こんにちは、勘矢です。
1. 田安徳川家
幕末の当主亀之助は徳川慶喜の跡を継いで徳川宗家を相続して家達と改名した。田安家は実父で隠居の慶頼が再相続した。慶頼は江戸城開城の際、謹慎中の慶喜にかわり市中の秩序維持につとめた。その子達孝のときに伯爵。
田安 慶頼(よしより)【1828~1876】
田安斉匡の九男。
徳川 達孝(さとたか)【1865~1941】
田安慶頼の四男。
徳川 達成(さとなり)【1899~1961】
徳川達孝の長男。
1941年に家督相続。海軍技術大佐。
夫人:戸田氏秀の二女 元子(旧大垣藩主家)。
2. 一橋徳川家
徳川 茂栄(もちはる)【1831~1884】
夫人:二本松藩主 丹羽長富の五女 政子。
徳川 達道(さとみち)【1872~1944】
徳川茂栄の子。
徳川 宗敬(むねよし)【1897~1989】
水戸徳川家 徳川篤敬の二男。
3. 清水徳川家
幕末の当主昭武は将軍徳川慶喜の名代としてパリ万博に参加し、1868年に実兄の水戸藩主 徳川慶篤の急逝により帰国して水戸家を相続したため当主不在となった。1870年に昭武の甥で慶篤の二男篤守が名跡を相続した。1884年に伯爵となるも1899年に爵位返上した。
その子好敏は航空機・軍用機操縦のパイオニアとなり、その功を認められて男爵を授けられた。
徳川 篤守(あつもり)【1856~1924】
夫人:小笠原忠幹の二女 登代子(旧小倉藩主家。離縁)。
徳川 好敏(よしとし)【1884~1963】
徳川篤守の長男。
1910年に東京代々木の練兵場においてアンリ・フォルマン機をかって日本人飛行士として初めて航空機で空を飛んだ。1912年には埼玉県の所沢飛行場から代々木練兵場までの32キロを飛んだ。
1928年に男爵、1935年に陸軍中将となった。その後、陸軍航空士官学校校長となった。
夫人:松平忠威の長女 千枝子(旧島原藩主家。忠威の父忠和は斉昭の十六男)。
参考文献:
名門・名家大辞典(東京堂出版)
日本人名大辞典(講談社)
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