こんにちは、勘矢です。
1. 松岡藩
初代 松平 昌勝(まさかつ)【1636~1693】
二代 松平 昌平(まさひら)【1675~1724】
松平昌勝の三男、母は側室 中根氏。
1690年(16)に奥詰小姓となり、1693年に19歳で越前松岡藩を相続しました。1721年(47)に異母弟で福井藩主 松平吉邦の養子となり福井藩を相続しました。そのため松岡藩は廃藩となり、領地は福井藩に吸収されました。昌平は八代将軍吉宗の一字を賜り宗昌と改名しました。
松岡藩の館跡は住宅地となっていて、写真右側にある椿が唯一なごりを残すものだそうで、昌勝が愛観されたと看板に記載されています。
2. 吉江藩
初代 松平 昌親(まさちか)【1640~1711】
○近松門左衛門【1653~1724】
近松門左衛門は本名を杉森信盛といいました。
3. 高森藩
(1) 松平家(紀州藩分家)
初代 松平 頼職(よりもと)【1680~1705】
紀州藩についてはこちらもご覧ください。
(2) 松平(本庄)家
初代 松平 宗長(むねなが)【1687~1709】
1700年(14)に中奥小姓となり、桂昌院から廩米千俵を与えられました。1705年(19)に父資俊とともに松平姓を下賜されました。同年、越前高森藩主の松平頼職が紀州藩主にとなったため廃藩となった越前国丹生郡で二万石を与えれ諸侯に列しました。陣屋は松平頼職が建てたものを再利用しました。参勤交代のない定府大名のため代官を派遣して統治させました。享年23。
二代 松平 宗胡(むねひさ)【1704~1711】
松平資俊の六男、母は側室 川村氏。
高森陣屋跡の表門があった付近の公園に高森陣屋跡の説明と陣屋の図の看板があります。
4. 葛野藩
初代 松平 頼方(よりかた)【1684~1751】
葛野藩の陣屋があった場所には葛野神社が建っており、現在は改修中のようです。
徳川歴代将軍についてはこちらもご覧ください。
参考文献:
江戸時代全大名家事典(東京堂出版)
江戸大名家血族事典(新人物往来社)
名門・名家大辞典(東京堂出版)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。