探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

丹波綾部藩 九鬼家

こんにちは、勘矢です。

今回は丹波綾部藩 九鬼家について調べたことをまとめました。

 

 

1. 綾部藩九鬼家

(1)江戸前期の藩主

 丹波綾部藩九鬼家は、志摩鳥羽藩主 九鬼守隆の三男隆季からはじまる。父の遺領を弟久隆(長兄良隆の養子)が相続したことから家督争いとなり、幕府の裁定によって分割相続となった。丹波国内で二万石を与えられたが、1661年に五百石を弟隆重に分与したため一万九千五百石を領した。

 二代隆常は父の隠居により家督相続した。風水害や大火に見舞われて、藩財政は困窮した。1698年に参勤交代の途中、三河国池鯉鮒の駅舎において没した。

 

綾部藩九鬼家略系図



 

初代 九鬼 隆季(たかすえ)【1608~1678】

 九鬼守隆の三男。享年71。

 在職期間:1633年(26)~1674年(67)隠居

 正室陸奥窪田藩主 土方雄重の娘。

 継室は遠江横須賀藩主 井上正就の娘。

 

二代 九鬼 隆常(たかつね)【1646~1698】

 九鬼隆季の子。享年53。

 在職期間:1674年(29)~1698年(53)

 正室は近江膳所藩世子 石川廉勝の娘。

 継室は上総飯野藩主 保科正景の娘。

 継々室は丹後田辺藩主 牧野富成の養女(播磨林田藩主 建部政明の娘)。

 

 

(2)江戸中期の藩主

 二代隆常の子隆幸は父に先立ち没したため、松平信綱の孫にあたる隆直を1696年に迎えた。初代隆季の妻は井上正就の娘で姉妹に松平信綱の妻がいる縁から選ばれたものと考えられる。三代隆直が相続した直後に江戸藩邸が類焼し、その他にも天災のため藩財政は極度に悪化した。

 四代隆寛は林田藩建部家の出身で、1712年に隆直の養子となった。二代隆常の3番目の正室牧野富成の養女は、実は建部政明の娘で、富成の姪であった。そのような縁から隆寛が養子に選ばれたのではないかと考えられる。隆寛は養父の隠居によって家督相続し、文治政策に意を注ぎ、藩校進徳館を創設した。頻発する大災害に対して、藩札の発行などの政策を行ったが、藩財政は危機的状況であった。

 

 五代隆貞は五男であるが、1752年に次兄隆恭に替わり嫡子となり、父の隠居により家督相続した。隆貞の嫡子孝次郎は早世したため、飯野藩保科家から隆晁を養子にした。二代隆常の継室が保科家出身だった縁から選ばれたと考えられる。しかし、隆晁も早世したため、時の権力者田沼意次の七男隆祺を婿養子に迎えた。

 六代隆祺は在任7年で領地の綾部で没した。隆祺には正室との間に2人の男子がいたが早世していたため、義弟隆郷が養子となり相続した。七代隆郷の頃もたびたび大火に見舞われ、藩財政は逼迫した。

 

九鬼 隆幸(たかゆき)【1671~1691】

 九鬼隆常の長男。父に先立ち没す。享年21。

 

三代 九鬼 隆直(たかなお)【1687~1752】

 旗本 松平信定の子。享年66。

 在職期間:1698年(12)~1713年(27)隠居

 正室丹波亀山藩主 青山忠重の娘(離婚)。

 

四代 九鬼 隆寛(たかのぶ)【1700~1786】

 播磨林田藩主 建部政周の三男。享年87。

 在職期間:1713年(14)~1766年(67)隠居

 正室は上野沼田藩主 黒田直邦の娘。

 

九鬼 隆英(たかひで)【1715~1746】

 九鬼隆直の二男。兄隆寛の養子となるも先立ち没した。享年32。

 

九鬼 隆恭(たかゆき)【1724~1758】

 九鬼隆寛の二男、母は黒田直邦の娘。病により嫡を辞す。享年35。

 

五代 九鬼 隆貞(たかさだ)【1729~1780】

 九鬼隆寛の五男。享年52。

 在職期間:1766年(38)~1780年(52)

 正室は越前鯖江藩主 間部詮方の娘。

 継室は上野小幡藩主 織田信右の娘。

 継々室は遠江掛川藩主 小笠原長庸の娘。

 

九鬼 孝次郎【1747~1776】

 九鬼隆貞の子、母は小笠原長庸の娘。父に先立ち没す。享年30。

 

九鬼 隆晁(たかあきら)【1762~1779】

 上総飯野藩主 保科正富の三男。父に先立ち没す。享年18。

 

六代 九鬼 隆祺(たかよし)【1765~1787】

 遠江相良藩田沼意次の子。享年23。

 在職期間:1781年(17)~1787年(23)

 正室は九鬼隆貞の娘。

 

七代 九鬼 隆郷(たかさと)【1780~1808】

 九鬼隆貞の子。享年29。

 在職期間:1787年(8)~1808年(29)

 正室伊予吉田藩主 伊達村賢の娘。

 

綾部九鬼家婚姻関係図

 

(3)江戸後期の藩主

 八代隆度はわずか9歳で家督相続し、23歳で隠居した。隠居後は狂歌を嗜んだ。九代隆都は兄の養子となって家督相続した。1840年に農政家佐藤信淵を招聘して農村復興を策した。また、二条在番や大坂加番などを経て1855年講武所総裁に任ぜられた。

 十代隆備は京都警備・丹波口守衛にあたり、1864年禁門の変に際しては京都御所を警備した。大政奉還後は、いち早く山陰道鎮撫総督西園寺公望に帰順した。1869年に綾部知藩事に任ぜられ、1871年廃藩置県を迎えた。

 

八代 九鬼 隆度(たかのり)【1800~1853】

 九鬼隆郷の子。享年54。

 在職期間:1808年(9)~1822年(23)隠居

 正室は鳥居忠燾の娘(離縁)。

 

九代 九鬼 隆都(たかひろ)【1801~1882】

 九鬼隆郷の子。享年82。

 在職期間:1822年(22)~1861年(61)隠居

 正室は上総五井藩主 有馬久保の娘。

 継室は陸奥福島藩主 板倉勝俊の娘。

 継々室は伊勢桑名藩主 松平定永の娘。

 

十代 九鬼 隆備(たかとも)【1834~1897】

 九鬼隆都の長男。享年64。

 在職期間:1861年(28)~1871年(38)1869年より知藩事

 正室信濃松本藩主 松平光庸の娘 孝(離縁)。

 継室は陸奥白河藩主 板倉勝顕の娘(離縁)。

 継々室は中西荘八郎の娘 絲子。

 

綾部城跡

 

2. 旗本九鬼権之助家

 旗本九鬼家は、志摩鳥羽藩主九鬼守隆の四男隆重からはじまる。隆重は、1661年に兄隆季から丹波国内で五百石を与えら寄合に列し、のちに御書院番をつとめた。

 二代隆長は隆重の長男で、御小姓組をつとめた。

 三代隆之は隆重の二男で兄の養子となって家督相続し、御小姓組をつとめた。

 四代隆相は隆長の二男で、義兄隆之の養子となって家督相続し、御小姓組をつとめた。

 五代隆起は、富永勝浄の三男で隆相の妻の弟にあたる。養父の隠居により家督相続し、御小姓組をつとめた。

 

旗本九鬼家略系図



 

※旗本各家の家名は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。

 

参考文献:

 江戸時代全大名家事典(東京堂出版

 日本史諸家系図人名事典(講談社

 江戸大名家血族事典(新人物往来社

 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社

 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)

 名門・名家大辞典(東京堂出版

 日本名字家系事典(東京堂出版

 歴史読本 二〇〇四年十月号 特集 300藩 大名夫人の幕末維新(新人物往来社

 

それでは、今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございます。