探検!日本の歴史

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陸奥窪田藩 土方家とその一族

こんにちは、勘矢です。

今回は陸奥窪田藩 土方家とその一族について調べたことをまとめました。

 

 

1. 窪田藩土方家

(1)越中野々市から下総多古へ

 土方氏は大和国土方村(奈良県)の発祥で、清和源氏頼親流という。戦国時代の信治は織田信長に仕え、1555年に土岐氏との戦いで戦死した。子の雄久は信長の二男信雄に仕え、重用された。小牧長久手の戦い後、尾張犬山四万五千石を与えられた。小田原の陣後に信雄が改易されると、豊臣秀吉に仕えた。

 1599年に雄久・雄氏父子は大野治長共謀して徳川家康の暗殺を企てた嫌疑をかけられ、常陸佐竹義重にあずけられた。関ヶ原の戦いが起こると罪を赦され、家康の命を受けて加賀の前田利長への使者となり、東軍への加担をすすめ、北陸鎮定を援助した。 戦後、越中野々市富山県富山市布市)一万石となり、1604年に加増されて下総国多古一万五千石に移った。

 

初代 土方 雄久(かつひさ)【1553~1608】

 土方信治の子。享年56。

 越中野々市藩主在職期間:1600年(48)~1604年(52)

 下総多古藩主在職期間:1604年(52)~1608年(56)

 正室は長野藤重の娘。

 

(2)陸奥窪田藩

 1609年、雄久の長男雄重は別家していたため、二男の雄重が相続し、大坂の両陣で戦功を立てた。1622年に舅の内藤政長が上総佐貫から加増されて磐城平に転封されたとき、娘婿の雄重も加増されて陸奥国窪田(菊多)二万石に移った。のちに越中の領知は能登国内に移された。

 三代雄次は、鮫川沿岸に五箇村灌漑用水や酒井用水を建設し、新田開発を行った。1679年に病気のため隠居した。

 

 雄次の長男雄信は病弱のため、二男雄隆が相続した。このとき弟雄賀に二千石を分与したので一万八千石となった。1683年に雄隆がはじめて窪田へ赴くとき、世子のなかった雄隆は弟で家臣林家に養子に入っていた貞辰を養子にする旨、幕府に届け出た。しかし、これに反対する家臣から雄信の子内匠を養子に求める申し出があり、一転して内匠が養子となる方針に変更した。

 1684年に貞辰は雄次の正室の弟で筑後松﨑藩主 有馬豊祐に働きかけたが、豊祐は放置したので、幕府大目付に訴え、上野寛永寺に籠って謹慎した。幕府はこれを取り調べ、雄隆の藩政不行届と断定され、除封となった。貞辰は伊勢長島藩 久松松平家、内匠は武蔵久喜藩 米津家、雄信は信濃飯山藩 桜井松平家、雄隆は越後村上藩 榊原家に預けられた。また、有馬豊祐もこの件に連座して除封となった。

 

二代 土方 雄重(かつしげ)【1592~1628】

 土方雄久の二男、母は長野藤重の娘。享年37。

 下総多古藩主在職期間:1609年(18)~1622年(31)

 陸奥菊田藩主在職期間:1622年(31)~1628年(37)

 正室陸奥磐城平藩主 内藤政長の娘。

 

三代 土方 雄次(かつつぐ)【1611~1680】

 土方雄重の長男、母は内藤政長の娘。享年70。

 在職期間:1629年(19)~1679年(69)隠居

 正室陸奥磐城平藩内藤忠興の娘(母の姪)。

 

四代 土方 雄隆(かつたか)【1641~1691】

 土方雄次の二男、母は内藤忠興の娘。享年51。

 在職期間:1679年(39)~1684年(44)

 正室は但馬出石藩主 小出吉重の娘。

 

土方氏略系図(窪田藩系)

窪田藩の屋敷跡(いわき市立勿来第一小学校)

 

2. 旗本土方家

(1)旗本:土方大次郎家

 陸奥窪田藩主土方雄次の三男雄賀は1679年に兄より陸奥国内で二千石を分け与えられ、寄合に列した。1695年に雄賀が隠居したとき、長男保江は千七百石、二男長十郎は三百石を相続した。保江は御書院番をつとめた。長十郎は大番に列し、のち祖母の実家内藤家の分家で、陸奥湯長谷藩主 遠山政徳の養子となり、内藤政貞と改名して相続した。政貞は、映画「超高速参勤交代」の主人公 内藤政醇の父である。

 三代行曹は御小姓組の番士、四代行忠は御書院番の番士、五代雄忠は御書院番、六代雄寿は御小姓組の番士をつとめた。

 

(寛政年間までの当主)

初代 土方 雄賀(かつよし)【?~1711】

 土方雄次の三男、母は内藤忠興の娘。

 

二代 土方 保江(やすみ)【1683~1745】

 土方雄賀の長男。

 1695年に13歳で家督相続。享年63。

 妻は肥後熊本藩 細川家家臣 満田隼人の娘。

 

三代 土方 行曹(ゆきとも)【1712~1759】

 土方保江の長男、母は満田隼人の娘。

 1745年に34歳で家督相続。享年48。

 妻は旗本 渡辺直長の娘。

 

四代 土方 行忠(ゆきただ)【1732~1775】

 土方行曹の長男、母は渡辺直長の娘。

 1759年に28歳で家督相続。享年44。

 妻は旗本 金森可英の娘。

 

五代 土方 雄忠(かつただ)【1758~?】

 土方行忠の二男、母は金森可英の娘。

 1775年に18歳で家督相続、1795年に38歳で隠居。

 妻は旗本 名取信富の娘。

 

六代 土方 雄寿(かつなが)【1769~?】

 土方行忠の三男、母は金森可英の娘。

 兄雄忠の養子となり、1795年に27歳で家督相続。

 妻は旗本 遠藤常郷の娘。

 

(2)旗本:土方八十郎家

 織田家家臣の佐久間信盛に仕えていた清水家勝の子勝直は、母方の叔父にあたる土方雄久に属したのち、豊臣秀次に仕えて土方氏を称した。文禄の役では加藤嘉明に属して勇戦し、関ヶ原の戦いでも功をたてた。その後、家康の四男松平忠吉に仕え、1609年に徳川秀忠に仕えて御書院番となり、五百石の領知を賜った。大坂の陣後に千石を加増され、1625年に上総国内で新墾田を合わせて千五百六十石余を知行した。

 

初代 土方 勝直(かつなお)【1574~1643】

 清水家勝の長男、母は土方信治の娘。享年70。

 妻は小笠原氏の娘。

 

二代 土方 勝次(かつつぐ)【1623~1652】

 土方勝直の長男、母は小笠原氏の娘。

 1643年に21歳で家督相続。御書院の番士。享年30。

 妻は高家 大沢基重の娘。

 

三代 土方 秀勝(ひでかつ)【?~1683】

 土方勝次の長男、母は大沢基重の娘。

 1652年に家督相続。御書院番駿府城守衛。

 妻は伊勢菰野藩主 土方雄氏の子 土方氏久の娘。

 

四代 土方 勝長(かつなが)【?~1729】

 土方秀勝の長男、母は土方氏久の娘。

 1684年に家督相続。御小姓組

 妻は旗本 中山勝阜の娘。

 

五代 土方 勝満(かつみつ)【1701~1765】

 土方勝長の長男、母は中山勝阜の娘。

 1722年に22歳で家督相続。御小姓組。享年65。

 妻は旗本 河野通休の娘。

 

土方 勝美(かつよし)【1733~1764】

 土方勝満の長男。西ノ丸御書院の番士。父に先立ち没す。享年32。

 

六代 土方 勝芳(かつよし)【1744~1791】

 土方勝満の二男。

 1765年に22歳で家督相続。御先鉄砲頭、普請奉行。享年48。

 

土方 勝幼(かつわか)【1754~1782】

 周防徳山藩主 毛利広豊の十三男。御書院番。父に先立ち没す。享年29。

 妻は土方勝芳の養女(土方勝美の娘)。

 

 七代勝政は六代勝芳の養子となって1791年に家督相続し、1793年に御小姓組に入り、1796年には徳川家慶付きとして西ノ丸の御小姓組に移った。1813年に御使番となり、1817年に御目付、1821年には長崎奉行となった。1827年に西ノ丸御留守居となり、翌年に勘定奉行となった。1830年からは勝手方をつとめ、1836年に病気により職を辞し、しばらくのち隠居した。

 九代勝敬は1838年家督相続し、1846年に御使番、1861年に御先手鉄砲頭となり、外国人旅宿の見廻りを命じられた。1862年に火付盗賊改へ転じるが、1863年には御先手鉄砲頭を再役となった。1864年に作事奉行となるが、間もなく最後の浦賀奉行となった。1868年4月に新政府の浦賀奉行所接収に立ち会い、5月に御役御免、勤仕並寄合となった。7月に病気を理由に隠居し、家督を惣領猪三郎に譲り、上総国長柄郡東浪見村に帰農した。

 

七代 土方 勝政(かつまさ)【1773~?】

 旗本 戸田勝愛の六男、母は渡辺久龐の娘。八十郎、宇源太、出雲守。

 1791年に19歳で家督相続。1836年に64歳で隠居。

 妻は旗本 倉橋政翼の娘。

 

八代 土方 勝之(かつゆき)【?~1838】

 土方勝政の子。八十郎。

 1836年に家督相続。中奥番士。

 

九代 土方 勝敬(かつよし)【1818~1885】

 土方勝之の子。広太郎、八十郎、出雲守、安房守。

 1838年に21歳で家督相続。享年68。

 

十代 土方 猪三郎(いさぶろう)【?~?】

 土方勝敬の子。

 

旗本土方氏略系図

※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。

 

参考文献:

 江戸時代全大名家事典(東京堂出版

 日本史諸家系図人名事典(講談社

 江戸大名家血族事典(新人物往来社

 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社

 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)

 徳川幕臣人名辞典(東京堂出版

 名門・名家大辞典(東京堂出版

 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社

 続徳川実紀 第2篇、第3篇(経済雑誌社 / 国立国会図書館デジタルコレクション)

 寛政譜以降 旗本百科事典 第4巻(東洋書林

 江戸五百藩 ご当地藩のすべてがわかる!(中央公論新社

 近世いわきの藩展Ⅳ-泉藩・窪田藩-(いわき市考古資料館 平成二十九年度 第一回企画展)

 

それでは、今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございます。