こんにちは、勘矢です。
今回は前回(旗本 山口氏~幕末四賢候 伊達宗城の実家の一族~ - 探検!日本の歴史)に引き続き、旗本 山口氏について調べたことをまとめました。
1. 旗本 山口氏
孫の直房のとき、弟直知に分知をしたため、二千五百石となりました。直知の系統は孫の代で絶家となりました。
2. 旗本 山口氏一族
(1)旗本:山口勝之助家
初代 山口 直友(なおとも)【1544~1622】
山口直之の長男。
1599年(56)に薩摩の島津家家臣 伊集院忠真の叛乱が起きると、両者の和睦を整えました。翌年の関ヶ原の戦いに供奉し、戦いの後、徳川家と島津家の戦後処理を担当しました。直友の弟 直行は、島津家の家来となりました。
二代 山口 直堅(なおかた)【1605~1662】
山口直友の長男、母は某氏の娘。直友62歳のときの子。
妻は旗本 島田利正の養女(利正の兄春世の娘)。
三代 山口 直房(なおふさ)【1632~1669】
山口直堅の二男、母は島田利正の養女。
1654年(23)に御小姓組に列しました。1662年に31歳で相続し、二千五百石余を知行し、弟 直知に五百石を分け与えました。享年38。
妻は丹後峯山藩主 京極高通の養女(旗本 溝口宣知の娘、宣知の妻は京極高通の娘なので高通の外孫)。
四代 山口 直之(なおゆき)【1662~1711】
山口直房の長男、母は京極高通の養女。
1669年にわずか8歳で相続しました。1681年(20)に御小姓組に列し、1692年(31)に御徒頭に進みました。1696年(35)に下田奉行となり、1706年(45)に辞職し、寄合に列しました。享年50。
五代 山口 直意(なおもと)【1695~1756】
山口直之の四男。
1711年に17歳で相続しました。1719年(25)に御小姓組に列し1724年(30)から二ノ丸につとめました。翌年、西ノ丸の御書院番となり、1745年(51)に御使番に転じました。1746年(52)神保長勝、細井勝尚とともに陸奥国及び松前を巡見しました。1756年(62)に新番頭となりました。享年62。
妻は旗本 高木守興の娘(婚約)。
山口 直成(なおしげ)【1727~1752】
旗本 建部広充の三男、母は山口直之の娘。
伯父直意の養子となるも先立って没しました。享年26。
六代 山口 直良(なおよし)【1743~1806】
山口直意の二男。
1756年に14歳で相続しました。1766年(24)に中奥の番士に列し、1776年(34)に十代将軍徳川家治の日光社参に供奉しました。
1778年(36)に西ノ丸の御徒頭に転じ、1785年(43)に新番頭にすすみました。1791年(49)に上総飯野藩主 保科正率が大坂定番となるとき、厳命を伝えました。1793年(51)に小普請組支配に転じました。
妻は旗本 小笠原信喜の娘。
七代 山口 直温(なおつぐ)【?~?】
山口直良の長男。勝之助、勘兵衛。
妻は旗本 小田切直年の娘。
八代 山口 直養(なおやす)【?~1858】
山口直温の子。勝蔵、勝之助、勘兵衛。
九代 山口 直毅【1830~1895】
1853年(24)に昌平坂学問所で成績が優秀であったので銀錠を受けました。1857年(28)に幕府の甲府微典館に学頭として赴きました。同年、山口直養の婿養子となりました。1858年(29)に学問所教授方出役となり、小姓組に入りました。その後、十三代将軍 徳川家定にお目見えを許され、同年に相続しました。
1863年(34)3月に講武所奉行並・騎兵奉行を兼ね、5月に神奈川奉行となり、老中小笠原長行の卒兵上京に参加し、翌月に御役御免となって寄合となりました。7月に目付に再度なり、作事奉行格となるもののすぐに御役御免となりました。
1864年(35)に作事奉行格目付となりました。また、長州表へ老中 松前伊豆守に付き添いをしました。1865年(36)に外国奉行となり、その後、大坂にて兵庫開港問題に関わりました。その後、南町奉行も兼任しました。1866年(37)に歩兵奉行、騎兵奉行、陸軍奉行並となりました。
1867年(38)に外国奉行を兼ね、さらに外国総奉行並となりました。1868年(39)に外国事務総裁、会計総裁となりましたが、幕府終焉で御役御免となりました。
明治維新後は直亮と名乗り、神祇局に出仕しました。享年66。
妻は山口直養の娘。
山口氏の屋敷は西神田ランプの東側、現在は専大通りとなっているあたりにありました。
(2)旗本:山口久太郎家
(寛政年間までの当主)
初代 山口 直知(なおとも)【?~1705】
山口直堅の四男、母は島田利正の養女。
山口 直貞(なおさだ)
山口直堅の五男。兄直知の養子となるも先に没しました。
二代 山口 直教(なおのり)【?~1728】
山口直堅の六男 山口直宗の子。
伯父直知の養子となり、1705年に相続しました。
妻は余語古庵の娘。
三代 山口 久太郎【1722~1752】
山口直教の長男、母は余語古庵の娘。
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
参考文献:
御旗本物語ー日本史の意外な証言者たちー(谷 有二 著/未来社)
名門・名家大辞典(東京堂出版)
徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社)
寛政譜以降 旗本百科事典 第4巻、第5巻(東洋書林)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。