こんにちは、勘矢です。
今回は前回(旗本 小栗氏(平氏)~正重系と久勝系~ - 探検!日本の歴史)の続きで、小栗久次系について調べたことをまとめました。
1. 桓武平氏系小栗氏
そのほかに久次の三男 久成からはじまる小栗茂十郎家、久次の弟正勝からはじまる小栗庄右衛門家、正勝の孫からはじまる小栗松五郎家がある。
2. 旗本小栗氏(久次系)
(1)旗本:小栗猶之丞家
(寛政年間までの当主)
初代 小栗 久次(ひさつぐ)【1549~1627】
小栗正久の長男、母は堀平右衛門の娘。
外祖父平右衛門に養育され三河国青野に住み、徳川家康がこの地に放鷹したときに召し出され、1566年(18)より仕えて御鷹匠同心を預かり、鳥見を支配しました。1572年(24)の三方ヶ原の戦いで馬を失って窮地に陥った大久保忠隣を助けた功績により黄金十両を与えられました。
二代 小栗 政次(まさつぐ)【?~1666】
小栗久次の長男。
1646年に井上正継と稲富直賢が大筒の術について口論に及んだとき、長坂信次とはかってその和睦のため宴を催したが、正継が直賢、信次を討ち果たし、政次は両手に疵を被った。このことにより御勘気をこうむり、1651年にゆるされた。1660に隠居しました。
妻は旗本 戸田直次の娘。
三代 小栗 政俊(まさとし)【?~1666】
小栗政次の長男、母は戸田直次の娘。
妻は旗本 新庄直房の娘。
四代 小栗 正直(まさなお)【?~1692】
小栗政俊の長男、母は新庄直房の娘。
妻は旗本 酒井重頼の養女(重頼の兄重良の娘)。
五代 小栗 正等(まさとも)【1677~1726】
小栗正直の二男、母は酒井重頼の養女。
六代 小栗 正辰(まさとき)【1705~1754】
小栗正等の長男。
妻は旗本 土屋喬直の娘。この土屋家は上総久留里藩の分家。
七代 小栗 正秧(まさなえ)【1740~?】
分家小栗徳政の二男、母は松平(桜井)忠陣の娘。
1754年に15歳で家督相続しました。1760年(21)に西ノ丸の御書院の番士となり、1770年(31)に辞職しました。1795年(56)に御小姓組に列し、翌年に将軍世子徳川家慶の附属となり、西ノ丸に勤仕しました。
妻は旗本 谷衛平の娘。
小栗 政幸(まさゆき)【?~?】
小栗正秧の二男。妻は旗本 安部信久の娘。
(2)旗本:小栗猪三郎家
初代 小栗 久俊(ひさとし)【?~1677】
小栗久次の二男。
二代 小栗 正盛(まさもり)【?~1684】
小栗久俊の長男。
1673年に家督相続し、1676年に大番に列しました。
三代 小栗 正定(まささだ)【1677~1721】
小栗正盛の長男。
1684年にわずか8歳で家督相続しました。1703年(27)に大番となり、1705年(29)に辞職しました。享年45。
四代 小栗 正好(まさたか)【1699~1730】
小栗正定の長男。
1721年に23歳で家督相続しました。1724年(26)に大番に列し、翌年辞職しました。享年32。
妻は旗本 西山昌生の娘。
五代 小栗 徳政(のりまさ)【1719~1769】
小栗正好の長男、母は西山昌生の娘。
1731年に13歳で家督相続しました。1740年(22)に大番となり、1748年(30)に新番に転じ、1753年(35)に辞職しました。享年51。
妻は旗本 松平(桜井)忠陣の娘。
六代 小栗 政甫(まさよし)【1743~?】
小栗徳政の長男、母は松平(桜井)忠陣の娘。
1769年に27歳で家督相続し、大番となりました。1782年(40)に辞職し、1786年に44歳で隠居しました。
妻は旗本 松平(三木)忠昆の養女。
七代 小栗 政行(まさゆき)【1767~1829/1831?】
旗本 一色直次の三男。通称猪三郎。
1828年(62)に先手弓頭となりましたが、翌年辞職しました。
妻は小栗政甫の娘。
政行の没年について、「千葉いまむかしNo.7」の小栗氏(下総守)の項では、文政11年(1829)9月に63歳で没したとあり、続徳川実紀の天保2年(1831)12月の項に「寄合 小栗猪三郎子書院番右膳。・・・父死して家つぐもの・・・」とあるので、公的には天保2年に没したことになっているのだろう。
八代 小栗 政長 【?~1855】
小栗政行の子、母は小栗政甫の娘。通称右膳。
九代 小栗 政寧(せいねい)【1816~?】
陸奥中村藩一門 相馬仙胤の子。下総守。
1832年(17)に政長の養子となり、1855年(40)に家督相続しました。1861年(46)に小姓組進物番から御徒頭となり、さらに目付となりました。翌年に禁裏附、1864年(49)に京都町奉行に転じました。1865年(50)には勘定奉行勝手方となり、翌年からは関東郡代を兼帯しました。 1869年(54)に御役御免となり勤仕並寄合となり、その後、朝廷より官位召上げ、登城差し止めとなりました。
(3)旗本:小栗茂十郎家
(寛政年間までの当主)
初代 小栗 久成(ひさなり)【?~1674】
小栗久次の三男。
御鷹師となり、蔵米二百俵を賜りました。1649年に御鷹執飼のことをうけたまって三河国西尾に赴いた。
二代 小栗 正勝(まさかつ)【1656~1716】
小栗久成の長男。
1674年に19歳で家督相続し、御鷹師となりました。1679年(24)に御腰物奉行となりました。1697年(42)に新番となり、蔵米五十俵を加えられました。享年61。
三代 小栗 正房(まさふさ)【?~1758】
鳥居長門守の二男。
正勝の婿養子となり、1709年に大番に列し、1716年に家督相続しました。1724年に新番に転じ、1740年に隠居しました。
妻は小栗正勝の養女(旗本 伊奈忠則の娘)。
四代 小栗 正久(まさひさ)【?~1762】
小栗正房の二男。
1740年に家督相続し、1745年に大番となりました。
五代 小栗 満辰(みつとき)【?~1794】
小栗正久の長男。
1762年に家督相続し、1768年に大番に列しました。1782年に御金奉行に移りました。
妻は旗本 辻守定の娘。
六代 小栗 忠近(ただちか)【?~?】
小栗満辰の長男。
1794年に家督相続しました。1796年に不行状により改易となりました。。
妻は旗本 安藤信憲の娘。
(4)旗本:小栗庄右衛門家
(寛政年間までの当主)
初代 小栗 正勝(まさかつ)【1557~1626】
小栗正久の二男、母は堀平右衛門の娘。
兄久次と同じく外祖父平右衛門に養育され三河国青野に住み、1572年(16)に召されて徳川家康に仕えました。1590年(34)に徳川家が関東に移ったのち、鉄砲同心二十人を預けられ、武蔵国忍城の番をつとめました。1604年(48)に武蔵国内で五百五十石の知行を賜りました。1613年(57)に御代官となりました。享年70。
二代 小栗 正重(まさしげ)【1616~1684】
小栗正勝の二男。
1626年に11歳で家督相続して三百三十石を知行し、甥の正利に二百二十石を分け与えました。翌年新墾田四十石を加えられました。のち御鷂頭となり、1682年(67)につとめをゆるされ小普請となりました。享年69。
三代 小栗 正久(まさひさ)【?~1688】
小栗正重の長男。
1670年に御鷹師となり、1679年に御納戸番にうつり、1682年に辞職しました。1684年に家督相続ました。
四代 小栗 正重(まさしげ)【?~1700】
小栗正久の長男。1688年に家督相続しました。
五代 小栗 持正(もちまさ)【1693~1758】
旗本 吉田利政の長男、母は吉田正之の娘。弟信孟は源氏系の小栗家に養子入りした。
妻は旗本 梶正持の娘、後妻は旗本 天野忠顕の娘。
六代 小栗 正興(まさおき)【1725~1758】
小栗持正の長男、母は天野忠顕の娘。
妻は旗本 蜂屋正約の娘(離婚)。
七代 小栗 正与(まさとも)【1729~1790】
小栗持正の二男。
妻は旗本 花形勝従の娘。
八代 小栗 正利(まさとし)【1748~?】
旗本 小林政苗の二男、母は中山氏。
妻は小栗正与の養女(正興の娘)。
(5)旗本:小栗松五郎家
(寛政年間までの当主)
家祖 小栗 正信(まさのぶ)【1592~1624】
小栗正勝の長男。
二代将軍 徳川秀忠に仕えて御鷹役をつとめました。父に先立ち没しました。享年33。
妻は旗本 加藤則勝の娘。
初代 小栗 正房(まさふさ)【?~1690】
旗本 天野忠詣の三男。
妻は小栗正信の娘。
二代 小栗 正武(まさたけ)【1639~1705】
小栗正利の長男。
妻は今村伝助の娘。
三代 小栗 正倚(まさより)【1662~1735】
小栗正利の二男。
妻は吉田氏。
四代 小栗 正舎(まさおき)【1700~1776】
小栗正武の二男、母は今村伝助の娘。
義兄正倚の養子となり、1725年(26)に大番に列しました。1735年に36歳で家督相続し、翌年に西ノ丸の御腰物方に移り、1760年(61)に本丸に移り、1766年(67)に辞職しました。享年77。
五代 小栗 正遊(まさゆき)【1729~1782】
小栗正舎の長男。
1764年(36)に大番となり、1769年(41)に新番に転じました。1776年に48歳で家督相続しました。享年54。
妻は大奥の侍女 民野の養女。
六代 小栗 正備(まさとも)【1764~?】
小栗正遊の長男、母は大奥の侍女 民野の養女。
妻は旗本 萩原利明の娘(離婚)、後妻は旗本 長谷川安良の娘。
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
参考文献:
寛政譜以降 旗本百科事典 第1巻(東洋書林)
徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社)
家紋・旗本八万騎 高橋賢一著(秋田書店)
日本名字家系事典(東京堂出版)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。