探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて書いていきます。

大垣藩分家の旗本戸田一族

こんにちは、勘矢です。
前回(美濃大垣藩 戸田家と三河畑村藩 戸田家 - 探検!日本の歴史)の続きで、大垣藩戸田家から分家した戸田一族について調べたことをまとめました。
 
 

1. 旗本戸田家

 戸田氏信の五男氏広は、兄氏西より新田二千石を分与され分家となりました。幕末の氏著は、一橋家の家老をつとめました。
 戸田氏定の二男定候は、兄氏長より廩米五千俵を分与され分家となりました。
 

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大垣藩系 旗本戸田氏の略系図

2. 旗本家当主一覧

(1)旗本:戸田伊三郎家

初代 戸田 氏広(うじひろ)【1640~1712】
 戸田氏信の五男、母は牧野忠成の娘。
 1674年(35)に兄氏西から新墾の田二千石を分け与えられ、寄合に列しました。1704年に65歳で隠居しました。享年73。
 
二代 戸田 氏賢(うじかた)【1670~1747】
 大垣藩家臣 戸田信等の二男、母は同家の臣戸田正俊の娘。
 1704年に35歳で相続し、寄合に列しました。享年78。
 
三代 戸田 氏亮(うじすけ)【1704~1753】
 大垣藩家臣  戸田三頼の子、母は同家の臣戸田九郎右衛門の娘。
 1747年に44歳で相続し、小普請となりました。享年50。
 妻は旗本 大久保忠因の娘。
 
 氏亮の父三頼の通称が五郎左衛門で、氏鉄の子で家臣になった氏頼の通称も五郎左衛門なので、氏亮は氏頼の子孫ではないかと考えられる。
 
四代 戸田 氏住(うじすみ)【1726~1790】
 遠江掛川藩主 太田資俊の弟で太田資晴の七男。
 1753年に28歳で相続しました。1784年に59歳で隠居しました。享年65。
 妻は旗本 松下長堅の娘、後妻は駿河小島藩主 松平信嵩の娘。
 
 氏住の父資晴の正室大垣藩主戸田氏定の娘であったことから、養子に迎えられたものと考えられます。そのためか、後妻は大名家から迎えています。
 
五代 戸田 氏昌(うじしげ)【1760~?】
 戸田氏住の長男、母は松下長堅の娘。
 1784年に25歳で相続しました。同年御小姓組の番士に列しました。
 1809年(50)に隠居しました。
 妻は旗本 市橋長承の娘。
 
六代 戸田 氏香【?~1819】
 戸田氏昌の養子。
 1809年に相続し、1818年に西の丸小姓組から使番となり、1819年に没したと考えられる。
 
 続徳川実記 第二篇には、文化6年7月22日項「戸田主税助養子西城小姓組織部・・・父致仕して子家つぐもの」、文政元年正月11日項「西城小姓組戸田織部。・・・使番となる。」、文政2年12月27日の項「使番戸田主税助子伊三郎。・・・父死して家つぐもの」とあります。寛政譜によると氏昌の項に「主税」とあり、徳川幕臣人名辞典の戸田氏著の項に「父は使番戸田氏香。伊三郎と称し、・・・」とあるので、織部は氏香のことであり、家督相続後に主税助と改めたと考えられる。
 
七代 戸田 氏著(うじあき)【?~?】
 戸田氏香の子。伊三郎。
 1819年に相続しました。
 1825年に小普請から西の丸御小納戸になりました。1827年に西の丸小姓となり、1837年に徳川家慶が十二代将軍になると本丸小姓にうつり、1841年に使番となりました。1845年に火事場見廻りを兼帯し、翌年目付となり、1850年に日光奉行、1852年に奈良奉行、1858年に普請奉行となりました。
 1859年に一橋家の家老になり、1864年に二条城の御留守居となり、のち大目付となりました。1866年に御留守居となるが、同年に御役御免となって寄合となりました。
 
一橋家の家老についてはこちらをご覧ください。
 
 

(2)旗本:戸田近江守家

初代 戸田 定浩(さだひろ)【1693~1759】
 戸田氏定の三男、母は伊藤氏。
 1732年(40)に兄氏長より廩米五千俵を分け与えられ、寄合に列しました。翌年、御小姓組の番頭になりました。1737年(45)に西の丸御書院の番頭にうつり、1746年(54)に大番の頭に転じ、1750年(58)に御留守居に進み、1757年(65)に職を辞しました。享年67。
 
戸田 定候(さだとき)【1721~1749】
 戸田定浩の長男。
 1749年(29)父に先立ち没しました。享年29。
 妻は旗本 小笠原政登の娘。
 
二代 戸田 氏紹(うじつぐ)【1743~1779】
 戸田定候の長男、母は小笠原政登の娘。
 1759年に17歳で相続しました。1768年(26)に中奥の御小姓となりました。1777年(35)に御小姓組の番頭に進みました。享年37。
 妻は伊勢長島藩主 増山正贇の娘(離婚)。
 
三代 戸田 氏澄(うじずみ)【1766~?】
 戸田氏紹の長男。
 1779年に14歳で相続しました。
 妻は美濃大垣藩 戸田氏教の養女(旗本 戸田氏永の娘<戸田阿波守家>)。
 
四代 戸田 氏有【?~?】
 戸田氏澄の子。
 1811年に相続しました。
 妻は美濃大垣藩主 戸田氏庸の娘 整(離別)。
 
五代 戸田 氏永【1835~1853】
 戸田氏庸の七男。十三郎。
 義兄氏有の養子となり、1846年(12)に相続しました。享年19。
 
六代 戸田 氏寛【1842~1914】
 戸田氏正の三男。
 1853年(12)に叔父氏永の養子となり、1854年に13歳で相続し、寄合に列しました。享年72。
 
 
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
 
参考文献:
 寛政重修諸家譜国立国会図書館デジタルコレクション
 徳川幕臣人名辞典(東京堂出版
 江戸大名家血族事典(新人物往来社
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本名字家系事典(東京堂出版
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 大垣市史 上巻(国立国会図書館デジタルコレクション
 寛政譜以降 旗本百科事典 第3巻(東洋書林) 
 続徳川実記 第二篇(国立国会図書館デジタルコレクション
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。

美濃大垣藩 戸田家と三河畑村藩 戸田家

こんにちは、勘矢です。
今回は美濃大垣藩戸田家とその分家畑村藩戸田家について調べたことをまとめました。
 
 

1. 大垣藩系戸田氏とは

 大垣藩の戸田氏、信濃松本藩の戸田家や下野宇都宮藩の戸田家と同族であるが、系図上のつながりは不明である。
 戸田一西は、徳川家康が関東に移ったときに武蔵国高麗郡(埼玉県川越市)で五千石を与えられ、関ケ原の戦いの翌年に近江大津(滋賀県大津市)三万石を与えられ、さらに翌年大津から少し離れた膳所に居所を移しました。その子氏鉄は摂津尼崎(兵庫県尼崎市)五万石を経て、美濃大垣(岐阜県大垣市)十万石を与えられました。
 氏英以降、御料地(天領)を順次預けられ、累計八万八千余石に及びました。また、氏英は奏者番をつとめ、養子の氏教は奏者番寺社奉行側用人を経て、老中をつとめました。幕末の氏正は水戸藩徳川斉昭と親交があり、尊王派の大名として知られました。
 戸田氏鉄の子氏経は、二代将軍徳川秀忠の御小姓となり、三河国渥美郡内で千五百石を与えられ、のちに兄氏信から美濃国大野郡内の新墾田を分知され、六千二百石となりました。三代氏成のときにさらに分知されて一万石となり、三河国渥美郡(愛知県田原市)の畑村に陣屋を置いて立藩しました。大垣新田藩または畑村藩といいました。明治維新後に美濃国揖斐郡岐阜県揖斐郡)の野村に本拠を移して野村藩となりました。
 

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大垣藩系戸田氏略系図
 
 

2. 大垣藩戸田家 藩主一覧

初代 戸田 一西(かずあき)【1541~1602】
 戸田氏光の子。
 1575年(35)の長篠の戦いでは酒井忠次の麾下として働き、その後の遠江小山城攻防戦では武田軍を破って戦功を立てました。1590年(50)の小田原の陣では、小田原城の支城伊豆山中城の攻略で一番乗りの軍功をあげました。徳川家康が関東に移ったときに武蔵国高麗郡(埼玉県川越市)で五千石を与えられました。
 関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠軍に従いました。1601年(61)に近江大津で三万石を与えられ、翌年、膳所城を築いて移りました。享年62。
 正室は真木氏常の娘。
 
二代 戸田 氏鉄(うじかね)【1576~1655】
 戸田一西の長男、母は真木氏常の娘。
 関ヶ原の戦いに参陣し、1602年(27)に近江膳所藩を相続しました。大坂の両陣の際には膳所城を守備し、1616年(41)に二万石を加増されて摂津尼崎 五万石へ転封となりました。1635年(60)に五万石を加増されて美濃大垣 十万石となりました。
 1637年(62)に島原の乱が起こると、老中松平信綱とともに出陣して戦功を立てました。また、新田開発の奨励によって新田高一万三千石の増収をあげました。1651年に76歳で隠居しました。享年80歳。
 正室は松平(戸田)康長の娘。母は徳川家康の養妹松姫。
 

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戸田氏鉄の銅像大垣城
 
三代 戸田 氏信(うじのぶ)【1599~1681】
 戸田氏鉄の長男、母は松平(戸田)康長の娘。
 1651年に53歳で美濃大垣藩を相続しました。1655年(57)に弟の氏経・氏照に各四千石、氏利に五千石をいずれも新田から分与しました。1671年に73歳で隠居しました。享年83。
 正室越後長岡藩主 牧野忠成の娘。
 
四代 戸田 氏西(うじあき)【1627~1684】
 戸田氏信の長男、母は牧野忠成の娘。
 1671年に45歳で美濃大垣藩を相続しました。1680年(54)に藩財政が困難なことから家中改革を断行し、「延宝の大暇」と呼ばれるリストラを行いました。享年58。
 正室は伊勢鳥羽藩主 内藤忠政の娘 貞凉院。
 
鳥羽藩内藤家についてはこちらをご覧ください。
 
五代 戸田 氏定(うじさだ)【1657~1733】
 戸田氏西の長男、母は内藤忠政の娘。
 1684年に28歳で美濃大垣藩を相続しました。1688年(32)に弟氏成に新田三千石を分与しました。1694年(38)に飛騨国検地総奉行をつとめました。1701年(45)に従弟の播磨赤穂藩浅野長矩の刃傷事件に連座して、一時出仕をとどめられました。翌年、諸役人の大幅な交代を図るなどの藩政改革を行いました。1723年に67歳で隠居しました。享年77。
 正室は下総古河藩主 松平(藤井)信之の娘。
 
赤穂藩浅野家についてはこちらをご覧ください。
 
六代 戸田 氏長(うじなが)【1687~1735】
 戸田氏定の二男、母は松平(藤井)信之の娘。
 1723年に37歳で美濃大垣藩を相続しました。享年49。
 正室肥前唐津藩主 土井利益の娘。
 
七代 戸田 氏英(うじひで)【1729~1768】
 戸田氏長の子、母は側室 中村氏。
 1735年にわずか7歳で美濃大垣藩を相続しました。1747年(19)に「延享の永御暇」と呼ばれるリストラを行いました。1758年(30)に奏者番となり、その後寺社奉行を兼任しました。享年40。
 正室は下総佐倉藩主 堀田正亮の娘。
 
八代 戸田 氏教(うじのり)【1754~1806】
 上野館林藩主 松平(越智)武元の子、母は側室 種村氏。
 1766年(13)に氏英の婿養子となりました。1768年に15歳で美濃大垣藩を相続しました。1773年(20)に飛騨国でおきた大原騒動に藩士を出兵させて鎮圧しました。
 1789年(36)に奏者番となり、その後寺社奉行を兼任しました。翌々年、側用人を経て老中に就任し、松平定信のもとで寛政の改革に取り組みました。老中の在職は十五年余りと長期間つとめました。享年53。
 正室は戸田氏英の娘。
 
 戸田氏教の実父は老中を務めた松平(越智)武元で、水戸徳川家の分家常陸府中藩主 松平頼明の子で、六代将軍徳川家宣の弟松平清武からはじまる越智松平家を相続していました。松平頼明の曽祖父が初代水戸藩徳川頼房徳川家康の末子です。
 家康の異父妹松姫の娘は戸田氏鉄に嫁ぎ、その子孫が氏教妻でした。また、頼房の長男松平頼重土井利勝の娘を正室に迎え、正室の甥利益の娘が氏教妻の祖父の正室でした。
 

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戸田家と徳川・松平家の関係図
 
九代 戸田 氏庸(うじつね)【1783~1841】
 戸田氏教の長男、母は側室 鈴木氏。
 1806年に24歳で美濃大垣藩を相続しました。1838年(56)に藩校致道館(のち敬教館)を創設しました。享年59。
 正室三河畑村藩 戸田氏興の娘。
 
十代 戸田 氏正(うじただ)【1813~1876】
 戸田氏庸の子、母は戸田氏興の娘。
 1841年に29歳で美濃大垣藩を相続しました。1850年(38)に改革派の城代小原鉄心(忠寛)を登用し、藩政の刷新・軍制改革を推進し、強硬な財政整理を断行しました。1853年(41)のペリー来航時、分家の戸田氏栄が浦賀奉行をつとめていた関係から、大垣藩浦賀警固を命ぜられました。水戸藩主の徳川斉昭尾張藩主の徳川慶勝と親交を結びましたが、彼らが謹慎処分になったので、1856年に44歳で隠居しましたが、尊王の立場から藩主の後見をしました。享年64。
 正室薩摩藩島津重豪の娘 種姫。
 
十一代 戸田 氏彬(うじあきら)【1831~1865】
 戸田氏正の長男、母は島津重豪娘。
 1856年に26歳で美濃大垣藩を相続しました。1861年(31)に皇女和宮の降嫁にともなって警備をつとめました。1864年(34)の禁門の変に際しては、長州藩福原越後を破って功を立て、さらに水戸天狗党の西上を防ぎ、越前へ向かわせました。1865年(35)に十四代将軍徳川家茂の警固のため大坂天王寺に出陣中に急死しました。享年35。
 正室は山城淀藩主 稲葉正守の娘。
 
十二代 戸田 氏共(うじたか)【1854~1936】
 戸田氏正の五男。
 1865年に兄の急死により急養子となり、12歳で美濃大垣藩を相続しました。長州藩の再征で周防国の大島などで戦いました。1867年(14)に幕府から大坂警備を命ぜられ、小原鉄心の子兵部が総隊長として、藩兵五百人を率いて出兵するも、十五代将軍徳川慶喜大政奉還したため、藩内は尊王と佐幕の議論に揺れました。新政府から小原鉄心に参与職の内示があり、翌年に拝受したことから藩論は勤王に統一されました。1868年(15)東山道先鋒を命ぜられ、千二百三十七人の藩兵が東山道鎮撫総督 岩倉具定の麾下として大垣を出発し、薩長両藩とともに下野宇都宮城陸奥白河城会津若松城などで戦いました。戦後、新政府より賞典禄三万石が下賜されました。1869年(16)に版籍奉還し、大垣知藩事に任ぜられました。1871年(18)に廃藩置県を迎えました。享年83。
 正室は公家 岩倉具視の娘 極子。
 
 

3. 三河畑村藩 戸田家藩主一覧

(旗本)
初代 戸田 氏経(うじつね)【1603~1681】
 大垣藩主 戸田氏鉄の二男、母は松平(戸田)康長の娘。
 1618年(16)に召されて二代将軍徳川秀忠につかえました。のち御小姓をつとめ、采地を賜り、その後加増されて三河国渥美郡で千五百石を知行しました。1633年(31)に御小姓組の組頭にうつり、同年、三河国額田郡において七百石の加増され、翌年に務めを辞して寄合に列しました。1637年(35)の島原の乱に父に従って出陣しました。1655年(53)に大垣藩主の兄氏信から美濃国大野郡において新墾田四千石を与えられ、合わせて六千二百石を知行しました。1658年(56)に大番の頭となり、1668年(66)に職を辞しました。1672年に70歳で隠居しました。享年79。
 妻は間宮之等の娘。
 
二代 戸田 氏利(うじとし)【1637~1698】
 戸田氏経の長男、母は間宮之等の娘。
 1672年に36歳で相続しました。1688年に52歳で隠居しました。享年62。
 妻は丹波園部藩主 小出英知の娘。
 
(畑村藩主)
初代 戸田 氏成(うじしげ)【1659~1719】
 大垣藩主 戸田氏西の二男、母は内藤忠政娘。
 1684年(26)に氏利の養嗣子となり、1688年に30歳で相続し、大垣藩主の兄氏定から新田三千石を分与され、他に渥美郡内の新田を合わせて一万を領して諸侯に列しました。1701年(43)に従弟の播磨赤穂藩浅野長矩の刃傷事件に連座して、一時出仕をとどめられました。享年61。
 正室は下総関宿藩主 牧野成貞の養女(小谷守栄の娘、徳川綱吉の側室瑞春院の姪、離縁)。
 
二代 戸田 氏房(うじふさ)【1704~1759】
 大垣藩主戸田氏定の五男、母は側室 安田氏。
 1709年(6)に氏成の養嗣子となり、1719年に16歳で三河畑村藩を相続しました。1725年(22)に信濃松本藩主の水野忠恒江戸城松の廊下で長門長府藩毛利師就に刃傷に及んだとき、氏房はすばやく忠恒の腰刀を奪い取り、すみやかに狼藉を鎮めました。1728年(25)に大番頭、1737年(34)に奏者番に任ぜられ、1744年(41)に西の丸若年寄となり、1758年(55)に辞職しました。享年56。
 正室信濃飯田藩主 本多助芳の娘。
 
三代 戸田 氏之(うじゆき)【1734~1771】
 戸田氏房の長男。
 1759年に26歳で三河畑村藩を相続しました。1761年(28)から1770年(37)まで大番頭をつとめました。享年38。
 正室信濃飯田藩主 堀親蔵の娘(離縁)
 
四代 戸田 氏養(うじきよ)【1758~1785】
 戸田氏之の長男。
 1771年に14歳で三河畑村藩を相続しました。享年28。
 
五代 戸田 氏興(うじおき)【1779~1798】
 戸田氏養の長男。
 1785年にわずか7歳で三河畑村藩を相続しました。享年20。
 
六代 戸田 氏宥(うじひろ)【1782~1852】
 旗本 戸田忠諏の三男、母は西郷員総の養女。忠諏の母が氏成の娘。
 1798年に17歳で三河畑村藩を相続しました。1826年に45歳で隠居しました。享年71。
 正室肥前福江藩主 五島盛運の娘。
 
七代 戸田 氏綏(うじやす)【1805~1855】
 大垣藩主 戸田氏教の四男。
 1826年に22歳で三河畑村藩を相続しました。天保年間に大番頭や奏者番を歴任しました。享年51。
 正室大和郡山藩主 柳沢保光の娘。
 
八代 戸田 氏良(うじよし)【1839~1892】
 大垣藩主 戸田氏正の二男。
 1855年に17歳で三河畑村藩を相続しました。1866年(27)の戊辰戦争では宗家と共に新政府方に従い出兵しました。1869年(31)の版籍奉還に際して、これまで大垣藩から廩米三千石を与えられていたことから藩知事に任ぜられませんでした。そこで大垣藩と共に新政府に懇請して、三千石の地を大垣藩から引き渡す官許を得て美濃野村藩を立藩して知藩事に任ぜられました。1871年(32)に廃藩置県を迎えました。享年54。
 正室陸奥二本松藩主 丹羽長富の娘、継室は交代寄合 平野長発の娘、
 
 
参考文献:
 江戸時代全大名家事典(東京堂出版
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 江戸大名家血族事典(新人物往来社
 寛政重修諸家譜国立国会図書館デジタルコレクション
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本名字家系事典(東京堂出版
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。