探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

仙台藩 伊達家

こんにちは、勘矢です。
前々回(陸奥伊達氏 - 探検!日本の歴史)、前回(戦国伊達氏の政略結婚 - 探検!日本の歴史)と江戸時代以前の伊達氏について書きました。今回は江戸時代の仙台藩 伊達家について調べたことをまとめました。
 
 

1. 仙台藩伊達家

 関ヶ原の戦い後、伊達政宗は居城を岩出山から仙台に移して仙台藩六十万五千石を立藩しました。その後、二度の加増を受けて六十二万石となりました。家臣の知行割について、上級家臣は知行地に城館を構えて家人や組下を住まわせる地方知行制を取りました。
 1613年、イスパニアとの通商交渉のため、藩士支倉常長をメキシコ経由でイスパニアおよびローマに派遣しました(慶長遣欧使節)。しかし、幕府の禁教が強化されたこともあって、目的は達せられませんでした。
 三代綱宗は、幕命によって行った堀普請のときに悪所通いをしたため、幕府より逼塞の命が下りました。そして、わずか2歳の嫡子綱村が四代藩主となると、一門の伊達兵部宗勝、田村宗良が後見役となりました。その後、宗勝は藩政を専制していきました。一門の伊達安芸宗重と伊達式部宗倫の争いが起こると、伊達安芸は宗勝らの非違を幕府に訴えました。1671年に大老 酒井忠清伊達安芸は同席した原田甲斐によって突如斬りつけられて落命しました。 また、原田甲斐も討たれ、宗勝は土佐藩に預けられました(伊達騒動)。
 五代吉村は藩政を改革を行い、中興の祖といわれました。八代斉村から十二代斉邦まで、短命の藩主が続きました。
 幕末の十四代慶邦は、奥羽越列藩同盟に参加して敗れ、蟄居謹慎を命じられました。1868年に二十八万石に減知されて存続を許され、慶邦の子宗基が仙台藩知事となり、2年後に義兄 宗敦に藩知事を譲り、廃藩置県を迎えました。。
 

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仙台藩伊達氏略系図
 
 

2. 仙台藩主一覧

初代 伊達 政宗(まさむね)【1567~1636】
 伊達輝宗の長男、母は最上義守の娘 義姫。
 1600年(34)の関ヶ原の戦い後、居城を仙台に移して仙台藩六十万五千石を立藩しました。1606年(40)に常陸国内で一万石を加増されました。1614年(48)の大坂冬の陣に第一陣として出兵し、翌年の大坂夏の陣にも出陣しました。1634年(68)に近江国内で五千石を加増され、六十二万石となりました。享年70。
 正室は田村清顕の娘 愛姫。
 
 
 
二代 伊達 忠宗(ただむね)【1599~1658】
 伊達政宗の二男、母は田村清顕の娘 愛姫。
 1615年(17)の大坂夏の陣に父と共に出陣しました。
 1636年に38歳で仙台藩を相続しました。享年60。
 正室は二代将軍 徳川秀忠養女(播磨姫路藩池田輝政の娘)振姫。
 
三代 伊達 綱宗(つなむね)【1640~1711】
 伊達忠宗の六男、母は櫛笥隆致娘 貝姫。
 1642年(3)に生母貝姫が没し、忠宗の正室振姫の願いにより養子となり、幕府には振姫の三男として届けられました。
 1658年に19歳で仙台藩を相続しました。1660年(21)に江戸小石川堀普請を命じられてると、自ら普請現場を見廻りましたが、帰途、新吉原の遊女屋で豪遊しました。悪所通いの噂がささやかれ、老中酒井忠清から厳重注意を受け、その後、幕府より逼塞の命が下りました。隠居後は、和歌・書画などを嗜みました。享年72。
 
四代 伊達 綱村(つなむら)【1659~1719】
 伊達綱宗の長男、母は側室 三沢清長の娘 初子。
 1660年にわずか2歳で仙台藩を相続しました。大叔父の伊達宗勝と伯父の田村宗良が後見役をつとめました。伊達騒動が起きたときは、幼少だったため、お咎めはありませんでした。1703年に45歳で隠居しました。享年61。
 正室は相模小田原藩稲葉正則の娘。
 
五代 伊達 吉村(よしむら)【1680~1751】
 一門で宮床領主 伊達宗房の長男、母は片倉景長の娘。
 1696年(17)に綱村の世子が早世したため、養子となりました。1703年に24歳で仙台藩を相続しました。1743年に64歳で隠居しました。享年72。
 正室は公家 久我通誠の養女 貞子。
 
六代 伊達 宗村(むねむら)【1718~1756】
 伊達吉村の四男、母は久我通誠の養女。
 1743年に26歳で仙台藩を相続しました。享年39。
 正室は八代将軍 徳川吉宗の養女(紀州藩徳川宗直の娘)利根姫。
 
七代 伊達 重村(しげむら)【1742~1796】
 伊達宗村の二男、母は側室 坂氏。
 1756年に15歳で仙台藩を相続しました。1772年(31)に学問所養賢堂を創設しました。1790年に49歳で隠居しました。享年55。
 正室は公家 近衛内前の養女 年子。
 
八代 伊達 斉村(なりむら)【1775~1796】
 伊達重村の二男、母は側室 喜多山氏。
 1790年に17歳で仙台藩を相続しました。享年23。
 正室は公家 鷹司輔平の娘 誠子。
 
九代 伊達 周宗(ちかむね)【1796~1812】
 伊達斉村の長男、母は鷹司輔平の娘。
 1796年に父の急死にともなってわずか1歳で仙台藩を相続しました。大叔父の近江堅田藩主 堀田正敦(伊達宗村の八男)が後見役をつとめました。1807年(12)に蝦夷地警備を命じられました。1812年に17歳で病のため隠居しました。享年17。
 正室は十一代将軍 徳川家斉の娘 綾姫。
 
十代 伊達 斉宗(なりむね)【1796~1819】
 伊達斉村の二男、母は側室 喜多山氏。
 1812年に17歳で仙台藩を相続しました。享年24。
 正室紀州藩徳川治宝の娘 信子。
 
十一代 伊達 斉義(なりよし)【1798~1828】
 陸奥一関藩主 田村村資の三男、母は脇坂安親の娘。
 1819年に22歳で仙台藩を相続しました。享年31。
 正室は伊達斉宗の娘 蓁子。
 
十二代 伊達 斉邦(なりくに)【1817~1841】
 一門で登米領主 伊達宗充の長男、母は片倉村典の娘。
 1828年に12歳で仙台藩を相続しました。享年25。
 正室は伊達斉義の娘 徽子。
 
十三代 伊達 慶邦(よしくに)【1825~1874】
 伊達斉義の二男、母は側室 山本氏。
 1841年に17歳で仙台藩を相続しました。1868年(44)に奥羽越列藩同盟が成立するとその盟主となりました。仙台藩会津藩・棚倉藩と共に白河城を守備しましたが、新政府軍によって落城しました。その後、久保田藩などが離脱し、米沢藩が降伏したので、主戦派を抑えて降伏・恭順しました。仙台藩は六十二万石から二十八万石に減知されて存続を許されましたが、慶邦は蟄居謹慎を命じられました。享年50。
 正室は公家 近衛忠熙の養女(公家 鷹司政熙の娘)備子、継室は水戸藩徳川斉昭の娘 八代姫。
 
十四代 伊達 宗基(むねもと)【1866~1917】
 伊達慶邦の四男、母は側室 松岡氏。
 1868年にわずか3歳で仙台藩を相続しました。翌年、版籍奉還して仙台藩知事に任じられましたが、1870年(5)に義兄 宗敦に知藩事を譲りました。1884年(19)に伯爵を授けられました。享年52。
 正室肥前平戸藩主 松浦詮の娘 都子。
 
十五代 伊達 宗敦(むねあつ)【1852~1911】
 伊達宗城の五男、母は側室 武田氏。
 1868年(17)に慶邦の養嗣子となりました。養父慶邦とともに新政府に抵抗したため、謹慎となりました。1870年(19)に義弟 宗基から仙台藩知事を譲られ、翌年に廃藩置県を迎えました。1884年(33)に男爵を授けられました。享年60。
 正室は松根三楽の娘 万喜子。
 
 

3. 仙台藩伊達一族

伊達 宗高(むねたか)【1607~1626】
 伊達政宗の七男、母は柴田氏。
 1626年(20)に兄忠宗に従って江戸に参府して、大御所徳川秀忠・三代将軍徳川家光に拝謁しました。この年の上洛に父兄とともに御供しました。京都で没しました。享年20。
 
伊達 宗勝(むねかつ)【1621~1679】
 伊達政宗の十男、母は側室 多田氏。
 1644年(24)に領内で一万石を与えられて直参の大名となりました。
 1660年(40)に宗家の綱宗が所行紊乱のために隠居・逼塞を命じられると、幼少の綱村の後見役を甥の田村宗良(陸奥岩村藩主)とともにつとめました。このとき、三万石を分与されて一関藩を立藩しました。宗勝は次第に実権を握り、進歩派の家老原田甲斐らと結んで綱村の元服後も藩政を牛耳りました。1671年(51)に伊達騒動が起きると責任を取らされて除封となりました。享年59。
 正室は竹田法印の娘、継室は筑後柳川藩立花宗茂の養女(宗茂の弟 直次の娘)
 
伊達 宗興(むねおき)【1645~?】
 伊達宗勝の長男、母は立花宗茂の養女。
 1671年(27)に父に連座して豊前小倉藩主 小笠原忠雄に召し預けられました。また、3人の子(千之助、千勝、右近)は、伊予吉田藩主 伊達宗純に召し預けられました。
 妻は酒井忠清の養女(公家 姉小路公景の娘で、老中酒井忠清の継室と姉妹)。
 
伊達 光宗(みつむね)【1627~1645】
 伊達忠宗の二男、母は徳川秀忠養女(池田輝政の娘)振姫。
 忠宗の嫡子虎千代が早世すると代わって嫡子となりました。病にて父に先立って没しました。享年19。
 
伊達 茂村(もちむら)【1850~1867】
 田村邦行の二男、母は側室 岡田氏。
 元陸奥一関藩藩主 田村通顕。1863年(14)に仙台藩伊達慶邦の養子となり、伊達茂村と改名しました。しかし、藩主になる前に没しました。享年18。
 
田村氏については、こちらもご覧ください。
 
参考文献:
 江戸時代全大名家事典(東京堂出版
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 読みなおす日本史 陸奥伊達一族(高橋富雄 / 吉川弘文館
 江戸大名家血族事典(新人物往来社
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本名字家系事典(東京堂出版
 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。