こんにちは、勘矢です。
今回は近江六角氏について調べたことをまとめました。
1. 六角氏とは
六角氏は、宇多源氏で近江守護の佐々木信綱の三男 泰綱の屋敷が京都の六角東洞院にあったため、六角氏を称しました。弟の氏信は京極を称してともに佐々木氏の主流となり、近江国南半分の守護職を六角氏、北半分の守護職を京極氏がなって支配しました。
義治の弟の高定は江戸幕府の旗本となりましたが、曽孫の代で断絶しました。
2. 六角氏の主要人物
六角 泰綱(やすつな)【1213~1276】
佐々木信綱の三男。六角氏を称し、佐々木氏の嫡流を継いで近江守護となりました。享年64。
六角 頼綱(よりつな)【1242~1310】
六角 時信(ときのぶ)【1306~1346】
六角 氏頼(うじより)【1326~1370】
六角時信の子。足利尊氏に従い、近江守護となりました。享年45。
六角 定詮(さだのり)【?~?】
六角 満高(みつたか)【1369~1416】
六角 満綱(みつつな)【?~1445】
六角満高の子。近江守護。家督を嫡男 持綱に譲るも、これに不服を持った持綱の弟時綱に攻められ自刃しました。
六角 久頼(ひさより)【?~1456】
六角光綱の四男。1445年に幕府の命により還俗し、近江守護となりました。京極持清の支援を受けて兄時綱を滅ぼすも、のちに持清と対立しました。
六角 高頼(たかより)【?~1520】
高頼の娘は、十一代将軍 足利義澄の後妻となりました。
六角 定頼(さだより)【1495~1552】
六角 義賢(よしかた)【1521~1598】
六角 義治(よしはる)【1545~1612】
六角義賢の長男。初名義弼。家督相続後、観音寺城騒動により家臣団の信頼を失いました。父と共に六角氏式目を制定しました。その後、足利義昭を擁した織田信長に攻められ、観音寺城を捨てて流浪し、戦国大名家 六角氏は滅亡しました。享年68。
3. 旗本:佐々木求馬家
初代 佐々木 高定(たかさだ)【1547~1620】
六角義賢の二男、母は畠山佐馬助の娘。
二代 佐々木 高和(たかかず)【1586~1650】
佐々木高定の二男、母は馬淵兵部大輔の娘。
妻は讃岐高松藩主 生駒一正の娘。
三代 佐々木 高重(たかしげ)【?~1680】
佐々木高和の二男。
四代 佐々木 定賢(さだかた)【1675~1681】
佐々木高重の長男。
1680年にわずか6歳で相続するも翌年早世したため絶家となりました。享年7。
※旗本各家の家名は寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
参考文献:
日本名字家系事典(東京堂出版)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。