こんにちは、勘矢です。
1. 徳川宗家
勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸城総攻撃は中止されて無血開城となり、同時に徳川宗家(旧将軍家)の存続が認められた。慶喜の隠居・謹慎により徳川宗家相続したのが田安家の当主亀之助(のち家達)で、徳川宗家は一大名の形としてひとまず存続することになった。
上野戦争後、新政府は徳川宗家を駿河府中七十万石と通告し、八百万石以上とも言われた幕府所領の十分の一以下となった。家達は静岡藩主となったが、翌年の版籍奉還により知藩事となった。さらに2年後には廃藩置県が実施された。政府方針にり家達は東京に移り、千駄ヶ谷に屋敷を構えた。
*公爵と侯爵は世襲議員(終身)、伯爵・子爵・男爵は互選議員(任期7年)。
17代家正は最後の貴族院議長となった。
久能山東照宮博物館
日光山輪王寺
徳川家達(いえさと)【1863~1940】
田安慶頼の三男。
夫人:近衛忠房の長女 泰子。
徳川家正(いえまさ)【1884~1963】
徳川家達の長男。
(1)徳川家と島津家
徳川家と島津家の婚姻関係は、江戸中期に八代将軍 吉宗の養女竹姫が薩摩藩主 島津継豊に嫁いだことからはじまる。その後、一橋宗尹の娘 保姫が継豊の孫重豪に嫁ぎ、重豪の娘 広大院は宗尹の孫で将軍家を相続した家斉の正室となった。
さらに重豪の曾孫斉彬は、家斉の姪 英姫(一橋斉敦の娘)を正室に迎えた。斉彬の養女天璋院は、家斉の孫家定の正室となった。斉彬の養子忠義の娘のうち3人が徳川家に嫁いでだ。四女 知子は田安徳川家の達孝に嫁ぎ、九女正子は達孝の甥で徳川宗家の家正に嫁ぎ、十女為子は達孝の甥で紀州徳川家の頼貞に嫁いだ。
2. 徳川宗家分家
厚の二男喜福【1898~1972】は大木達吉の婿養子となり、伯爵家を相続した。1929年に東工学園理事長となり、1931年に東京工業学校を創立した。1967年に日本工業大学を創設して理事長となった。
徳川厚(あつし)【1874~1930】
徳川慶喜の四男。
貴族院議員。1927年に隠居。
夫人:松平慶永の六女 里子。
徳川喜翰(のぶもと)【1897~1938】
徳川厚の長男。
夫人:白井新太郎長女 美代子。
徳川喜堅(のぶかた)【1907~1971】
徳川厚の五男。
1940年に家督相続。
夫人:大藪守治の長女 すみ子。
3. 徳川慶喜家
慶喜は寛永寺大慈院で2カ月、水戸で3カ月の謹慎した後、静岡に移った。宗家が東京に戻ったのちも勝海舟などの判断により静岡にとどまり、謹慎を解かれた1869年に紺屋町の元代官屋敷に移り、約20年間を過ごした。その間に少しずつ政府に認められ、1880年に将軍時代の官位正二位に戻り、1888年には従一位に叙せられた。同年、紺屋町から西草深町に移った。
慶久の長女喜久子は高松宮宣仁親王妃となった。
徳川慶喜(よしのぶ)【1837~1913】
徳川斉昭の七男。
1910年に隠居。
徳川慶久(よしひさ)【1884~1922】
徳川慶喜の七男。
1910年に家督相続。
夫人:有栖川宮威仁親王第二女子 実枝子。
徳川慶光(よしみつ)【1913~1993】
徳川慶久の長男。
1922年に家督相続。
夫人:松平保男の四女 和子。(旧会津藩主家)
現在、徳川慶喜公屋敷跡は国際仏教学大学院大学となっている。
4. 慶喜家分家
徳川誠(まこと)【1887~1968】
徳川慶喜の九男。
貴族院議員。
夫人:名和長憲の長女 霽子。
5. 慶喜の側室と子女
(1)慶喜の側室
慶喜は京・大坂にいた頃に何人かの側室をおいていたようだが、子ができなかった。静岡時代になるとお幸とお信の2人に絞られた。
お幸:元旗本 中根芳三郎の娘(元旗本 成田信十郎の養女)
お信:元旗本 松平勘十郎の娘(元小姓頭取 新村猛雄の養女)
(2)慶喜の子女
慶喜の子女で成人したのは13人である。
三女 鉄子は、慶喜がかつて当主だった一橋徳川家の達道に嫁いだ。子に恵まれなかったため、慶喜の兄慶篤の孫宗敬を養子に迎えた。その妻には、池田仲博(慶喜五男)の娘幹子を迎えた。仲博の養父輝知は、慶喜の兄慶徳の子で、この池田家は元鳥取藩主。
長女 鏡子:【1873~1893】 生母不明。(田安)徳川達孝夫人。
四男 厚:【1874~1930】 生母お幸。徳川宗家から分家し男爵。
三女 鉄子:【1875~1921】 生母お信。(一橋)徳川達道夫人。
四女 筆子:【1876~1907】 生母お幸。侯爵 蜂須賀正韶夫人。
五男 仲博:【1877~1948】 生母お信。従兄の侯爵 池田輝知の婿養子。夫人は輝知の娘亨子。
七女 浪子:【1880~1954】 生母お幸。男爵 松平斉夫人。
八女 国子:【1882~1942】 生母お幸。子爵 大河内輝耕夫人。
十女 絲子:【1883~1953】 生母お幸。侯爵 四条隆愛夫人。
十一女 英子:【1887~1924】 生母お信。公爵(水戸)徳川圀順夫人。
九男 誠:【1887~1968】 生母お幸。慶喜家から分家し男爵。
十男 精:【1888~1932】 生母お信。伯爵 勝海舟の養子。夫人は海舟の孫娘 伊代子。
参考文献:
日本人名大辞典(講談社)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。