こんにちは、勘矢です。
今回は奥平松平家について調べたことをまとめました。
1. 武蔵忍藩奥平松平家
(1)家康の養子、要地を治める
奥平信昌の四男忠明は1588年に次兄家治と共に外祖父徳川家康の養子となり、松平姓を下賜された。1592年に次兄家治が没するとその遺領の上野国多古郡内七千石を相続した。1600年の関ヶ原の戦いに従軍し、1602年に一万石を加増されて旧領三河作手で一万七千石を領した。
1610年に伊勢亀山に転封となり、1614年に三兄で美濃加納藩主の忠政が没し、その代わりに西濃諸藩軍を率いて大坂冬の陣に出陣した。翌年の夏の陣後、十万石で大坂に入ると大坂の復興につとめた。1619年に二万石加増で大和郡山十二万石となり、1632年に三代将軍家光から井伊直孝とともに幕府の大政に参与することを命ぜられた。1639年に播磨姫路十八万石となった。
初代 松平 忠明(ただあきら)【1583~1644】
奥平信昌の四男、母は徳川家康長女亀姫。初名清匡(きよただ)。享年62。
三河作手藩主 在職期間:1602年(20)~1610年(28)
伊勢亀山藩主 在職期間:1610年(28)~1615年(33)
摂津大坂藩主 在職期間:1615年(33)~1619年(37)
大和郡山藩主 在職期間:1619年(37)~1639年(57)
播磨姫路藩主 在職期間:1639年(57)~1644年(62)
継室は和泉岸和田藩主小出吉政の娘。
(2)忠弘の後継者問題
初代忠明が没すると、幕府より長男忠弘に姫路十五万石、二男清道に姫路新田三万石を分与する上意があった。しかし、清道は同年に早世したため所領は収公された。忠弘は1648年出羽山形、1668年に下野宇都宮、1681年に陸奥白河に転封となった。
忠弘の嫡男清照は病弱のため廃嫡となり、1681年に肥前唐津藩主 松平乗久の長男乗高が忠弘の婿であることから養子となり忠尚と改名した。しかし、忠尚は藩内での評判が悪く、騒動になりかねない状況なったため世子から外され、清照の子忠雅が嫡孫承祖となった。1688年に忠尚は白河新田二万石を与えられて分家した。
1692年に藩内抗争が五代将軍綱吉の知ることになり藩政不行届の故をもって閉門となり、その後赦されて出羽山形十万石に転封となったがまもなく致仕した。
二代 松平 忠弘(ただひろ)【1631~1700】
松平忠明の長男、母は側室 三好氏。初名清良(きよよし)。享年70。
播磨姫路藩主 在職期間:1644年(14)~1648年(18)
出羽山形藩主 在職期間:1648年(18)~1668年(38)
下野宇都宮藩主 在職期間:1668年(38)~1681年(51)
陸奥白河藩主 在職期間:1681年(51)~1692年(62)
出羽山形藩主 在職期間:1692年(62)隠居
松平 清通(きよみち)【1634~1644】
松平忠明の二男、母は側室 三好氏。享年11。
姫路新田藩主 在職期間:1644年(11)
松平 清照(きよてる)【1652~1686】
松平忠弘の長男。病弱により廃嫡。享年35。
松平 忠尚(ただなお)【1651~1726】
肥前唐津藩主 松平乗久の長男、母は水野忠善の娘。初名乗高、乗守。享年76。

(3)伊勢桑名へ転封
三代忠雅は1700年に備後福山十万石となったが、前年に城下が大火に見舞われた影響があり、忠雅がはじめて国元に入ったのは1709年となった。その翌年に伊勢桑名へ転封となった。桑名ではしばしば洪水に見舞われて不作が続き、藩財政は困窮した。
忠雅の長男忠張と二男は早世し、三男宗純は阿波の蜂須賀家を相続したので、四男忠刻が家督相続した。四代忠刻のときに薩摩藩による木曽三川治水工事が行われたが、完成後もたびたび洪水に見舞われ、藩士の知行地は半減となった。
五代忠啓は兄忠泰が早世したため嫡子となり、父の隠居により家督相続した。城下の大火や大洪水による城の破損により藩財政は悪化し続け、1782年に農民一揆、1784年には大飢饉に見舞われて受難が続いた。
三代 松平 忠雅(ただまさ)【1683~1746】
松平清照の長男、母は安西意水の娘。享年64。
出羽山形藩主 在職期間:1692年(10)~1700年(18)
備後福山藩主 在職期間:1700年(18)~1710年(28)
伊勢桑名藩主 在職期間:1710年(28)~1746年(64)
継室は越後高田藩主 松平定重の娘。
松平 忠張(ただはる)【1720~1738】
松平忠雅の長男、母は毛利綱広の娘。父に先立ち没した。享年19。
正室は松平武元の娘。
四代 松平 忠刻(ただとき)【1718~1782】
松平忠雅の四男、母は側室 関口氏。初名清種(きよたね)。享年65。
在職期間:1746年(29)~1771年(54)隠居
松平 忠泰(ただやす)【1737~1763】
松平忠刻の長男、母は側室 市原氏。父に先立ち没した。享年27。
五代 松平 忠啓(ただひら)【1746~1786】
松平忠刻の二男、母は側室 市原氏。享年41。
在職期間:1771年(26)~1786年(41)

(4)紀州藩と与板藩からの養子
忠啓の嫡男は早世したため、1783年に紀州藩主 徳川宗将の七男頼久が婿養子となり忠功と改名した。六代忠功は藩政改革に取り組むも病気のため在任約7年で隠居した。実弟頼徳が養子となり忠和と改名した。七代忠和は学問の振興などを行い、中興の英主と称された。
八代忠翼は越後与板藩主 井伊直朗の二男で、三代忠雅の曾孫になる。忠和の婿養子となり家督相続し、藩校進脩館を創設した。
六代 松平 忠功(ただかつ)【1756~1830】
紀伊和歌山藩主 徳川宗将の七男、母は伏見宮貞建親王の養女富宮。初名頼久。享年75。
在職期間:1787年(32)~1793年(38)
正室は松平忠啓の娘。
七代 松平 忠和(ただとも)【1759~1802】
紀伊和歌山藩主 徳川宗将の九男、母は側室 植田氏。初名頼徳。享年44。
在職期間:1793年(35)~1802年(44)
八代 松平 忠翼(ただすけ)【1780~1821】
越後与板藩主 井伊直朗の二男、母は側室 吉田氏。享年42。
在職期間:1802年(23)~1821年(42)
正室は松平忠和の養女 周姫(松平忠啓の娘。はじめ忠功の養女)。

(5)武蔵忍へ転封
九代忠尭は家督相続した2年後の1823年に武蔵忍 十万石へ転封となった。突然の転封にあたり、移転費用と借財の返済金を合わせて十万両を桑名の豪商から借り入れした。忠尭は1838年に隠居し、異母弟の忠彦が家督相続するも約4年で没し、さらにその弟の忠国が家督相続した。
十一代忠国が相続した翌1842年に領地の一部を房総半島に移され異国船警備を命ぜられた。上総国富津・竹岡に陣屋を構えたが、1847年に会津藩に引き渡し、ペリー来航時には品川第三台場を警備した。また、安政の大地震による江戸屋敷の倒壊、領内の大洪水による被害により出費が嵩み、幕府からの拝借金を得て急場をしのいだ。
九代 松平 忠尭(ただたか)【1801~1864】
松平忠翼の長男、母は松平忠和養女 周姫。享年64。
伊勢桑名藩主 在職期間:1821年(21)~1823年(23)
武蔵忍藩主 在職期間:1823年(23)~1838年(38)隠居
十代 松平 忠彦(たださと)【1805~1841】
松平忠翼の三男、母は側室 於銀。享年37。
在職期間:1838年(34)~1841年(37)
十一代 松平 忠国(ただくに)【1815~1868】
松平忠翼の五男、母は側室 平野氏。享年54。
在職期間:1841年(27)~1863年(49)隠居

(6)幕末の忍藩
十一代忠国には嗣子がなく、1848年に水戸藩主徳川斉昭の九男昭休を養子に迎え、忠矩と改名した。六代忠功の実家紀州藩は水戸家と縁戚関係にあったことから、子だくさんの斉昭の息子を養子に迎えたのではないかと考えられる。しかし、安政の大獄で実父斉昭が処罰を受けたことから1859年に養子縁組を解消した。
次に養子に迎えたのが秋月藩藩主 黒田長元の五男忠穀で、五代忠啓の娘が黒田家に嫁いでいる縁から養子に迎えられたと考えられる。しかし、養子となった翌年に没してしまったので、三度目の養子探しをしなければならなくなった。
次に選ばれたのは下野烏山藩一族 大久保忠声の長男忠誠で、与板井伊家・彦根井伊家・島原松平家を介した遠縁にあたる。忠誠は1863年に養子になって間もなく忠国の隠居により家督相続した。
十二代忠誠は京都警衛や品川第一台場の警備をつとめ、天狗党の乱にも出兵した。大政奉還後に上洛の命を受けて大坂に到着したが、鳥羽伏見の戦いに遭遇し帰国。新政府軍に恭順するか旧幕府側に与するのかで板挟みになり、先代忠国が主導で新政府軍に恭順を決定した。忍藩は兵糧三千石と藩兵を提供し、東北地方の戦闘に従軍した。
1869年に忠誠は米沢藩主 上杉斉憲の六男忠敬を養子に迎えた。忠敬は家督相続してすぐに版籍奉還し、忍藩知事に任ぜられ、1871年に廃藩置県を迎えた。
松平 忠矩【1839~1899】
常陸水戸藩主 徳川斉昭の九男、母は側室 松波氏。幼名 九郎麿、初名 昭休、のち池田茂政。享年61。
松平 忠穀(ただかた)【1844~1862】
1861年に松平忠国の養子となったが、翌年に没した。享年19。
十二代 松平 忠誠(ただざね)【1840~1869】
下野烏山藩一族 大久保忠声の長男、母は側室 高島氏。享年30。
在職期間:1863年(24)~1869年(30)
十三代 松平 忠敬(ただのり)【1855~1919】
出羽米沢藩主 上杉斉憲の六男、母は讃岐高松藩主 松平頼恕の娘。享年65。

参考文献:
江戸時代全大名家事典(東京堂出版)
江戸大名家血族事典(新人物往来社)
日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社)
寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
名門・名家大辞典(東京堂出版)
続徳川実紀 第4篇(経済雑誌社 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。