探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて書いていきます。

越前勝山藩 小笠原氏とその一族

こんにちは、勘矢です。
今年の夏休みに福井県を旅行し、勝山城博物館に行きました。今回は越前勝山藩の小笠原氏について調べたことをまとめました。
 
 

1.越前勝山藩の小笠原氏とは

 小笠原氏は甲斐国中巨摩郡小笠原村山梨県南アルプス市)が発祥で、室町時代信濃守護になって本拠を信濃に移しました。その後、深志(長野県松本市)と松尾(長野県飯田市)に別れました。
 越前勝山藩の小笠原家は、松尾小笠原の子孫となります。信嶺のときに武田信玄に仕え、武田氏滅亡後は徳川家康に仕え、徳川家が関東に移ったときに武蔵本庄(埼玉県本庄市)で一万石を与えられました。
 深志小笠原の子孫は、豊前小倉藩の小笠原家などとなります。
 

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松尾小笠原家略系図

 
 

2.越前勝山藩小笠原家当主一覧

藩祖 小笠原 信嶺(のぶみね)【1547~1598】
 小笠原信忠の子。
 1590年(44歳)に武蔵本庄一万石を与えられました。享年52。
 妻は武田信綱娘。
 
初代 小笠原 信之(のぶゆき)【1570~1614】
 1588年(19歳)に徳川家康の命により信嶺の婿養子となりました。1598年に29歳で家督相続しました。関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠に従って上田城攻めに参加し、その後美濃岩村城の抑えとして信濃妻籠城に入りました。1607年(38歳)に伏見城の守衛を命じられました。1612年(43歳)に武蔵本庄から一万石を加増され、下総古河に移りました。享年45。
 正室は小笠原信嶺の娘。
 
二代 小笠原 政信(まさのぶ)【1607~1640】
 小笠原信之の長男、母は小笠原信嶺の娘。
 1614年に8歳で下総古河藩を相続しました。同年の大坂冬の陣には、伯父酒井家次に属して近江佐和山城を守り、翌年の夏の陣でも家次に属して伏見城を守備しました。1619年(13歳)に下総関宿 二万に千七百石に転封となりました。享年34。
 
三代 小笠原 貞信(さだのぶ)【1631~1714】
 旗本高木貞勝の長男、母は小笠原信之の娘。
 1640年に10歳で家督相続と同時に美濃高須に転封となりました。高須藩時代に8回の大坂加番をつとめた。1691年(61歳)に幕府代官の支配地となっていた越前勝山に転封となりました。翌年大坂加番をつとめました。1702年に72歳で隠居しました。享年84。
 正室は小笠原政信の娘。継室は遠藤慶利の娘。
 
小笠原 清信(きよのぶ)【1660~1716】
 小笠原貞信の長男。1679年(20歳)病のため嫡子を辞退しました。享年57。
 
小笠原 信秀(のぶひで)【1661~1693】
 小笠原貞信の二男。
 1679年(19歳)に嫡子となるが、父に先立ちました。享年33。
 正室遠江掛川藩主 井伊直武の娘。
 
四代 小笠原 信辰(のぶとき)【1686~1736】
 小笠原信秀の長男。
 父が早世したため嫡孫となり、1702年(17歳)に祖父の隠居により越前勝山藩を相続しました。1703年(18歳)・1706年(21歳)・1711年(26歳)・1715年(30歳)の4回大坂加番をつとめました。1708年(23歳)に勝山城の再建を許されましたが、多額の費用が必要なため城は完成しませんでした。1721年に36歳で病のため隠居しました。享年51。
 正室信濃松本藩主 水野忠直の娘。
 
五代 小笠原 信成(のぶなり)【1705~1730】
 若狭小浜藩主 酒井忠隆の二男。
 1721年に17歳で越前勝山藩を相続しました。1724年(20歳)・1727年(23歳)に大坂加番をつとめ、1730年(26歳)にも大坂加番を命ぜられましたが病のため辞退しました。享年26。
 正室は小笠原信辰の娘。
 
六代 小笠原 信胤(のぶたね)【1715~1745】
 伊勢神戸藩主 本多忠統の二男。
 1730年に16歳で越前勝山藩を相続しました。1735年(21歳)に大坂加番をつとめ、1741年(27歳)にも大坂加番を命ぜられましたが病のため辞退しました。享年31。
 正室は武蔵岩槻藩主 永井直陳の娘 久姫。
 
七代 小笠原 信房(のぶふさ)【1733~1794】
 小笠原信辰の二男。
 1745年に13歳で越前勝山藩を相続しました。父信辰の時代に中断されていた築城工事を再開するも再び財政難により中止となりました。1751年(19歳)・1760年(28歳)に大坂加番をつとめました。1780年に48歳で病のため隠居しました。享年62。
 正室は伊予宇和島藩主 伊達村候の養女(高家 有馬広益の娘)。
 
八代 小笠原 長教(ながみち)【1760~1799】
 小笠原信房の子。
 1780年に21歳で越前勝山藩を相続しました。1793年(34歳)に大坂加番をつとめました。享年40。
 正室は豊後岡藩主 中川久貞の娘 充。
 
九代 小笠原 長貴(ながたか)【 1793~1840
 小笠原長教の子、母は中川久貞の娘。
 1799年に7歳で越前勝山藩を相続しました。1814年(22歳)に大坂加番、1816年(24歳)に奏者番をつとめ、1829年(37歳)から晩年まで若年寄をつとめました。しかし、城下の大火、江戸藩邸の焼失、未完の勝山城が焼失したり、大規模な打ちこわしや一揆、飢饉など多難な治世でした。享年48。
 正室は播磨姫路藩主 酒井忠道の娘 妙。
 
十代 小笠原 長守(ながもり)【1834~1891】
 小笠原長貴の六男、母は酒井忠道の娘。
 1840年に7歳で越前勝山を相続しました。1854年(21歳)・1859年(25歳)・1864年(31歳)に大坂加番をつとめました。戊辰戦争が起こると新政府方に恭順しました。1869年(36歳)に版籍奉還により勝山藩知事に任じられ、1871年(38歳)に廃藩置県を迎えました。享年58。
 正室信濃上田藩主 松平忠固の養女 今鶴。
 

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勝山城博物館
 

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勝山城博物館の石垣
  勝山城博物館の石垣には龍の造形物があり、天守閣風建築では名古屋城よりも大きいです。白山平泉寺に関する展示、清国の刺繍に関する展示、全国諸大名の甲冑や刀剣などの武具の展示がありました。行ったときは、西脇呉石の書に関する企画展が行われていました。企画展開催時は、勝山の歴史に関する展示は行われていないようです。また、ピアノの自動演奏がされている階があり、その演奏を聞きながら大障壁画を見れたりして、予想よりも見ごたえのある博物館でした。
 
 

3.松尾小笠原氏一族

(1)交代寄合:小笠原吉十郎家

居所:信濃伊豆木
初代 小笠原 長臣(ながおん)【1551~1634】
 小笠原信忠二男、母は諏訪薩摩守の娘。兄信嶺と共に徳川家康に仕えました。1600年 (50歳)、関ヶ原の戦いでは美濃苗木城、岩村城攻めに参加しました。戦後、信濃国伊奈郡松尾の庄のうち伊豆木にて千石を賜りました。大坂冬の陣のときは、子の長泰と共に箱根の関を真麻織、翌夏の陣では河内国枚方の関を守りました。享年84。妻は武田信実の娘(武田信虎七男、信玄の弟)。
 長臣の子のうち、長重、良隆、泰政は深志系の小笠原忠真の家臣となりました。
 
二代 小笠原 長泰(ながやす)【1595~1676】
 小笠原長臣二男、母は武田信実の娘。
 1634年に40歳で相続しました。妻の甥を養子に迎えました。享年82。
 妻は交代寄合 知久則直の娘。
 
三代 小笠原長朝(ながとも)【1642~1715】
 知久直政二男、母は松平乗寿の娘。
 1676年に35歳で相続しました。1703年に62歳で隠居しました。享年74。
 妻は豊前小倉藩小笠原家臣 小笠原泰政の娘。
 
四代 小笠原 長貞(ながさだ)【1669~1721】
 小笠原長朝の子、母は小笠原泰政の娘。
 1703年に35歳で相続しました。享年53。
 妻は交代寄合 知久昌直の娘、後妻は尾張藩家臣 千村基寛の娘。
 
五代 小笠原 長暉(ながてる)【1706~1739】
 小笠原長貞長男、母は千村基寛の娘。
 1721年に16歳で相続しました。享年34。
 妻は信濃松本藩主 水野忠直の娘。
 
六代 小笠原 長孝(ながたか)【1724~1775】
 小笠原長暉長男、母は水野忠直の娘。
 1739年に16歳で相続しました。享年52。
 妻は信濃飯田藩主 堀親蔵の娘。
 
七代 小笠原 長熈(ながひろ)【1743~?】
 小笠原長孝長男、母は堀親蔵の娘。
 1775年に33歳で相続しました。1785年に43歳で隠居しました。
 
八代 小笠原 長著(ながあきら)【1758~?】
 小笠原長孝二男、母は堀親蔵の娘。
 1785年に28歳で相続しました。
 妻は旗本 中島勝英娘。
 
九代 小笠原 長計(ながかず)【?~?】
 豊後杵築藩主 松平親盈の三男千葉親宝の子、母は吉見三河守の娘。
 1813年に相続しました。
 
 長伊豆木小笠原家と杵築松平家は、一柳家座光寺家を経由した遠い親戚で、この縁から養子に迎えたのではないかと考えます。
 
十代 小笠原 長厚【?~?】
 1820年に相続しました。
 
十一代 小笠原 長裕【?~?】
 1847年に相続しました。
 

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小笠原長著と長計の関係図
 
 

(2)旗本:小笠原権九郎家

※寛政年間までの当主

初代 小笠原 信政(のぶまさ)【1608~1677】
 小笠原信之二男。
 1627年(20歳)に御書院の番士となり、翌年廩米五百俵を賜りました。1633年(25歳)のとき二百石を賜り、これまでの廩米を采地にあらためられ、武蔵国足立郡のうちにおいて七百石を領しました。1674年に67歳で隠居しました。享年70。
 
二代 小笠原 信由(のぶよし)【1631~1700】
 小笠原信政長男。
 1663年(33歳)に御小姓組に列し、のちに番を辞職しました。1674年に44歳で相続しました。1698年(68歳)のとき、采地を足立郡から埼玉郡に移された。享年70。
 妻は旗本 真田信勝の娘。
 
三代 小笠原 充信(みつのぶ)【1668~1702】
 小笠原信由長男、母は真田信勝の娘。
 1683年(16歳)に御書院の番士となり、翌年辞職しましたが、1696年(29歳)に御書院番に復した。1700年に33歳で相続しました。享年35。
 妻は旗本 夏目吉成の娘。
 
四代 小笠原 信親(のぶちか)【1697~1754】
 小笠原充信長男、母は夏目吉成の娘。
 1702年に6歳で相続しました。1718年(22歳)に御書院番に列しました。享年58。
 妻は高家 宮原氏義の娘、後妻は旗本 戸田忠位の娘。
※宮原家についてはこちらもご覧ください。
 
五代 小笠原 信安(のぶやす)【1723~1773】
 小笠原信親長男、母は戸田忠位の娘。1754年に32歳で相続しました。翌年御小姓組の番士となり、1767年(45歳)に道奉行をつとめました。享年51。
 
六代 小笠原 信将(のぶまさ)【1740~?】
 旗本 小笠原信用六男、母は藤井氏。
 1773年に34歳で相続しました。翌年西ノ丸御小姓組の番士となりました。1779年(40歳)に本丸勤めとなり、1781年(42歳)に西ノ丸勤めに復しました。1786年(47歳)に再度本丸勤めとなり、1796年(57歳)に若君(家慶)の附属となって西ノ丸に異動しました。
 妻は旗本 岡田善慶の娘、後妻は旗本 向井政使の娘、後々妻は美濃郡代 千種惟忠の娘。
 信将の実家の小笠原家は深志小笠原の一族で、室町時代中期ごろに分家しました。
 
 

(3)旗本:小笠原豊前守家

※寛政年間までの当主
初代 酒井 信凭(のぶより)【1637~1715】
 小笠原信政二男。
 1651年(15歳)に綱吉の附属となり、書院番に列し、のちに小姓を経て小姓組の番頭となりました。1680年 (44歳)に綱吉の嫡子徳松にしたがい、御家人に列して上野国邑楽・山田両郡において五百石を賜り西の丸につとめました。
 1684年(48歳)に御書院の番士に列し、1687年(51歳)に綱吉の息女鶴姫の用人となり、常陸国筑波郡において千石を賜り合わせて千五百石を領しました。1691年(55歳)に常陸の領地を上野国群馬郡に移されました。1699年(63歳)につとめを辞職し、翌年に隠居しました。享年79。
 
二代 小笠原 信重(のぶしげ)【1673~1740】
 小笠原信凭長男。
 1691年(19歳)に御書院番に列し、1700年に28歳で相続しました。陸奥・出羽両国の巡視、屋敷改め、道奉行などをつとめました。享年68。
 妻は旗本 天方致通の娘(天方氏はのちに青山に改姓しました。)
 
三代 小笠原 信征(のぶただ)【1710~1751】
 旗本 山本正武三男、母は向坂寛政の娘。
 1740年に31歳相続しました。翌年に西ノ丸の御書院番となりました。享年42。
 妻は旗本 真田信紀の娘。岳父真田信紀は養父信重の弟で、信紀の妻は実父正武の妹となります。
 
四代 小笠原 信興(のぶおき)【1735~?】
 小笠原信征長男、母は真田信紀の娘。
 1751年に17歳で相続しました。御書院の番士、御使番をつとめ、1774年(40歳)に肥前島原城を松平(深溝)忠恕が賜ると、城引き渡し役をつとめました。1785年に51歳で隠居しました。
 妻は旗本 柘植晃正の娘。岳父柘植晃正の妻は、実父信征の姉となります。
 
五代 小笠原 直信(なおのぶ)【1767~?】
 小笠原信興長男、母は柘植晃正娘。
 1785年に19歳で相続しました。同年、御書院番となりました。1796年(30歳)に若君(家慶)の附属となって西ノ丸に異動しました。
 妻は越前勝山藩主小笠原信房の娘、後妻は旗本 長田繁趬の娘。
 
 
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
 
参考文献:
 江戸時代全大名家事典(東京堂出版
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 江戸大名家血族事典(新人物往来社
 寛政重修諸家譜国立国会図書館デジタルコレクション
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社
 江戸三百藩大全(廣済堂出版
 すごいよ!!小笠原さん-小笠原流礼法を伝え、自ら芸術作品も遺した殿さまたち-(勝山城博物館・勝山市
 大坂加番 仰せ付けられ候(勝山城博物館)
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。