探検!日本の歴史

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旗本 小栗氏(源氏)~小栗又一家の分家~

こんにちは、勘矢です。
今回は前回(旗本 小栗氏(源氏)~小栗上野介とその一族 - 探検!日本の歴史)の続きで小栗又一家の分家(忠政の三男系統と弟の系統)について調べたことをまとめました。
 
 

1. 小栗又一家の分家

 小栗又蔵家は小栗忠政の三男信友からはじまり、五百三十石を知行しました。その三男信常からはじまる小栗五郎左衛門家は蔵米三百俵を賜りました。
 四男信盛からはじまる小栗又左衛門家は加増を重ねて千石の禄(蔵米五百俵+五百石)となりましたが、信盛の没後に二男信尹(小栗鍔五郎家)に蔵米四百俵を分け与えたので、六百石を知行しました。
 忠政の弟吉次からはじまる小栗甚丞家は五百石を知行しましたが、孫のときに改易となりました。
 

2. 旗本小栗一族

(1)旗本:小栗又蔵家

(寛政年間までの当主)
初代 小栗 信友(のぶとも)【1595~1681】
 小栗忠政の三男、母は天野康景の娘。
 二代将軍徳川秀忠に仕え、御小姓組の番士となり、大坂の両陣に供奉しました。その後、相模・下総国内にて三百三十石の知行を賜りました。1622年(28)の日光社参に供奉し、翌年の徳川家光の上洛に際して街道筋の宿割をつとめました。
 1624年(30)に上総に赴き、東金の御離館並びに土気の茶亭構造御殿を 命じられました。1626年(32)の家光の上洛に扈従し、1633年(39)に知行地を下総国内に移され、五百三十石となりました。
 1641年(47)に関東諸国を巡見し、1643年(49)に大番組頭となりました。1650年(56)に大坂城の守衛にあるとき、長門国へ検使に赴きました。翌年に蔵米二百俵を加えられ、1659年(65)に御先弓頭となりました。1663年(69)に四代将軍 徳川家綱の日光社参に供奉しました。1666年に72歳で隠居しました。享年87。
 妻は旗本 駒井親直の娘。
 
二代 小栗 信親(のぶちか)【1627~1679】
 小栗信友の長男、母は駒井親直の娘。
 1643年(17)に御小姓組に列し、1666年に40歳で家督相続しました。蔵米二百俵は弟 信盛に分け与えました。享年53。
 妻は旗本 前田正信の娘(この前田家は前田玄以の子孫)、後妻は旗本 細井勝武の娘。
 
三代 小栗 信真(のぶざね)【1654~1725】
 小栗信親の長男、母は細井勝武の娘。
 1678年(25)に御小姓組の番士となり、1679年に26歳で家督相続しました。1707年(54)に辞職して小普請となり、1712年に59歳で隠居しました。享年72。
 妻は旗本 梶川分重の娘。分重の養子頼照は赤穂事件で有名。
 
四代 小栗 信周(のぶちか)【1681~1738】
 小栗信真の長男、母は梶川分重の娘。
 1712年に32歳で家督相続しました。1716年(36)に御書院番のに列し、1728年(48)の八代将軍 徳川吉宗の日光社参に供奉しました。享年58。
 妻は旗本 酒井忠秀の娘。
 
五代 小栗 信寿(のぶひさ)【1720~1794】
 小栗信周の長男、母は酒井忠秀の娘。
 1738年に19歳で家督相続しました。1742年(23)に御書院番に列し、1752年(33)から進物役をつとめました。1772年(53)に御納戸頭に転じ、1781年(62)に西ノ丸に移り、1786年(67)に本丸に戻りました。1790年(71)に西ノ丸御裏門番頭となりました。享年75。
 妻は旗本 三浦正良の娘(離婚)。離婚したの後は一橋家に仕えた。
 
小栗 信安(のぶやす)【1752~1770】
 旗本 柳生久隆の二男。この柳生家は旧姓村田で、久隆の祖父久辰が柳生俊方から柳生を名乗ることをゆるされた。
 信寿の婿養子となり、1767年(16)に初お目見えしました。父に先立ち没しました。享年19。妻は小栗信寿の娘。
 
小栗 信峯(のぶみね)【1758~?】
 旗本 石河貞隆の六男。
 信寿の婿養子となるも故あって実家に戻りました。その後、旗本 坂本直富の養子となり、名を直諒と改名しました。
 妻は小栗信寿の娘(元信安の妻)。
 養子となっていた時期は信安の没した1770年(12)から、信峯の次に養子となった信陽が将軍に初お目見えする前年の1774年(17)の間と推定される。
 
六代 小栗 信陽(のぶはる)【1756~?】
 旗本 亀井清永の三男、母は牟礼葛貞の娘。
 1775年(20)に初お目見えし、1793年(39)に御書院番となりました。
 1794年に39歳で家督相続しました。
 妻は小栗信寿の娘(元信安、信峯の妻)、後妻は旗本 内藤信就の娘(離婚)、後々妻は旗本 加藤忠籌の養女(千葉氏の娘)。
 
(寛政以降の当主)
小栗 又兵衛:書院番
 
小栗 左近:書院番
 
小栗 又兵衛
 1854年家督相続し小普請。1861年に御小納戸。1863年に辞職し寄合。
 

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源氏系 旗本小栗氏略系図 3
 
 

(2)旗本:小栗五郎左衛門家

(寛政年間までの当主)
初代 小栗 信常(のぶつね)【1644~1724】
 小栗信友の三男、母は駒井親直の娘。
 1659年(16)に御小姓組の番士となり、1661年(18)に蔵米三百俵を賜りました。1687年(44)に辞職して小普請となり、1713年に70歳で隠居しました。享年81。
 妻は旗本 小栗政信の娘。
 
二代 小栗 信堅(のぶかた)【1672~1744】
 小栗信常の長男、母は小栗政信の娘。
 1713年に42歳で家督相続し、1718年(47)に御小姓組の番士に列し、1741年(70)に老齢により辞職しました。享年73。
 妻は旗本 蔭山包暠の娘。
 
三代 小栗 信好(のぶよし)【1693~1752】
 小栗信常の三男、母は小栗政信の娘。
 1744年に52歳で家督相続し、1752年に60歳で隠居しました。享年60。
 妻は旗本 万年頼次の娘。
 
四代 小栗 信之(のぶゆき)【1733~1788】
 小栗信好の長男、母は万年頼次の娘。
 1752年に20歳で家督相続しました。1774年(42)に西ノ丸の御書院番となり、1777年(45)に辞職しました。。享年56。
 妻は備後福山藩 阿部家家臣 吉江彦右衛門の娘。
 
五代 小栗 信譲(のぶじょう)【1760~?】
 旗本 山名親豊の四男。
 信之の婿養子となり、1788年に29歳で家督相続し、御書院番に列しました。1796年(37)に辞職しました。
 妻は小栗信之の娘。
 
 

(3)旗本:小栗又左衛門家

(寛政年間までの当主)
初代 小栗 信盛(のぶもり)【1651~1695】
 小栗信友の四男、母は駒井親直の娘。
 1666年(16)に父より蔵米二百俵を分け与えられ、御書院番となりました。1668年(18)に百俵を加増され、1674年(24)に御小納戸に移り、二百俵を加増されました。1680年(30)に寄合となり、1685年(35)に御徒頭、1689年(39)に御目付に転じました。1692年(42)に本院附に移り、五百石を加えられ、1695年(45)に京都にて没しました。享年45。
 妻は旗本 飯田重成の娘、後妻は旗本 渥美友勝の娘。
 
二代 小栗 信定(のぶさだ)【1683~1723】
 小栗信盛の長男、母は渥美友勝の娘。
 1695年に13歳で家督相続し、寄合となりました。また、このとき四百俵を弟信尹に分け与え、1697年(15)に蔵米百俵を知行地に改められ、上総国内で六百石を知行しました。享年41。
 妻は旗本 林信如の娘。この林家は林大学頭家の分家。
 
三代 小栗 信道(のぶみち)【1702~1749】
 一族小栗信行の二男。
 1723年に22歳で家督相続し、小普請となりました。翌年、御小姓組の番士に列し、1734年(33)より進物役をつとめました。享年48。
 
四代 小栗 信久(のぶひさ)【1729~?】
 小栗信道の長男、母は川上氏。
 1749年に21歳で家督相続し、西ノ丸の御小姓組に列しました。1751年(23)に番を許され、1759年(31)に御小姓組の番士となり、1761年(33)に辞職しました。1774年(46)に小普請組頭となり、1789年(61)に辞職しました。
 妻は旗本 永井尚尹の娘(離婚)。
 
小栗 信房(のぶふさ)【1756~1788】
 小栗信久の長男。父に先立ち没しました。享年33。
 妻は旗本 林信亮の娘(離婚)。信亮は二代信定妻の兄。
 
小栗 信因(のぶのり)【?~?】
 高家 由良貞通の二男、母は森川俊因の娘。
 信久の婿養子となりました。
 妻は小栗信久の養女(信久の長男信房の娘)
 
 

(4)旗本:小栗鍔五郎家

(寛政年間までの当主)
初代 小栗 信尹(のぶただ)【1690~1745】
 小栗信盛の二男、母は渥美友勝の娘。
 1695年(6)に父の遺領から蔵米四百俵を分け与えられ、小普請となりました。1724年(35)に甲府勤番となり甲府に移り住みました。1740年に51歳で隠居しました。享年56。
 
二代 小栗 信孟(のぶたけ)【1711~1743】
 旗本 吉田利政の二男。兄持正は平氏系の小栗家に養子入りした。
 信尹の婿養子となり、1740年に30歳で家督相続し、甲府勤番となりました。享年33。
 妻は小栗信尹の娘。
 
三代 小栗 信宝(のぶとみ)【1730~1775】
 小栗信孟の長男、母は小栗信尹の娘。
 1743年に14歳で家督相続し、1746年(17)に甲府勤番となりました。享年46。
 
四代 小栗 信近(のぶちか)【1756~?】
 旗本 小河益親の三男、母は伊勢貞匡の娘。
 信宝の婿養子となり、1775年に20歳で家督相続し、甲府勤番となりました。
 妻は小栗信宝の娘。
 
小栗 信孝(のぶたか)【1775~1798】
 小栗信近の長男。父に先立ち没しました。享年24。
 
小栗 信寿 【?~?】
 小栗信近の二男、母は小栗信宝の娘。
 
 

(5)旗本:小栗甚丞家

(寛政年間までの当主)
初代 小栗 吉次(よしつぐ)【1577~1609】
 小栗吉忠の二男。享年33。妻は旗本 内藤忠清の娘。
 
二代 小栗 吉忠(よしただ)【?~1647】
 小栗吉次の長男。
 徳川秀忠に仕え、西ノ丸御小姓組の番士となり蔵米三百俵を賜りました。のち本丸つとめとなり知行地に改められてかぞうされて五百石となりました。
 妻は旗本 関正成の娘。
 
三代 小栗 甚丞 【?~?】
 小栗吉忠の長男。
 1647年に家督相続し、1654年に御小姓組に列し、1683年に子の兵右衛門ともに博奕をした罪で遠流となった。
 
※旗本各家の家名は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
 
参考文献:
 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
 寛政譜以降 旗本百科事典 第1巻(東洋書林
 徳川幕臣人名辞典(東京堂出版
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 家紋・旗本八万騎 高橋賢一著(秋田書店
 徳川実紀 第貳編(経済雑誌社 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
 千葉いまむかし No.7 (千葉市編集委員会
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。