 堀田正貴の子。1845年(57)日光奉行より。1855年(67)御留守居
 
室賀 正仲 【?~1848】
 1847年 小普請組支配より。1848年に在職中に亡くなった。
 
松平 近韶 【?~?】
 松平徳之輔の子。1848年 御目付より。1852年 西丸御留守居へ。さらにのち一橋殿家老をつとめた。
 
一色 直休 【?~1855】
 一色宮内の子。1852年 御勘定奉行より。1855年に在職中に亡くなった。
 
田村 顕影 【?~?】
 田村顕時養子。1855年勘定奉行より。1857年 大目付へ。
 
朝比奈 昌寿 【1804~?】
 朝比奈昌武の子。1855年(52)御小納戸頭取より。1858年(55)西丸御留守居へ。
 
松平 近直 【?~?】
 松平筑前守の子。1857年 御留守居次席御勘定奉行より。同年に辞。
 
水野 忠徳 【1810~1868】
 諏訪頼篤の子。1857年(59)御勘定奉行長崎奉行兼帯より。1858年(49)外国奉行。享年59。
 
河野 通訓 【?~?】
 河野通開の子。1858年 御作事奉行より。1862年 御役御免、勤仕並寄合。
 
田村 顕影 【?~?】
 1858年 大目付より、再任。1860年 西丸御留守居へ。
 
荒尾 成允 【?~1861】
 荒尾成章の子。1860年 小普請奉行より。1861年に在職中に亡くなった。
 
平賀 勝定 【?~1871】
 1861年 大目付より。1863年留守居へ。
 
坂井 政輝 【?~?】
 1862年 御鎗奉行より。1864年 御旗奉行へ。さらにのち元清水附支配をつとめた。
 
松平 正之 【?~?】
 松平織部正の子。1863年 大目付より。1864年 大目付へ。
 
朝倉 俊徳 【?~?】
 朝倉俊光の子。1864年 小納戸頭取より。同年 御小性組番頭格御用取次見習へ。
 
松平 康正 【?~?】
 1864年 寄合肝煎より。1864年 大目付へ。
 
鳥居 忠善 【?~?】
 1864年 勤仕並寄合より、元堺奉行。1866年 勤仕並寄合へ。
 
土井 利用 【?~?】
 1864年 大目付より。1866年 講武所奉行へ。
 
平賀 勝定【?~1871】
 1866年 御留守居より、再任。1867年 御役御免、勤仕並寄合。
 
朝倉 俊徳 【?~?】
 1866年 御側御用取次より、再任。1867年 御役御免、勤仕並寄合へ。
 
水野 忠全 【?~?】
 水野忠篤の孫。1867年 御作事奉行より。同年 御役御免、勤仕並寄合へ。
 
竹内 幸彝 【?~?】
 1867年 大坂町奉行より。1868年 御作事奉行へ。
 
溝口 勝如 【?~?】
 溝口助勝の弟。1867年 御勘定奉行より。1870年家令となった。
 
水野 忠全 【?~?】
 1868年 勤仕並寄合より、再任。
 

(2) 一橋殿家老

 建部 広次 【1671~1739】

 建部広政の子。1735年(65)御先手より。1739年に在職中に亡くなった。享年69。
 
山本 茂明 【1681~1741】
 山本茂則の子。1735年(55)御小納戸頭取より。1741年に在職中に亡くなった。享年61。
 
佐野 察行 【1683~1753】
 佐野定行の子。1739年(57)小普請組支配より。1747年(65)御役御免。享年71。
 
平井 正基 【1694~1750】
 平井正俊の子。1741年(48)御小納戸頭取より。1746年(53)御役被召放。小普請入、逼塞。享年57。
 
伊丹 直賢 【1696~1766】
 伊丹直胤の子。1746年(51)宗尹の小性頭より。1749年(54)大目付へ。享年71。
 
細井 安定 【1687~1758】
 細井安応の子。1747年(61)小普請奉行より。1751年(65)辞。享年72。
 
河野 通延 【1693~1766】
 河野通広の子。1749年(57)御先手より。1759年(67)西丸御留守居へ。享年74。
 
遠藤 易続 【1691~1762】
 水野信休の子、遠藤康裡養子。1744年(54)御勘定奉行より。1762年に在職中に亡くなった。享年72。
 
田沼 意誠 【1721~1773】
 田沼意行の子、田沼意次の弟。1759年(39)宗尹の側用人より。宮内卿殿次席家老。1773年に在職中に亡くなった。享年53。
 
田中 勝芳 【1695~1768】
 中根正冬の子。1762年(68)小普請組支配より。宮内卿殿次席家老。1768年に在職中に亡くなった。享年74。
 
山木 伴明 【1701~1773】
 山木勝忠の子。1768年(68)新番頭より。1771年(71)辞。享年73。
 
設楽 貞好 【1709~1797】
 大久保忠時の子、設楽貞英養子。1771年(63)小普請組支配より。1776年(68)辞。享年89。
 
新庄 直富 【1725~1779】
 新庄直行の子。名はのちに直宥。1774年(50)御作事奉行より。1776年(52)大目付へ。享年55。
 
山口 直郷 【1709~1778】
 山口直安の子。1776年(68)甲府勤番支配より。1778年に在職中に亡くなった。享年70。
 
伊藤 忠勧 【1713~1780】
 伊藤忠照の子。1777年(65)御作事奉行より。1778年(66)御留守居へ。享年68。
 
水谷 勝富 【1715~1791】
 水谷勝比の子。1778年(64)御小納戸頭取より。1785年(71)御留守居へ。享年77。
 
田沼 意致 【1741~1796】
 田沼意誠の子、田沼意次の甥。1778年(38)御目付より。1781年(41)御小性組番頭格奥勤へ。享年56。
 
稲葉 正存 【1729~1789】
 稲葉正純の子。1785年(57)御先手より。1787年(59)辞。享年61。
 
林 忠篤 【1738~1794】
 林忠久の子。1781年(44)浦賀奉行より。1791年(54)御側衆へ。享年57。
 
山川 貞幹 【1732~1790】
 山川貞胤の子。1787年(56)御目付より。1790年に在職中に亡くなった。享年59。
 
飯田 易信 【1752~1806】
 伊東祐賢の子、飯田直光養子。1790年(39)小普請奉行より。1805年(54)西丸御旗奉行へ。享年55。
 
伊藤 忠移 【1744~1820】
 伊藤忠勧の子。1791年(48)御普請奉行より。1797年(54)清水勤番支配へ。享年77。
 
久田 長考 【1749~1808】
 久田宣如の子。1797年(48)一橋側用人より。1797年(54)大目付へ。享年77。
 
横田 延松 【1746~1801】
 矢橋良容の子、横田尚松養子。1801年(56)佐渡奉行より。同年に在職中に亡くなった。享年56。
 
桑原 盛倫 【1746~1811】
 松前順広の子、桑原盛員養子。1801年(56)新番頭より。1808年(63)大目付へ。享年66。
 
岡野 知隣 【1762~1817】
 岡野忠英の子。1806年(45)小普請組支配より。1811年(50)西丸御側へ。享年56。
 
仙石 久貞 【1767~?】
 仙石久峯の子。1808年(42)御目付御船手兼帯より。1818年(52)御側。
 
土岐 朝利 【1765~1829】
 土岐朝秋の子。1811年(47)小普請組支配より、治済の御附家老、御留守居次席、斉敦の用向も兼ねる。1828年(64)御留守居へ。享年65。
 
曲淵 景露 【1758~1835】
 曲淵景漸の子。1818年(61)大目付より。1823年(66)御留守居へ。享年78。
 
本多 繁文 【1772~1826】
 片桐貞芳の子、本多寛方養子。1823年(52)小普請組支配より。1826年に在職中に亡くなった。享年55。
 
溝口 勝雄 【1772~1828】
 松平乗陳の子、溝口勝興養子。1825年(54)一橋側用人格番頭より、家老格、のち家老本役。1826年(55)御小性組番頭へ。享年57。
 
後藤 行朋 【1769~1840】
 後藤行且の子、後藤久武養子。1826年(58)御小納戸頭取格より。1827年(59)禁裏附。享年72。
 
酒井 政長 【1770~1837】
 酒井政勝の子、酒井政和養子。1826年(57)御目付より。1833年(64)西丸御小性組番頭。享年68。
 
森川 氏昌 【?~1831】
 森川氏寿の子。1828年 日光奉行より。1831年に在職中に亡くなった。
 
夏目 信平 【?~1833】
 1831年 御普請奉行より。1833年に在職中に亡くなった。
 
佐野 政行 【?~?】
 1833年 小普請組支配より。1844年 御留守居へ。
 
大久保 忠恒 【1783~1855】
 大久保忠厚の子。1833年(51)新番頭格御小納戸頭取より。1842年(60)西丸御留守居へ。享年73。
 
村田 矩勝 【?~1851】
 1842年 御勘定吟味役より、新番頭格家老並勤方。同年 御普請奉行へ。
 
加藤 正行 【?~?】
 加藤一学の子。1842年 小普請組支配より。1855年留守居へ。
 
柳生 久包 【?~1856】
 柳生久通の養子。1844年 山田奉行より。1846年 大目付へ。
 
曲淵 景山 【?~1857】
 曲淵景露の養子。1846年 清水附家老より。1851年 御留守居へ。
 
土岐 朝義 【?~1859】
 土岐源治郎の養子。1851年 御小性組番頭より。1859年に在職中に亡くなった。
 
石河 政平 【?~?】
 石河政央の子。1855年勘定奉行より、御留守居次席。1857年 御側へ。
 
竹田 斯綏 【?~?】
 竹田源次郎の子。1857年 御小納戸頭取より。1859年 御勘定奉行へ。
 
大澤 秉哲 【?~?】
 1859年 御勘定奉行より。1860年 大目付へ。
 
戸田 氏著 【?~?】
 戸田氏香の子。1859年 御普請奉行より、慶喜上京に付御供。1864年 二条御留守居へ。
 
松平 近韶 【?~?】
 松平徳之輔の子。1860年勘定奉行より、元田安殿家老。1862年 御小性組番頭へ。
 
石谷 穆清 【?~?】
 1862年留守居次席町奉行より。同年 講武所奉行へ。
 
大澤 秉哲 【?~?】
 1862年 大目付より、再任。慶喜上京に付御供。1863年留守居へ。
 
酒井 忠堅 【?~?】
 1863年 勤仕並寄合より、元甲府勤番支配。慶喜上京に付御供。1864年 御役御免、勤仕並寄合。
 
一色 直温 【1819~?】
 一色直頂の子。1863年(45)御勘定奉行より。1864年(46)大目付へ。
 
渡辺 孝綱 【?~?】
 1864年書院番頭席大目付より。1865年 講武所奉行。
 
平岡 方中 【1822~1864】
 岡本正成の子、平岡文次郎養子。通称、円四郎。1864年(43)一橋殿用人より、同年京都において暗殺された。享年43。
 
大井 信道 【?~?】
 大井栄之助の子。1864年 小普請組支配より。1867年 御役御免、勤仕並寄合へ。
 
高井 道致 【?~?】
 1864年 御小性組番頭より。同年 辞。
 
松浦 啓 【?~?】
 1864年 勤仕並寄合より、元御書院番頭。1867年 御役御免、勤仕並寄合へ。
 
曲淵 景曜 【?~?】
 黒田豊前守の子、曲淵景山の養子。1865年 小普請組支配より。1866年 大坂御旗奉行へ。
 
柴田 勝全 【?~?】
 1865年 御書院番頭より。1867年 御役御免、勤仕並寄合へ。
 
小笠原 広業 【?~?】
 小笠原照羽の子。1867年 御勘定奉行より。1868年 御留守居へ。
 
田澤 政路 【?~?】
 1867年 御作事奉行より。1868年 辞。
 
都筑 峯暉 【?~?】
 都筑峯重の子。1868年 御勘定奉行より、元町奉行・元清水附支配。
 
根岸 衛奮 【1817~?】
 根岸衛恭の子。1868年(52)寄合より。元関東郡代勘定奉行・元町奉行
 
妻木 頼矩 【?~?】
 1868年 大目付より兼帯。

 

(3) 清水殿家老

村上 義方 【1711~1782】
 村上義愈の子。 1757年(47)御小納戸頭取より。1764年(54)家老になっても職務を全うせず勝手な行動が多かったので、家老を免ぜられた、小普請入、差控。享年72。
 
永井 武氏 【1693~1771】
 永井武生の子。1757年(65)西丸広屋敷御用人より。1771年に在職中に亡くなった。享年79。
 
加藤 泰宣 【1715~1765】
 小野忠久の子、加藤納泰養子(田安殿家老)。1764年(50)御先手より。1765年に在職中に亡くなった。享年51。
 
吉川 従弼 【1728~1797】
 吉川一従の子。17654年(38)小普請奉行より。1771年(44)御役御免。享年70。
 
本多 昌忠 【1695~1769】
 本多忠愛の子。1771年(60)新番頭より。1785年(74)辞。享年75。
 
岡部 一徳 【1715~1791】
 岡部長雅の子。1785年(71)御小納戸より。1789年(75)西丸御留守居へ。享年77。
 
柘植 正寔 【1735~?】
 柘植晃正の子。1788年(54)御勘定奉行より、元長崎奉行。1795年(61)清水勤番支配へ。※二見時代小説文庫「隠密奉行 柘植長門守」シリーズの主人公。
 
山村 良旺 【1729~1797】
 山村良喜の子。1789年(61)町奉行より。1794年(66)辞。享年69。
 
有田 貞勝 【1737~?】
 有田基敦の子。1794年(58)禁裏附より。1795年(59)日光奉行へ。

 

(4) 清水勤番支配

 柘植 正寔 【1735~?】

 柘植晃正の子。1795年(61)清水殿家老より。1797年(63)御小性組番頭へ。
 
伊藤 忠移 【1744~1820】
 伊藤忠勧の子。1797年(54)一橋殿家老より。1800年(57)大目付へ。享年77。
 
新見 正徧 【1749~?】
 新見正則の子。1800年(52)御先手より。1802年(54)新番頭格奥勤へ。
 
武藤 安徴 【1741~1803】
 土岐朝澄の子、武藤安武養子。1802年(63)西丸御持筒より。1803年に在職中に亡くなった。享年63。
 
市岡 房仲 【1739~1814】
 市岡正峯の子。1803年(76)御持頭より。1805年(67)御旗奉行へ。享年76。
 
小野 近義 【1745~1816】
 小野当時の子、小野一吉の養子。1805年(61)御先手より。1810年(66)清水殿家老へ。享年72。

 

(5) 清水殿家老(再設置)

 小野 近義 【1745~1816】

 小野当時の子、小野一吉の養子。1810年(66)清水勤番支配より、新規。1815年(71)御旗奉行へ。享年72。
 
岡村 直賢 【1751~1818】
 岡村直昌の子。1810年(60)小納戸頭取より、新規。1817年(67)御旗奉行へ。享年68。
 
水野 忠篤 【1766~?】
 水野忠芳の子。1815年(50)大坂町奉行より。1817年(52)御小性組番頭格奥勤へ。
 
白須 政徳 【?~1843】
 白須政雍の子。1817年 小普請組支配より。1822年 御小性組番頭格奥勤へ。
 
荒川 義行 【1775~1836】
 荒川義閭の子。1817年(43)御目付より。1832年(58)御留守居へ。享年62。
 
花村 正彬 【1763~?】
 花村正利の子。1822年(60)御目付より。1831年(69)西丸御留守居へ。
 
田切 直熈 【?~1848】
 小田切直年の子。1831年 京都町奉行より。1836年 御小性組番頭へ。
 
本多 正収 【1786~?】
 本多正峯の子。1832年(47)御持頭より。1842年(57)御小性組番頭へ。
 
三上 季富 【?~?】
 三上因幡守の子。1836年 小普請奉行より。1839年 家定の御小性組番頭格奥勤へ。
 
荒川 賢練 【?~?】
 1839年 西丸御小納戸頭取より。1843年 辞。
 
曲淵 景山 【?~1857】
 1842年 小普請奉行より。1846年 一橋殿家老へ。
 
岡村 直恒 【?~1850】
 1843年 大目付より。1844年 小普請組支配へ。
 
松平 政周 【?~1847】
 1845年 大目付より。1847年に在職中に亡くなった。
 
稲生 正興 【1782~1863】
 稲生正静の子。1847年 大目付より。1858年 御留守居へ。

 

(6) 元清水附支配

 跡部 良弼 【?~1868】

 肥前唐津藩主水野忠光の子で水野忠邦の弟。1858年 御留守居次席町奉行より。1860年留守居
 
竹田 斯綏 【?~?】
 竹田源次郎の子。1860年勘定奉行より、元一橋殿家老。1864年 御役御免、勤仕並寄合へ。
 
都筑 峯暉 【?~?】
 都筑峯重の子。1864年 町奉行より。同年 御役御免、勤仕並寄合へ。さらにのち一橋殿家老をつとめた。
 
坂井 政輝 【?~?】
 1864年 御旗奉行より、元田安殿家老。1865年 清水小普請支配へ。

 

参考文献:
 企画展 徳川御三卿(徳川記念財団)
 御三卿 一橋徳川家茨城県立歴史館)
 大日本近世史料 柳営補任 二(東京大学史料編纂所
 徳川幕臣人名事典(東京堂出版
 寛政重修諸家譜国立国会図書館デジタルコレクション)
 寛政譜以降旗本百科事典(東洋書林
 
 
それでは今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。