探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

戦国伊達氏の政略結婚

こんにちは、勘矢です。
今回は前回(陸奥伊達氏 - 探検!日本の歴史)に引き続き伊達氏をテーマに、稙宗・晴宗父子の政略結婚について調べたことをまとめました。
 
 

1. 伊達氏の政略結婚

 伊達稙宗・晴宗父子は、南奥羽(福島県山形県宮城県)にわたる有力な大名家に子女を送り、何重にも婚姻関係を重ねています。
 

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伊達氏の政略結婚関係図
 
 

(1)伊達氏と蘆名氏

 蘆名氏は、相模国三浦郡蘆名(神奈川県横須賀市)発祥で、源頼朝の奥州征伐で功をあげて会津地方を与えられたことにはじまります。
 
 伊達稙宗は蘆名盛高の娘を妻に迎え、稙宗の娘は盛高の孫 盛氏に嫁ぎました。
 蘆名盛氏の子 盛興は、伊達晴宗の娘を妻に迎えました。盛興が没すると晴宗の娘は二階堂盛義の子 盛隆を婿に迎えて蘆名家を相続させました。
 

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伊達氏と蘆名氏の関係図
 
 

(2)伊達氏と最上氏

 最上氏は、奥州探題斯波家兼の二男兼頼が羽州探題として出羽最上郡山形郷(山形市)下向し、郡名から最上氏を称しました。
 
 伊達稙宗の妹は最上義定に嫁ぎました。義定の養子 義守の娘 義姫は、稙宗の孫 輝宗に嫁ぎ、政宗を儲けました。
 

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伊達氏と最上氏の関係図
 
 

(3)伊達氏と相馬氏

 相馬氏は平将門の後裔。下総の豪族千葉常胤は源頼朝の奥州征伐で功をあげて陸奥国行方郡(福島県相馬郡)を与えられました。常胤の二男師常は相馬師国の養子となって相馬氏を継ぎ、鎌倉時代末期以降に行方郡に下向しました。
 
 伊達稙宗の娘は相馬顕胤に嫁ぎました。顕胤の子 盛胤の娘は、稙宗の孫 亘理重宗に嫁ぎました。盛胤の子 義胤は伊達稙宗の末娘を妻に迎えました。祖父と孫の妻が姉妹という関係です。
 

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伊達氏と相馬氏の関係図
 
 

(4)伊達氏と大崎氏

 大崎氏は足利一族の斯波家兼を初代とし、南北朝時代奥州管領として下向し、土着しました。四代代満詮の頃から大崎と称するようになりました。
 
 伊達稙宗の子 義宣は大崎高兼の娘 梅香姫の婿となり、高兼の弟義直の跡継ぎとされました。しかし、伊達稙宗・晴宗父子が争った天文の乱に稙宗方に属し、晴宗方に属した義直の子 義隆と対立して敗れ、逃亡中に殺害されました。
 義直の娘は最上義光に嫁ぎました。
 

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伊達氏と大崎氏の関係図
 
 

(5)伊達氏と二階堂氏

 二階堂氏の祖 行政は、源頼朝の奥州征伐に従軍して功をあげ、陸奥国岩瀬郡福島県岩瀬郡)を与えられました。頼朝が鎌倉に建てた永福寺(ようふくじ)の堂宇が二階建ての大堂のようだったので、俗に二階堂とよばれ、行政の屋敷はこの近くにあったことから二階堂を称するようになったといわれる。室町時代になって岩瀬郡に下向して土着しました。
 
 伊達稙宗の娘は二階堂輝行に嫁ぎました。輝行の子盛義は晴宗の娘 阿南姫を妻に迎えました。
 盛義の子盛隆は先述したとおり蘆名氏に婿入りしました。盛義・盛隆父子の妻は姉妹という関係です。
 

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伊達氏と二階堂氏の関係図
 
 

(6)伊達氏と田村氏

 坂上田村麻呂の子孫といわれる。
 
 
 伊達稙宗の娘は田村隆顕に嫁ぎました。隆顕の子 清顕は、稙宗の外孫 相馬顕胤の娘を妻に迎え、その娘 愛姫は稙宗の曾孫 政宗に嫁ぎました。
 

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伊達氏と二田村氏の関係図
田村氏については、こちらもご覧ください。
 

(7)伊達氏と岩城氏と佐竹氏

 岩城氏は桓武平氏の一族で、陸奥箇国岩城郡(福島県いわき市)に土着して、岩城を称しました。
 佐竹氏は清和源氏新羅三郎義光を祖とし、孫の昌義のときに佐竹を称し、常陸国佐竹郷(茨城県常陸太田市)を本拠としました。
 
 伊達晴宗は岩城重隆の娘を妻に迎え、長男 親隆は外祖父重隆の養子となりました。親隆の子 常隆は、二階堂盛義の娘を妻に迎えました。常隆は小田原攻めの跡に急死し、盛義の娘はのちに稙宗の孫 伊達成実に再婚しました。
 岩城家は従兄弟の貞隆(佐竹義重の子)が継ぎ、常隆の姪の嫁ぎ先相馬氏の娘を妻に迎えました。
 伊達晴宗の娘は佐竹義重に嫁ぎました。義重の妹は、晴宗の長男 岩城親隆の妻となり、下の妹は、親隆の弟 石川昭光の妻となりました。
 佐竹義宣と弟の蘆名義広はともに蘆名盛興の娘を妻に迎えました。
 

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伊達氏と岩城氏と佐竹氏の関係図
 
 
参考文献:
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 読みなおす日本史 陸奥伊達一族(高橋富雄 / 吉川弘文館
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本名字家系事典(東京堂出版
 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。