探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて書いていきます。

旗本 松波氏

こんにちは、勘矢です。
今回は旗本松波氏について調べたことをまとめました。
 
 

1. 松波氏とは

 鎌倉時代の公家 日野資宣の子 忠光(頼宣)が居所としたところに松並木があったことから松並と号したといい、のちに松波にあらためました。
 寛政重修諸家譜の松波の項では、斎藤道三はこの子孫といい、その子政綱が再び松波を称したとなっています。しかし、斎藤道三の子孫 井上氏の系図には、政綱の名は見られないので詳しいことは不明です。
 政綱の子勝直は織田信長に仕え、のちに尾張国に閑居していましたが、小田原の陣の後、徳川家康に仕えて采地六百石を賜りました。
 五つの分家があり、そのうちの勝直の三男政俊の子孫正春は、勘定奉行町奉行大目付をつとめました。
 

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松波氏略系図
 
 

2. 旗本 松波氏

(1)旗本:松波五郎右衛門家

(寛政年間までの当主)
初代 松波 勝直(かつなお)【1541~1607】
 松波政綱の子。
 織田信長に仕え、本能寺の変のあと織田信雄に属し、その後尾張国に閑居しました。
 小田原の陣ののち召されて徳川家康に仕え、武蔵国内に采地六百石を賜りました。1600年(60)に隠居するものちに再び仕え、美濃国内に五百石を賜りました。享年67。
 
二代 松波 勝安(かつやす)【1581~1645】
 松波勝直の長男。
 1596年(16)に徳川家康に仕え、1600年に20歳で相続し、六百石を知行しました。のちに大番、摂津・河内の御代官となりました。享年65。
 妻は松平(三木)重忠の娘。
 
三代 松波 勝令(かつよし)【1625~1706】
 旗本 駒井長成の二男、母は松波勝安の娘。
 1646年に22歳で相続し、御代官をつとめました。1668年(44)に但馬国銀山の御代官となりました。1679年(55)に辞職し、小普請となりました。1703年に79歳で隠居しました。享年82。
 妻は上総佐貫藩世子 松平(能見)勝広の娘。
 
四代 松波 勝正(かつまさ)【1676~1746】
 松波勝令の長男、母は松平勝広の娘。
 1703年に28歳で相続しました。1707年(32)に大番に列しました。1730年(55)に二条御門番の頭に移り、1743年(68)に務めを辞職し、翌年隠居しました。享年71。
 妻は旗本 朝岡國明の養女(朝岡正綱の娘)。後妻は御家人 岩田富保の娘。
 
松波 勝職(かつつね)【?~?】
 松波勝正の長男。父に先立ちで没しました。妻は旗本 松平(能見)勝制の娘。
 
五代 松波 勝春(かつはる)【1712~1780】
 松波勝正の三男。
 1744年に33歳で相続しました。1747年(36)に大番に列し、1776年に組頭にすすみました。享年69。
 妻は旗本 服部保信の娘。後妻は服部保棟の養女(常陸牛久藩世子 山口重治の娘)。
 
六代 松波 政春(まさはる)【1748~1798】
 松波勝春の二男、母は服部保信の娘。
 1778年(31)に御小姓組に列し、1780年に33歳で相続しました。享年51。
 妻は旗本 塩入利峯の娘。
 
七代 松波 勝興(かつおき)【1774~?】
 松波政春の長男、母は塩入利峯の娘。
 1798年に25歳で相続しました。
 妻は旗本 奥山良意の養女(旗本 河野利通の娘)、館林藩松平(越智)家家臣 松倉正挙の娘。
 
 

(2)旗本:松波太兵衛家

(寛政年間までの当主)
初代 松波 勝信(かつのぶ)【?~1676】
 松波勝安の長男、母は松平(三木)重忠の娘。
 1622年に大番に列し、廩米二百五十俵を賜りました。1632年より駿府城を守衛しました。1634年に御勘気を蒙り改易となりました。1651年に赦免されて小普請となり、翌年に廩米二百五十俵を賜り、大番に復しました。
 妻は旗本 駒井昌保の娘。
 
二代 松波 勝好(かつよし)【?~1677】
 松波勝信の長男。
 1667年に大番に列し、1676年に相続しました。1677年に没し、嗣子がないため、絶家となりました。
 
 

(3)旗本:松波平右衛門家

(寛政年間までの当主)
初代 松波 勝吉(かつよし)【1589~1630】
 松波勝直の二男。
 1607年(19)に父が隠居後に賜った美濃国内の采地五百石を相続し、大番をつとめました。享年42。
 
二代 松波 勝重(かつしげ)【1614~1673】
 松波勝吉の長男。
 1627年(14)に大番に列しました。1630年に17歳で相続しました。1633年(20)に下総国内において二百石を加えられ、合わせて七百石を知行しました。のちに下総国内の領地を武蔵国内に移されました。享年60。
 妻は本家 松波勝安の娘。
 
三代 松波 正成(まさなり)【1635~1692】
 松波勝重の長男、母は松波勝安の娘。
 某年に大番に列し、1673年に39歳で相続し、のちに小普請となりました。1675年(41)に大番に復しました。享年58。
 妻は溝口半左衛門の娘。
 
四代 松波 正房(まさふさ)【1683~1746】
 松波正成の長男。
 1692年にわずか10歳で相続しました。1702年(20)に大番に列し、1737年(55)に御勘定の吟味役に転じました。1741年(59)に佐渡奉行に転じ、1743年(61)に長崎奉行に進み、在任中に没しました。享年64。
 妻は松平次保の娘。
 
五代 松波 正英(まさひで)【1722~1793】
 松波正房の長男、母は松平次保の娘。
 1746年に25歳で相続し、のち御書院番となりました。1755年(34)に屋敷改めをつとめ、1763年(42)に御徒の頭に進みました。1776年(55)に十代将軍徳川家治の日光社参に供奉しました。1780年(59)に御先鉄砲の頭に転じました。享年72。
 妻は旗本 佐橋佳遐の娘、後妻は佳遐の二女。
 
六代 松波 正邦(まさくに)【1760~?】
 松波正英の長男、母は佐橋佳遐の娘。
 1791年(32)に御書院番の番士に列し、1794年に35歳で相続しました。
 妻は旗本 大久保忠昌の娘。
 
 

(4)旗本:松波平三郎家

(寛政年間までの当主)
初代 松波 正次(まさつぐ)【1638~1706】
 松波勝重の二男、母は松波勝安の娘。
 1651年(14)に召されて、上野館林藩徳川綱吉に附属されて書院番に列し、のち神田屋敷において小納戸をつとめ、のちに書院番に復しました。
 1680年(43)に世子徳松に従って西ノ丸に勤仕し、廩米二百七十俵を賜りました。1683年(46)に徳松が亡くなると小普請となりました。1686年(49)に桐間番に列し、翌年大番となり、1697年(60)に番を辞職しました。享年69。
 妻は旗本 田沢昌次の娘、旗本 鳥居正次の娘。
 
松波 正仲(まさなか)【1672~1699】
 松波勝重の四男、母は松波勝安の娘。
 兄の養子となり、1693年(22)に大番に列しました。享年28。
 
二代 松波 正惇(まさあつ)【1685~1708】
 鳥居又右衛門の二男、母は市川清右衛門の娘。
 1707年に23歳で相続しました。享年24。
 
三代 松波 正富(まさとみ)【1673~1739】
 旗本 坂部宗信(宗房)の三男、母は鳥居正次の娘。
 1708年に36歳で相続し、のちに大番となりました。1714(42)に新番に進み、1728年(56)に御書物奉行となりました。1734年(62)に御納戸頭に進み、1736年(64)に御船手に転じました。享年67。
 妻は旗本 杉山正直の娘(離婚)。旗本 鳥居信次の娘。
 
四代 松波 正方(まさみち)【1718~1777】
 松波正富の長男、母は鳥居信次の娘。
 1739年に22歳で相続しました。1745年(28)に西ノ丸の御小姓組に列し、1752年(35)に西ノ丸の御書院番に列しました。1772年に55歳で隠居しました。享年60。
 
五代 松波 正温(まさはる)【1751~?】
 松波正方の長男、母は横岡氏。
 1772年に22歳で相続しました。1795年(45)に御小納戸番に列し、翌年新番に転じました。
 妻は旗本 座光寺為雪の養女(為雪の兄為介の娘)。
 
 

(5)旗本:松波貞太郎家

(寛政年間までの当主)
初代 松波 政俊(正俊)(まさとし)【1590~1650】
 松波勝直の三男。
 1609年(20)に大番となり、甲斐国内で三百石を賜りました。1643年(54)に将軍世子徳川家綱に附属され、三ノ丸の番をつとめました。享年61。
 妻は御家人 幸田継治の娘。
 
二代 松波 政治(まさはる)【1617~1679】
 松波政俊の二男。
 1641年(25)に大番に列し、1650年に34歳で相続しました。1661年(45)に采地を常陸国内に移されました。1663年(47)に組頭に進み、廩米二百石を賜りました。享年63。
 妻は旗本 建部直昌の娘。
 
三代 松波 正信(まさのぶ)【1655~1687】
 松波政治の長男、母は建部直昌の娘。
 1678(24)に御小姓組の番士に列し、1680年に26歳で相続しました。享年33。
 
四代 松波 正次(まさつぐ)【1676~1700】
 松波正信の長男。
 1687年に12歳で相続し、小普請となりました。1697年(22)に廩米を改められ、上総国内に二百石を賜りました。享年25。
 妻は旗本 三宅長保の娘。
 
五代 松波 正春(まさはる)【1675~1744】
 三宅直昌の子。
 1700年に26歳で相続しました。1701年(27)に桐間番となり、1704年(30)に御小納戸に進み、1709年(35)に御書院番となり、1718年(44)に御徒の頭に転じました。1724年(50)に御目付に転じ、1728年(54)に小普請奉行となりました。1729年(55)に御勘定奉行となり、1735年(61)に甲府城の御金蔵破りの糾明のために現地に赴きました。翌年、町奉行に転じました。1739年(65)に大目付となり、武蔵国内において五百石を加えられ、合わせて千石を知行しました。享年70。
 妻は旗本 榊原政盛の娘(離婚)、後妻は弓気多昌友の娘。
 
松波 正道(まさみち)【1712~1731】
 松波正春の二男、母は旗本 弓気多昌友の娘。
 1730年(19)に西ノ丸の御書院番に列しました。享年20。
 
六代 松波 正峯(まさみね)【1712~1769】
 松波正春の三男、母は弓気多昌友の娘。兄正道と同年生まれで同母なため双子か。
 1735年に西ノ丸の御書院番となりました。1744年に33歳で相続しました。1753年(42)に御使番に転じました。翌年、故ありて小普請に貶され、出仕を止められました。享年58。
 妻は旗本 芝山正胤の娘、後妻は旗本 高井清房の娘。
 
七代 松波 正方(まさかた)【1745~1774】
 松波正峯の二男、母は高井清房の娘。
 1769年に25歳で相続し、御小姓組の番士に列しました。1771年(27)より進物の役をつとめました。享年30。
 妻は旗本 長田守乾の娘。正方の死後、田安宗武の娘で徳川家治の養女 種姫に仕えました。
 
八代 松波 正武(まさたけ)【1758~?】
 川副頼安の二男、母は笹本忠省の娘。
 1774年に17歳で相続しました。1781年(24)に御書院番に列しました。1785年(28)より進物の役をつとめました。1790年(33)に進物の役をゆるされました。
 妻は旗本 杉浦勝興の娘、後妻は旗本 丸毛利徳の娘。
 
 

(6)旗本:松波太郎兵衛家

(寛政年間までの当主)
初代 松波 友明(ともあきら)【1635~1654】
 松波政俊の三男。
 1647年(13)に召されて小十人に列し、廩米百俵月俸十口を賜りました。享年20。
 
二代 松波 正直(まさなお)【?~1680】
 松波政俊の四男。
 兄の養子となり、1654年に相続し、小普請となりました。1661年に小十人に列し、1673年に新番となり、翌年百五十俵を賜り、月俸は収められました。
 
三代 松波 正嗣(まさつぐ)【1664~1734】
 松波正直の長男。
 1680年に17歳で相続しました。1684年(21)に大番となり、1686年(23)に御腰物奉行となり、1701年(38)に小普請に貶されました。1732年に69歳で隠居しました。享年71。
 妻は原田源兵衛の娘。
 
四代 松波 正庸(まさつね)【1697~1759】
 松波正嗣の長男、母は原田源兵衛の娘。
 1732年に36歳で相続しました。1735年(39)に大番となりました。1757年(61)に番を辞職しました。享年63。
 妻は丹波福知山藩 家臣 有馬凉竹の娘。
 
五代 松波 正粟(まさのり)【1724~1769】
 松波正庸の長男、母は有馬凉竹の娘。
 1759年に36歳で相続しました。翌年大番となり、1765年(42)に番を辞職しました。享年46。
 
六代 松波 正于(まさゆき)【1739~?】
 松波正庸の三男、母は有馬凉竹の娘。
 1769年に31歳で相続しました。翌年大番となり、1791年(53)に番を辞職しました。1793年に55歳で隠居しました。享年55。
 
七代 松波 正容(まさのり)【1764~?】
 旗本 関勝興の四男、母は久下朗寛の娘。
 1793年に30歳で相続しました。
 
 
参考文献:
 寛政重修諸家譜国立国会図書館デジタルコレクション
 徳川幕臣人名辞典(東京堂出版
 家紋・旗本八万騎(秋田書店
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。