探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

公家久我家庶流の幕臣~高家有馬家・一尾家~

こんにちは、勘矢です。

今回は公家久我家支流の幕臣高家有馬家と一尾家について調べたことをまとめました。

 

 

1. 高家有馬修理家

 公家久我通名の二男広益は堀川を称し、1710年に六代将軍家宣に仕えて上野国内で五百石を賜った。1716年に高家となり、1752年に高家肝煎となった。二代広之は1757年に高家となり、1776年に高家肝煎となった。1778年に久留米藩主有馬家と先祖が同じということから有馬に改姓した。

 三代広春は嗣子がなく、母方の親戚の明石藩松平家から直村を養子に迎え、広寿と改名して家督相続した。その子広憲は嗣子がなく、水戸徳川家の分家府中松平家から広衆を婿養子に迎えた。

 明治維新時の広泰は朝廷に帰順し、中大夫席を与えられた。

 

初代 堀川 広益(ひろます)【1694~1756】

 公家 久我通名の子、母は公家 西園寺公満の娘。

 奥高家高家肝煎。享年63。

 妻は天英院の老女秀小路の養女。

 

二代 有馬 広之(ひろゆき)【1733~1790】

 堀川広益の二男、母は天英院の老女秀小路の養女。

 1756年に24歳で家督相続。奥高家高家肝煎。享年58。

 妻は越後長岡藩主 牧野忠寛の養女。

 

三代 有馬 広春(ひろはる)【1767~1801】

 有馬広之の三男、母は牧野忠寛の養女。

 1790年に24歳で家督相続。奥高家。享年35。

 妻は越前勝山藩主小笠原信房の娘。

 

四代 有馬 広寿【1781~1814】

 播磨明石藩主 松平直泰の十一男。初名直村。修理大夫

 1801年に21歳で家督相続。奥高家。享年34。

 

五代 有馬 広憲【?~1848】

 有馬広寿の子。繁丸、兵部大輔。

 1814年に家督相続。奥高家

 妻は播磨明石藩主 松平直周の娘 脩。後妻は出雲母里藩主 松平直方の娘。

 *2人とも広憲の従姉妹にあたる

 

六代 有馬 広衆【1815~1866】

 常陸府中藩主 松平頼説の四男。晋十郎、兵部大輔。

 1848年に家督相続。奥高家

 妻は有馬広憲の娘。

 

七代 有馬 修理【?~1867】

 有馬広衆の子。1866年に家督相続。

 

八代 有馬 広泰【?~?】

 有馬修理の養子。1868年に家督相続。通称次郎。

 

高家有馬家略系図

高家有馬家婚姻関係図

 

 

2. 旗本一尾伊織家

 公家久我晴通の子具尭ははじめ僧となり日勝と称して京の本圀寺にいたが、豊後の戦国大名大友宗麟に招かれて下向し、還俗して三休と改めた。その後、一尾庄に住んだことから子の通春は一尾を家号とした。

 通春は1603年に徳川家康に拝謁し、御給仕番をつとめた。1611年に近江国内で千石を賜った。大坂の両陣に供奉し、その後西ノ丸の御書院番をつとめた。1633年に二百石を加増された。

 二代通尚は父の知行のうち千石を相続し、御書院番に列した。細川忠興(三斎)の家臣津川四郎左衛門に茶湯を学び、三斎流一尾派を創始した。また、竹の花筒、茶杓の政策にすぐれ、琵琶もつくったという。著作に「一尾流之書」。

 通尚には男子なく、甥通命を婿養子とした。通命は1647年に御書院番に列し、蔵米三百俵を賜ったが、1651年に父に先立って没した。通命の子通門は祖父の養子となり、1667年に御書院番の番士となるが早世した。その後、越前大野藩土井家家臣大野家から通定を養子に迎えた。これは通尚の妹が大野家へ嫁いでいること縁によるものと考えられる。

 三代通定は嗣子なく没したため、実弟通俊が末期養子となった。四代通俊も嗣子なく没したため、熊本藩細川家家臣松野家から安通を養子に迎えた。五代安通は御書院番と道奉行をつとめた。安通の二男通度は清水家に仕えた。

 六代通春は西ノ丸の御書院番番士、七代通温は御小姓組、八代通奉は御小姓組の番士をつとめた。

 

(寛政年間までの当主)

初代 一尾 通春(みちはる)【1578~1633】

 久我三休の長男、母は大友義鎮の娘。享年56。

 妻は豊後の戦国大名 大友吉統の娘。後妻は尾張家家臣 玉置高直の娘。

 

二代 一尾 通尚(みちひさ)【1599~1689】

 一尾通春の長男、母は大友吉統の娘。通称伊織、一庵と号した。

 1634年に36歳で家督相続、1684年に86歳で隠居。享年91。

 

 江戸後期の有職家 栗原信充による「肖像集 6」に一尾一庵の肖像画がある。

 

肖像集 6(栗原信充 [画] / 国立国会図書館デジタルコレクション)

肖像集 6 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

一尾流之書 (茶道叢書. 73)(一尾伊織『一尾流之書』,写. / 国立国会図書館デジタルコレクション)

一尾流之書 (茶道叢書. 73) - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

一尾 通命(みちのり)【1627~1651】

 一尾通利の子。享年25。妻は一尾通尚の娘。

 

一尾 通門(みちかど)【?~?】

 一尾通命の子、母は一尾通尚の娘。

 

三代 一尾 通定(みちさだ)【?~1691】

 越前大野藩土井家家臣 大野定秀の子。1684年に家督相続。

 

四代 一尾 通俊(みちとし)【?~1698】

 越前大野藩土井家家臣 大野定秀の子。1691年に家督相続。

 

五代 一尾 安通(やすみち)【1693~1748】

 熊本藩細川家家臣 松野親平の子、母は同家の家臣 吉田庄右衛門の娘。

 1699年にわずか7歳で家督相続。享年56。

 妻は旗本 青山成路の娘。後妻は旗本 朽木尚綱の娘。

 

六代 一尾 通春(みちはる)【1711~1749】

 一尾安通の長男、母は朽木尚綱の娘。

 1748年に38歳で家督相続。享年39。

 妻は旗本 朽木基綱の娘。(通春生母の姪にあたる)

 

七代 一尾 通温(みちあつ)【1733~1789】

 一尾通春の長男、母は朽木基綱の娘。

 1749年に17歳で家督相続。享年57。

 妻は旗本 土屋正方の娘。

 

八代 一尾 通奉(みちとも)【1764~?】

 一尾通温の長男、母は土屋正方の娘。

 1789年に26歳で家督相続

 妻は旗本 曲淵景漸の娘。

 

旗本一尾家略系図



高家有馬家・旗本一尾家関係図



 

※家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。

 

参考文献:

 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)

 徳川幕臣人名辞典(東京堂出版

 名門・名家大辞典(東京堂出版

 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社

 徳川諸家系譜 第三 第四(続群書類従完成会

 続徳川実紀 第1篇、第2篇、第3篇(経済雑誌社 / 国立国会図書館デジタルコレクション)

 寛政譜以降 旗本百科事典 第1巻(東洋書林

 日本人名大辞典(講談社

 増補改訂版 日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本(中経出版

 復古記 第2冊 P436(太政官 編 / 内外書籍 / 国立国会図書館デジタルコレクション)

 

それでは、今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございます。