探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて書いていきます。

旗本 永井氏1~永井直勝の子直貞の子孫~

こんにちは、勘矢です。
今回は永井直勝の子で分家して旗本となった永井家について調べたことをまとめました。
 
 

1. 旗本永井家

 永井直勝の三男 直貞は徳川家光の誕生後に召されて御小姓となり、その後、四千三百石を知行した。孫の直澄のとき弟の直方に五百石を分け与えた(永井久右衛門家)ので三千八百石となった。直澄の子直朝は弟直洗に四百石を分け与えた(永井千次郎家)ので、三千四百石となった。
 

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旗本永井氏略系図(直貞系)
 
 

2. 旗本永井一族

(1)旗本:永井鉄弥家

初代 永井 直貞(なおさだ)【1598~1668】
 永井直勝の三男、母は阿部正勝の娘。
 1604年(7)に徳川家光が誕生後、召されて御小姓をつとめました。1623年(26)に御小姓組の番頭となり、武蔵国内で千石の知行地を賜り、1626年(29)に父の遺領のうち上総国内の三千三百石を分け与えられて四千三百石となりました。1658年に61歳で隠居しました。享年71。
 妻は旗本 長崎元通の娘。
 
二代 永井 直孟(なおたか)【1626~1675】
 永井直貞の長男、母は長崎元通の娘。
 1658年に33歳で家督相続し、寄合に列しました。翌年、定火消となり、1668年(43)に御書院番の番頭となりました。享年50。
 妻は清水氏の娘。
 
三代 永井 直澄(なおずみ)【1646~1713】
 永井直孟の長男、母は清水氏の娘。
 1675年に30歳で家督相続して三千八百石を知行し、五百石を弟直方に分け与えました。1689年(44)に御書院番の組頭となり、1696年(51)に御小姓番の番頭にすすみ、1708年(63)に御書院番の番頭に転じました。1710年(65)に大番頭となりました。享年68。
 妻は旗本 妻木頼次の娘。初代直貞の義兄が妻木重吉で、重吉の甥の子が頼次。叔母が頼次の妻となっている。
 

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永井・長崎・妻木関係図
 
永井 尚村(なおむら)【1675~1699】
 永井直澄の長男。1689年(15)に御小姓をつとめました。父に先立ち没しました。享年25。
 
四代 永井 直朝(なおとも)【1677~1724】
 永井直澄の二男、母は妻木頼次の娘。
 1713年に37歳で家督相続して三千四百石を知行し、四百石を弟直洗に分け与えました。1719年(43)に小普請組支配となり、1722年(46)に御書院番の番頭となりました。享年48。
 妻は旗本 秋山正輔の娘。
 
五代 永井 直賢(なおかた)【1709~1746】
 永井直朝の長男、母は秋山正輔の娘。
 1724年に16歳で家督相続しました。1736年(28)に火事場見廻をつとめ、翌年中奥の御小姓となりました。享年38。
 妻は大和新庄藩主 永井直円の娘。
 
六代 永井 直富(なおよし)【1730~1786】
 永井直賢の長男、母は永井直円の娘。
 1746年に17歳で家督相続しました。1752年(23)に中奥の御小姓となり、1768年(39)に御小姓組の番頭、1771年(42)に御書院番の番頭となりました。1776年(47)に十代将軍 徳川家治の日光社参に供奉し、1782年(53)に大番頭に移りました。享年57。
 妻は旗本 神保茂映の娘(離婚)。
 
七代 永井 直観(なおみ)【1754~?】
 永井直富の長男。
 1786年に33歳で家督相続しました。
 妻は陸奥三春藩主 秋田延季の娘 利(離縁)、後妻は旗本 近藤英用の娘、後々妻は旗本 亀井玆峯の娘(石見津和野藩の分家)。
 
八代 永井 十之助 【?~1810】
 永井直観の三男。1807年相続。寄合。
 
九代 永井 銈次郎 【?~1823】
 永井十之助の養子。1810年相続。寄合。
 
十代 永井 鉄弥 【?~?】
 永井銈次郎の養子。1823年相続。寄合。1851年に隠居。
 
十一代 永井 直景 【?~?】
 旗本 小笠原頼母の子。通称菊之助、兼之助。
 永井鉄弥の養子となり、1851年に家督相続。1862年に火事場見廻、1865年に使番となり、1866年に御役御免となり勤仕並寄合。
 
 

(2)旗本:永井千次郎家

(寛政年間までの当主)
初代 永井 直洗(なおずみ)【1680~1741】
 永井直澄の三男。
 1713年(34)に父の領地より上総国内で四百石を分け与えられ、小普請となりました。1719年(40)に御小姓組に列し、1737年(58)に西ノ丸の務めとなりました。享年62。
 
二代 永井 直年(なおとし)【1710~1760】
 旗本 永井直朝の二男、母は秋山正輔の娘。
 叔父直洗の婿養子となり、1741年に32歳で家督相続しました。1745年(36)に御小姓組に列しました。享年51。
 妻は永井直洗の娘。
 
三代 永井 直道(なおみち)【1742~1767】
 永井直年の長男、母は永井直洗の娘。
 1760年に19歳で家督相続しました。1764年(23)に中奥の番士となりました。享年26。
 
四代 永井 直虎(なおとら)【1751~?】
 旗本 加藤安当の二男、母は永井直洗の娘。
 母方の従兄直道の養子となり、1767年に17歳で家督相続しました。1774年(24)に御小姓組に列しました。
 妻は旗本 紅林義武の娘(離婚)、後妻は高橋常房の娘、後々妻は旗本 神保武甫の養女(武甫の妹)。
 
(寛政以降の人物)
永井 直義(なおよし)
 永井直虎の長男、母は高橋常房の娘。通称は藤太郎。部屋住のまま没した。
 妻は旗本 大島義周の娘。
 
永井 直正(ちょくせい)
 永井藤太郎の子。通称一学、佐渡守。
 1830年に西ノ丸書院番より小納戸となり、1837年に十一代将軍 徳川家斉の隠居に伴い西ノ丸小納戸となりました。1841年に大御所家斉が没すると本丸小納戸に移り、その後小納戸頭取格となりました。
 1858年に御使番、1859年に先手鉄砲頭となりました。1864年に御役御免、勤仕並寄合となりました。
 
永井 内記
 永井直正の子。通称は万五郎とも。
 1846年に召し出されて小納戸となりました。1851年に西ノ丸小納戸となり、1853年に十二代将軍徳川家慶が没したことにより本丸小納戸となりました。1863年に御役御免、勤仕並寄合となりました。1864年に再度小納戸となり、1866年に御役廃止のため、勤仕並寄合となりました。
 
 

(3)旗本:永井久右衛門家

(寛政年間までの当主)
初代 永井 直方(なおかた)【?~1704】
 永井直孟の二男、母は清水氏の娘。
 1672年に御小姓組に列し、1674年に蔵米三百俵を賜りました。翌年、父の遺領から五百石を与えられ蔵米は収められました。1677年から進物役をつとめ、1690年に故あって小普請に貶され出仕を憚り、翌年赦されて御小姓組に復しました。
 妻は旗本 比企久員の娘。
 
二代 永井 直兼(なおかね)【?~1733】
 永井直方の長男、母は比企久員の娘。
 1704年に家督相続しました。1719年に御小姓組に列し、1728年の八代将軍徳川吉宗の日光社参に供奉しました。
 妻は旗本 秋山正続の娘、後妻は旗本 伊勢貞敷の娘。
 
三代 永井 直著(なおあき)【1721~1756】
 旗本 永井直朝の四男。
 父の従兄弟直兼の養子となり、1733年に13歳で家督相続しました。1745年(25)に西ノ丸御書院に列しました。享年36。
 妻は旗本 内藤忠如の娘(志摩鳥羽藩の分家)、後妻は山王の神職 樹下成実の娘。
 
四代 永井 直定(なおさだ)【1730~1783】
 旗本 永井直洗の二男。
 従兄直著の養子となり、1756年に27歳で家督相続しました。翌年西ノ丸御小姓組に列し、1761年(32)に本丸に移り、翌年西ノ丸に戻り、1779(50)に本丸に勤仕しました。1781年(52)に再び西ノ丸に近侍しました。享年54。
 妻は旗本 杉浦親愛の娘、後妻は旗本 小笠原広封の娘、後々妻は旗本 遠山景信の養女(景信の子 景次の娘)。
 
五代 永井 直休(なおやす)【1754~?】
 旗本 京極高常の二男、母は京極高本の娘。
 直定の婿養子となり、1784年に31歳で家督相続しました。1786年()に御小姓組に列しました。
 妻は永井直定の娘。
 
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
 
参考文献:
 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
 徳川幕臣人名辞典(東京堂出版
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本名字家系事典(東京堂出版
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 三春藩主秋田氏(三春町歴史民俗資料館)
 続徳川実紀 第2篇、第3篇、第4篇第5篇(経済雑誌社 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
 寛政譜以降 旗本百科事典 第1巻、第4巻(東洋書林
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。