探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

長沢松平家

こんにちは、勘矢です。
今回は長沢松平家について調べたことをまとめました。
 
 

1. 長沢松平家

 松平信光の八男といわれる親則が三河国宝飯郡長沢(愛知県豊川市)に住んだことからはじまりとされるが、異説がいくつかあり一定していない。
 政忠の妻は松平清康の娘で、政忠が桶狭間の戦いで戦死すると酒井忠次に嫁いだ。その子康忠は家康の妹矢田姫を娶った。家康の嫡男信康の家老をつとめたが、信康の没後に一時勘気をこうむった。のちに赦され、本能寺の変後の伊賀越えに従い、小牧長久手の戦いに供奉し、1588年に隠居した。
 康直は家康の甥にあたり、1590年徳川家の関東移封で武蔵深谷(埼玉県深谷市)で一万石を与えられた。康直が没すると嫡流は断絶し、その名跡を家康の七男松千代が継いだが早世し、その兄忠輝が継いだ。1602年に下総佐倉四万石となり、わずか40日後に信濃松代十二万石となり、1610年に越後福島六十万石となった。のちに福島城から高田城へ移った。1616年に不行跡や大坂夏の陣の遅参などを理由に改易され、伊勢国朝熊山金剛証寺へ配流され、1618年に飛騨国高山、1626年に信濃国諏訪と移され、以降この地で配流生活を送り92歳で没した。
 
 康忠は康直が没したのち京都に住み、外孫の直信を養子にした。康忠は京都で没し、直信は名跡を継いで三河国御馬村に籠居した。その子昌興は1722年に愁訴して三河国碧海郡中根村の芝地を賜ったが、のちに宝飯郡長沢村に替地を赦されて代々住んだ。
 幕末の忠敏は1863年に浪士取扱講武所剣術教授方出役となり、禄高三百俵。その後、新徴組支配、講武所師範役となった。1864年の長州征伐で、尾張藩へ加り度いとの願いを容れられて師範役を免ぜられた。1868年に清水小普請支配となったが半月弱で辞した。また、忠敏は剣豪だけでなく和歌に堪能であったという。
 
松平 親則(ちかのり)【1437~1461】
 松平信光の子。享年25。
 
松平 政忠(まさただ)【?~1560】
 松平親広の二男。妻は松平清康の娘、政忠戦死ののち酒井忠次と再婚。
 
松平 康忠(やすただ)【1546~1618】
 松平政忠の長男、母は松平清康の娘。享年73。妻は松平広忠の娘 矢田姫。
 
松平 康直(やすなお)【1569~1593】
 松平康忠の長男、母は徳川家康の妹矢田姫。享年25。妻は本多広孝の娘。
 
松平 忠輝(ただてる)【1592~1683】
 徳川家康の六男、母は側室 茶阿の局。享年92。
 武蔵深谷藩主 在職期間:1598(7)~1602(11)
 下総佐倉藩主 在職期間:1602(11)~1603(12)
 信濃松代藩主 在職期間:1603(12)~1610(19)
 越後高田藩主 在職期間:1610(19)~1616(25)
 正室陸奥仙台藩伊達政宗の娘 五郎八姫。
 
 
松平 直信(なおのぶ)【?~?】
 松平忠直の子、母は松平康忠の娘。
 
松平 忠敏 【?~?】
   松平源七郎の子。主悦助、上総介。
 

長沢松平氏系図

高田城

2.旗本長沢松平家(清直系)

(1)旗本:松平三十郎家

 松平親広の五男親清は三河国宝飯郡御馬村にて百貫文の土地を知行した。子の清直は宗家の康直に仕え、のちに忠輝の家老をつとめた。忠輝の改易後、召し返されて三河国内で五千石を与えられた。清須は徳川秀忠に仕えて御書院番となり、上総国内で七百石を知行した。1651年に家督相続するときに七百石を弟親明に分け与えて四千三百石を知行し、元の七百石は収められた。清須は外孫の信実を養子に取ったが無嗣断絶となった。
 清直の二男勝直は1623年に召し出されて御書院番をつとめ、蔵米三百俵を与えられた。駿府定番をつとめ、加増されて千八百石となったが、子の弥平は家督相続してほどなく没して無嗣断絶となった。
 
初代 松平 清直(きよなお)【1584~1651】
 松平親清の長男、母は酒井正親の娘。享年68。
 妻は松平忠輝の家臣 原田権左衛門の娘。
 
二代 松平 清須(きよもち)【?~1667】
 松平清直の長男、母は原田権左衛門の娘。
 1651年に家督相続。
 
三代 松平 信実(のぶざね)【1651~1673】
 旗本中山吉勝の二男、母は松平清須の娘。
 1667年に(17)歳で家督相続。享年23。
 妻は酒井備後守の娘。
 
松平 勝直(かつなお)【1608~1663】
 松平清直の二男、母は原田権左衛門の娘。享年56。
 
 

(2)旗本:松平与一右衛門家

 松平清直の三男親明は1651年に兄清須より七百石を分与された。三代堯賢は二代堯親の子親精が没したため婿養子となった。
 
(寛政年間までの当主)
初代 松平 親明(ちかあきら)【1640~1728】
 松平清直の三男、母は原田権左衛門の娘。
 御書院番。1715年に76歳で隠居。享年89。
 妻は旗本 横田胤松の娘。
 
二代 松平 堯親(たかちか)【1686~1756】
 松平親明の二男、母は横田胤松の娘。
 1715年に30歳で家督相続。御書院番、御先弓頭。1754年に69歳で隠居。享年71。
 妻は旗本 花房正府の娘。
 
松平 親精(ちかきよ)【1708~1750】
 松平堯親の長男、母は花房正府の娘。御小姓組。父に先立ち没した。享年43。
 妻は代官 池田季隆の娘(離婚)。後妻は久世広氐の娘。
 
三代 松平 堯賢(たかかた)【1730~1770】
 旗本大岡忠征の二男、母は紀伊家の家臣 安藤正尊の娘。この大岡家は大岡越前の一族。
 1754年に25歳で家督相続。御書院番。享年41。
 妻は松平堯親の養女(堯親の子親精の娘)。後妻は平野長好の娘。
 
四代 松平 堯好(たかよし)【1754~1771】
 松平堯賢の長男、母は松平堯親の養女。
 1770年に17歳で家督相続。享年18。
 
五代 松平 堯隣(たかちか)【1758~?】
 松平堯賢の二男、母は松平堯親の養女。
 1771年に14歳で家督相続。御書院番。1790年に33歳で隠居。
 
六代 松平 親悦(ちかよし)【1770~?】
 旗本 山田正勝の三男、母は松平堯賢の娘。
 1790年に21歳で家督相続。御書院番
 
 

3.旗本長沢松平家(親宅系)

(1)旗本:松平銕三郎家

 松平勝宗の二男宗忠の流れで、親宅の二男親正は1629年に召し出されて代官となり、蔵米五百俵を与えられた。1697年に三代親茂は蔵米から知行地に改められ、常陸国内で五百俵となった。
 
(寛政年間までの当主)
初代 松平 親正(ちかまさ)【1595~1669】
 松平親宅の二男。代官。1666年に72歳で隠居。享年75。
 妻は従兄弟 松平重忠の娘。
 
二代 松平 親茂(ちかしげ)【1615~1675】
 松平親正の二男。1666年に52歳で家督相続。代官。享年61。
 妻は井上氏の娘。
 
三代 松平 親安(ちかやす)【1643~1702】
 松平親茂の長男、母は井上氏の娘。1675年に33歳で家督相続。代官。享年60。
 妻は旗本 杉田直昌の娘。
 
四代 松平 安永(やすなが)【1664~1732】
 松平親安の長男、母は杉田直昌の娘。
 1702年に39歳で家督相続。大番。1727年に64歳で隠居。享年69。
 
五代 松平 親次(ちかつぐ)【1701~1760】
 松平安永の長男。1727年に27歳で家督相続。1755年に55歳で隠居。享年60。
 
六代 松平 親興(ちかおき)【1719~1778】
 松平親次の長男。1755年に37歳で家督相続。大番。享年60。
 
七代 松平 親善(ちかよし)【1762~?】
 松平親興の長男。1778年に17歳で家督相続。妻は旗本松下長房の娘。後妻は永田清行の養女(長谷川藤光の娘、離婚)。
 

旗本長沢松平氏系図

(2)旗本:松平銕蔵家

 松平親正の三男正周は1663年に召し出されて代官となり、蔵米三百俵を与えられた。三代正尹は1713年に加増されて四百俵となった。
 
(寛政年間までの当主)
初代 松平 正周(まさちか)【?~1683】
 松平親正の三男。代官。妻は旗本三浦直賢の娘。
 
二代 松平 正勝(まさかつ)【?~1687】
 松平正周の二男、母は三浦直賢の娘。1683年に家督相続。大番。
 
三代 松平 正尹(まさただ)【1671~1739】
 松平正周の三男、母は三浦直賢の娘。
 兄の養子となり1687年に17歳で家督相続。大番、西ノ丸御裏門番頭。享年69。
 妻は旗本 窪田久供の娘。後妻は旗本杉原直精の娘。
 
四代 松平 正員(まさかず)【1702~1742】
 旗本 赤井浄幸の三男。1739年に38歳で家督相続。御書院番。享年41。
 妻は旗本 鈴木重頼の娘。
 
五代 松平 正木(まさしげ)【1725~1781】
 松平正尹の二男。義兄正員の養子となり、1742年に18歳で家督相続。大番。享年57。
 妻は旗本 岩瀬忠香の娘。後妻は旗本 鈴木政直の娘(先代正員妻の姪)。
 
六代 松平 正意(まさもと)【1758~?】
 旗本 川口長世の二男、母は川口長達の養女。1781年に24歳で家督相続。大番。
 妻は松平正木の養女(旗本 多田正峯の娘)。
 
 

4. 旗本長沢松平家(信重系)

(1)旗本:松平勘太郎

 松平信宗は宗家の松平康直に仕え、その後松平忠輝の家老となり越後糸魚川で二万石を領した。その子信直も同じく忠輝の家老となり一万六千五百石を領した。忠輝が改易されると信宗は江戸の傍に幽居し、信直は召し返されて御書院番となり、蔵米千五百俵を与えられた。
 四代信明は1671年に弟信吉に蔵米三百俵を分与して千二百俵となった。信吉は1688年に故あって改易された。五代信伊のとき、蔵米を知行地に改められ下総・伊豆国内で千二百石を知行した。
 幕末の信敏は1863年に大坂町奉行となり、摂海防衛の強化などに尽力した。鳥羽伏見の戦い後、徳川慶喜大坂城脱出に随従して江戸に戻り勘定奉行となったが、間もなく職を解かれた。
 
(寛政年間までの当主)
松平 信宗(のぶむね)【1538~1628】
 松平信次の長男。享年91。
 
初代 松平 信直(のぶなお)【?~1645】
 松平信宗の長男。御書院番
 
二代 松平 信勝(のぶかつ)【?~1671】
 松平信直の長男。1645年に家督相続。西ノ丸の御小姓組。妻は旗本 松平(滝脇)正直の娘。
 
三代 松平 信明(のぶあき)【?~1695】
 松平信勝の三男、母は松平正直の娘。1671年に家督相続。御小姓組。妻は生駒主計の娘。
 
松平 信吉(のぶよし)【?~1688】
 松平信勝の四男。桐間番。
 
四代 松平 信尹(のぶただ)【?~1701】
 松平信明の長男、母は生駒主計の娘。1695年に家督相続。御小姓組。妻は万年佐左衛門の娘。
 
五代 松平 信言(のぶとき)【1687~1725】
 松平信明の二男。1701年に15歳で家督相続。御小姓組。享年39。
 妻は旗本 大久保忠行の娘。後妻は旗本 筑紫茂門の娘。後々妻は医家 船橋玄恂の娘。
 
六代 松平 信興(のぶおき)【1712~1776】
 松平信言の長男、母は大久保忠行の娘。
 1725年に14歳で家督相続。御書院番。享年65。
 妻は旗本 小笠原常春の娘。
 
七代 松平 信強(のぶかつ)【1760~?】
 松平信興の長男、母は小笠原常春の娘。
 1776年に17歳で家督相続。御小納戸、御小姓組
 妻は旗本 大久保忠昇の娘。
 
(寛政以降の人物)
松平 信広 【?~1847】
 1847年に御小姓組より御使番。
 
松平 信敏 【?~?】
 1847年に家督相続。御使番、御目付、大坂町奉行
 

旗本長沢松平氏系図
 
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
 
参考文献:
 江戸時代全大名家事典(東京堂出版
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社
 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
 徳川幕臣人名辞典(東京堂出版
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本名字家系事典(東京堂出版
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 徳川将軍家・松平一族のすべて(新人物往来社
 続徳川実紀 第1篇、第2篇、第3篇、第4篇、第5篇(経済雑誌社 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
 寛政譜以降 旗本百科事典 第5巻(東洋書林
 日本人名大辞典(講談社
 東京市史 外編 第3(東京市 編 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。