探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

美作勝山藩三浦氏

こんにちは、勘矢です。
今回は美作勝山藩三浦氏について調べたことをまとめました。
 
 

1. 三浦家歴代藩主

(1)下総矢作藩・下野壬生藩

 美作勝山藩三浦氏は鎌倉時代御家人三浦義村の四男家村の末裔という。戦国時代の正重は三河国碧海郡重原庄に住み、土井利勝の妹と結婚して正次を儲けた。1603年に正重父子は江戸に移り、土井利勝邸に居住した。
 藩祖正次は土井利勝の甥にあたり、1607年に徳川家光に仕え、はじめ土井甚太郎と名乗った。1618年に下総国内で七百八十石を与えられ、翌年に御小姓組頭、翌1620年に土井から三浦に復した。1624年に御書院番組頭となり一千石を与えられ、その後も度々加増されて1630年に一万石となって諸侯に列し、下総矢作藩主となった。
 二代将軍徳川秀忠が没すると、松平信綱阿部忠秋堀田正盛太田資宗阿部重次らと六人衆(のちの若年寄)に任ぜられた。1636年に五千石を加増され、1638年の島原の乱の時には上使として現地に赴いた。翌年に下野壬生(栃木県下都賀郡壬生町)に転封となり、一万石を加増されて二万五千石となった。
 二代安次はわずか9歳で家督相続し、五千石を弟共次に分与したため、二万石を領した。1648年に三代将軍家光が日光社参した帰途に壬生城に宿泊した。1663年には四代将軍家綱が日光社参する際にも壬生城に立ち寄った。
 
 
初代 三浦 正次(まさつぐ)【1599~1641】
 三浦正重の子、母は土井利昌娘。享年43。
 矢作藩主 在職期間:1630(32)~1639(41)
 壬生藩主 在職期間:1639(41)~1641(43)
 正室は旗本 堀直之の娘。
 
二代 三浦 安次(やすつぐ)【1633~1682】
 三浦正次の長男、母は堀直之娘。享年50。
 壬生藩主 在職期間:1641(9)~1682(50)
 正室常陸土浦藩主 朽木稙綱の娘。
 

美作勝山藩三浦氏略系図
 
 

(2)日向延岡藩三河刈谷藩西尾藩

 三代明敬は1686年に奏者番となり、1689年に若年寄に転じたが、三カ月後に奏者番に復した。1692年に遠く日向延岡(宮崎県延岡市)へ転封となり、三千石を加増されて二万三千石となった。1712年には三河刈谷(愛知県刈谷市)に転封となった。
 四代明敬父の隠居により家督相続したが在任わずか2年で没し、子の明次は生まれて間もなかったため、明敬の弟義理が家督相続した。義理は1744年に奏者番、翌年に西ノ丸若年寄に転じ、1747年に三河西尾(愛知県西尾市)に転封となった。1749年に若年寄を辞任した。
 義理は兄明喬の遺児明次を養嗣子とし、以降十代誠次まで明敬系と義理系が交互に相続をした。
 
 
三代 三浦 明敬(あきひろ)【1658~1725】
 三浦安次の長男、母は側室 織田氏。享年68。
 壬生藩主 在職期間:1682(25)~1692(35)
 延岡藩主 在職期間:1692(35)~1712(55)
 刈谷藩主 在職期間:1712(55)~1724(67)隠居
 正室肥前佐賀藩主 鍋島光茂の養女(肥前小城藩鍋島直能の娘)、継室は旗本 田中満吉の娘(満吉の孫のときに京極に復姓)。
 
四代 三浦 明喬(あきたか)【1689~1726】
 三浦明敬の三男、母は田中満吉の娘。享年38。
 刈谷藩主 在職期間:1724(36)~1726(38)
 正室常陸土浦藩主土屋政直の養女(旗本 土屋喬直の娘)、継室は肥前佐賀藩主鍋島吉茂の養女(肥前小城藩主 鍋島元武の娘)。
 
五代 三浦 義理(よしさと)【1696~1756】
 三浦明敬の五男。兄明喬の養子となった。享年61。
 刈谷藩主 在職期間:1726(31)~1747(52)
 西尾藩主 在職期間:1747(52)~1756(61)
 
 

(3)美作勝山藩(前期)

 六代明次は1764年に美作勝山(岡山県真庭市)に転封となった。この地には中世別系の三浦氏が地頭として存在した。その居城が高田城で、戦国時代の貞久は智将と称された人物であったが、病死すると近隣の尼子氏・毛利氏・宇喜多氏による争う地となり、貞久の子 貞勝・貞広兄弟は城を追われた。
 江戸時代初期の頃は津山藩森氏の支配地であったが、森氏が断絶すると幕領となった。高田城を修築するため幕府より四千両を下賜されたが、三の丸に御殿を新築したのみであった。また、高田城から勝山城に改称した。1768年に明次は大坂加番をつとめた。
 七代矩次は藩財政安定のため、領内の新庄村に鉄山経営を奨励し、幕末には藩営となった。また、1774年、1777年に2度大坂加番をつとめた。八代前次は1782年、1792年、1796年と3度大坂加番をつとめた。九代毗次は1824年に大坂加番をつとめた。
 
 
六代 三浦 明次(あきつぐ)【1726~1797】
 三浦明喬の三男、母は鍋島吉茂養女。義兄義理の養子となった。隠居後、其次(ことつぐ)と改名。享年72。
 西尾藩主 在職期間:1756(31)~1764(39)
 勝山藩主 在職期間:1764(39)~1772(47)隠居
 正室は上野高崎藩主 松平(大河内)輝規の娘、継室は日向延岡藩主 内藤政樹の娘。
 
七代 三浦 矩次(のりつぐ)【1747~1780】
 三浦義理の子、母は側室 富永氏。義兄明次の養子となった。享年34。
 在職期間:1772(26)~1780(34)
 正室三河西尾藩主 松平(大給)乗佑の娘。
 
八代 三浦 前次(ちかつぐ)【1757~1817】
 三浦明次の二男、母は側室 榊原氏。義兄矩次の養子となった。享年61。
 在職期間:1780(24)~1816(60)隠居
 正室は志摩鳥羽藩主 稲垣昭央の娘、継室は石見浜田藩主 本多忠敞の娘。
 
九代 三浦 毗次(てるつぐ)【1779~1849】
 三浦矩次の二男、母は松平乗佑娘。義兄前次の養子となった。享年71。
 在職期間:1816(38)~1830(52)隠居
 正室は備後福山藩主 阿部正倫の娘。
 
十代 三浦 誠次(のぶつぐ)【1782~1831】
 三浦前次の子、母は稲垣昭央娘。義兄毗次の養子となった。享年50。
 在職期間:1830(49)~1831(50)
 正室肥前佐賀藩主鍋島斉直の養女(肥前佐賀藩主 鍋島治茂の娘)。
 
 

(4)美作勝山藩(後期)

 十一代峻次は1838年に大坂加番をつとめたが、翌年在任中に没した。十二代義次は凶作に備えて勝山城内に籾蔵を建てた。十三代朗次は越前丸岡藩有馬家からの養子で、三浦家と有馬家は八代三浦前次の継室本多氏を通じた遠縁にあたる。朗次は1850年に大坂加番をつとめた。
 十四代弘次は1863年に大坂加番をつとめた。2度の長州征伐には嫡男顕次を名代として出陣させた。1868年に病気のために隠居した。十五代顕次は1868年に近隣の津山藩備中松山藩との佐幕同盟を一方的に破棄して勤王派に属した。1869年に版籍奉還し、勝山(真島)藩知事に任ぜられ、1871年廃藩置県を迎えた。
 
 
十一代 三浦 峻次(としつぐ)【1821~1839】
 三浦誠次の長男、母は鍋島斉直娘。享年19。
 在職期間:1831(11)~1839(19)
 
十二代 三浦 義次(よしつぐ)【1826~1883】
 三浦誠次の二男、母は側室 岩淵氏。兄峻次の養子となった。享年58。
 在職期間:1839(14)~1848(23)隠居
 許嫁は美作津山藩主 松平斉孝の娘。
 
十三代 三浦 朗次(あきつぐ)【1830~1860】
 越前丸岡藩主 有馬徳純の子。初名純恪。享年31。
 在職期間:1848(19)~1860(31)
 正室は松田勝敬の娘。
 
十四代 三浦 弘次(ひろつぐ)【1827~1886】
 三浦誠次の三男、母は側室 勝野氏。義甥朗次の養子となった。享年60。
 在職期間:1860(34)~1868(42)隠居
 正室は戸村荘嶽の娘。
 
十五代 三浦 顕次(たかつぐ)【1847~1895】
 三浦弘次の長男、母は戸村惣右衛門娘。享年49。
 在職期間:1868(22)~1871(25)※1869年より知藩事
 正室は下総古河藩主 土井利則の娘、継室は下野壬生藩主 鳥居忠挙の娘。
 

三浦氏・有馬氏・本多氏の関係図
 
美作勝山藩下屋敷跡には現在大名時計博物館が建っている。

美作勝山藩下屋敷
 

2. 旗本三浦氏

 三浦正次の二男 共次は、1641年に将軍世子 徳川家綱の御小姓に列し、同年、父の遺領のうち下総・下野・安房国で五千石を分け与えられた。二代便次は定火消、御書院番頭、大番頭をつとめた。三代梐次は定火消、御小姓組番頭、西ノ丸の御書院番頭などをつとめた。1751年に旗本植村千吉の事件で偽証したことにより改易となり、下総古河藩主 本多忠敞に召し預けられ、子の員次は宗家三浦義理に召し預けられた。
 
 
初代 三浦 共次(ともつぐ)【1635~1690】
 三浦正次の二男、母は堀直之の娘。享年56。
 
二代 三浦 便次(やすつぐ)【1671~1727】
 三浦共次の二男、母は水上氏。
 1690年に20歳で家督相続し、1726年に56歳で隠居した。享年57。
 妻は越前敦賀藩主 酒井忠登(のち忠稠)の娘。
 
三代 三浦 梐次(よりつぐ)【1697~?】
 三浦便次の二男、母は酒井忠登の娘。
 1726年に30歳で家督相続し、1751年に絶家。
 妻は旗本 秋元貞朝の娘。
 
 
参考文献:
 江戸時代全大名家事典(東京堂出版
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 江戸大名家血族事典(新人物往来社
 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社
 徳川諸家系譜 第四(続群書類従完成会
 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
 【決定版】図説江戸三百藩 城と陣屋総覧 西国編(学研)
 切絵図・現代図で歩く もち歩き江戸東京散歩(人文社)
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。