こんにちは、勘矢です。
1. 野間氏とは
武正の代にこの飛鳥山は、八代将軍徳川吉宗により1720年と21年に桜の苗木1720本あまりを植樹され、1731年に飛鳥山は幕府に取り上げられて、替地として同郡の幡ヶ谷村(東京都渋谷区)と中荒井村(東京都練馬区)を与えられました。飛鳥山はさらに王子権現(別当金輪寺)へ寄進して、庶民へ開放されました。
分家は野間金三郎家(五百石)、野間又三郎家(廩米三百俵)、野間清次郎家(廩米三百俵)の三家ありました。
2. 旗本野間家
(1)旗本:野間藤五郎家
(寛政年間までの当主)
初代 野間 重安(しげやす)【1532~1617】
野間安信の長男。
長男の重久は1582年に徳川家康に拝謁しましたが、その後落馬して傷を負い、某年に30歳で没しました。孫の重次【1590~1638】も21歳のときに徳川家康に仕え、廩米百俵を賜りました。その子重吉は鷹匠をつとめ、1637年に相続しました。
二代 野間 政次(まさつぐ)【1566~1620】
野間重安の二男。
1618年に53歳で相続しました。翌年、豊島郡にて百五十石を加えられました。享年55。
妻は旗本 石谷清定の娘。
三代 野間 政成(まさなり)【1601~1656】
野間政次の長男。
1613年(13)より二代将軍徳川秀忠に仕えました。1620年に20歳で相続し、鷹匠となりました。1625年(25)に采地の御朱印を下され、新墾田を合わせて二百七十石余を知行し、そののち滝野川村につづく飛鳥山の林を賜りました。1654年(54)に御裏門切手番の頭に進みました。享年56。
妻は旗本 遠山直定の娘。
四代 野間 正利(まさとし)【1633~1658】
野間政成の長男、母は遠山直定の娘。
1656年に24歳で相続しました。享年26。
妻は旗本 笠原信重の娘。
五代 野間 正信(まさのぶ)【1657~1716】
野間正利の長男、母は笠原信重の娘。
1658年にわずか2歳で相続しました。のちに鷹匠となりました。1682年(26)に小十人に移りました。享年60。
妻は旗本 青木正命の娘。
六代 野間 武正(たけまさ)【1688~1758】
佐野安晴の二男、母は寺沢志摩守の家臣 須藤七左衛門の娘。
1716年に29歳で相続し、小普請となりました。1718年(31)に小十人に列し、1721年(34)に御納戸番に転じ、1724年(37)に新番に移りました。1728年(41)の八代将軍徳川吉宗の日光社参に従いました。
1737年(50)に飛鳥山を収公されて替地を与えられました。1747年(60)に御金奉行ととなり、1754年(67)に御役御免となり、同年隠居しました。享年71。
妻は野間正信の娘。
七代 野間 正盛(まさもり)【1715~1765】
野間武正の長男、母は野間正信の娘。
1754年に40歳で相続しました。翌年、大番となりました。享年51。
妻は旗本 島田盛貞の娘。
八代 野間 正甫(まさなみ)【1741~1780】
分家野間政導の二男。
1765年に25歳で相続しました。1767年(27)に大番に列し1769年(29)に新番に移りました。1776年(36)の十代将軍徳川家治の日光社参に従いました。享年40。
妻は旗本 野間成育の長女、後妻は野間成育の三女。この野間家は医家。
九代 野間 茂正(しげまさ)【1763~?】
野間正盛の三男。
1781年に19歳で相続しました。同年、大番に列しました。1791年(29)に故あって小普請に貶されて出仕を止められ、のちに赦されました。
(2)旗本:野間金三郎家
(寛政年間までの当主)
初代 野間 重成(しげなり)【1577~1627】
野間重安の四男。
徳川家康に仕えて関ヶ原の戦い、大坂の陣に従いました。大坂落城後、小林太兵衛と伏見から二条城に向かう途中、大仏の前にて大野道犬(大野治長の弟)を生け捕りにしました。その褒美として、道犬の刀を賜りました。
二代 野間 宗親(むねちか)【1609~1667】
野間重成の長男。
1620年に12歳で相続しました。1624年(16)に大番となり、1634年(26)に宅間忠次とおなじく駿河蒲原御殿石壘普請のことを奉行しました。1645年(37)に組頭に転じ、1651年(43)に廩米二百俵を加えられました。享年59。
妻は旗本 曾我古祐の娘。
三代 野間 宗俊(むねとし)【1655~1682】
野間宗親の二男、母は曾我古祐の娘。
1667年に13歳で相続し、小普請となりました。1674年(20)に大番となりました。享年28。
四代 野間 宗重(むねしげ)【1665~1692】
野間重商の二男、母は吉村右衛門の娘。
1682年に18歳で相続しました。享年28。
五代 野間 重美(しげよし)【1675~1716】
野間重商の三男、母は吉村右衛門の娘。
1692年に18歳で相続しました。1697年(23)に廩米をあらためて武蔵国内において采地二百石を賜り、あわせて五百石を知行しました。1707年(33)に大番となりました。享年42。
妻は旗本 小澤忠房の娘。
六代 野間 政導(まさみち)【1708~1748】
野間重美の長男、母は小澤忠房の娘。
1716年にわずか9歳で相続しました。1724年(17)に大番に列し、1744年(37)に新番に移りました。享年41。
妻は旗本 内藤尚寿の娘(離縁)、後妻は御家人 坂本定義の娘。
七代 野間 成澄(しげずみ)【1732~?】
野間政導の長男。
1748年に17歳で相続しました。1754年(23)に大番となり、1770年(39)に大坂の破損奉行に移りました。
妻は旗本 野間成育の二女。
野間 成久(なりひさ)【1769~?】
野間成澄の長男、母は野間成育の二女。
1791年(23)に大番となりました。
妻は野間政甫の娘。
(3)旗本:野間又三郎家
(寛政年間までの当主)
初代 野間 重商(しげよし)【1644~1714】
野間政成の三男、母は遠山直定の娘。
1663年(20)に御小姓組に列し、1665年(22)に廩米三百俵を賜りました。養父宗親に実子宗俊が生まれ、彼が世継ぎとなると別家となりました。その後、小普請となり、1681年(38)に再び御小姓組となりました。享年71。
妻は堀市正家臣 吉村右衛門の娘。
二代 野間 政副(まさのり)【1673~1754】
野間重商の長男、母は吉村右衛門の娘。
1693年(21)に御書院番となりました。その後、父の跡を相続し、1726年(54)に番を辞職し、1730難に58歳で隠居しました。享年82。
妻は小林正朝の娘。
三代 野間 政幸(まさゆき)【1705~1763】
御家人 田村幸在の四男、母は坂部宗信の娘。
1730年に26歳で相続しました。1737年(33)に西ノ丸の御小姓組に列しました。1761年(57)に本丸の勤めになりましたが、翌年西ノ丸勤めに戻りました。享年59。
妻は野間政副の養女(旗本 小林正賀の娘)、後妻は旗本 花村正恒の娘。
四代 野間 政明(まさあきら)【1739~1765】
野間政幸の長男、母は野間政副の養女(小林正賀の娘)。
1763年に25歳で相続しました。享年27。
五代 野間 政休(まさよし)【1749~1781】
野間政幸の三男、母は花村正恒の娘。
1765年に17歳で相続しました。1774年(26)に御小姓組に列しました。享年33。
妻は旗本 遠山資房の娘(離婚)。この遠山家は太田道灌の末裔。
六代 野間 政徳(まさのり)【1765~?】
野間政休の長男、母は遠山資房の娘。
1781年に17歳で相続しました。
(4)旗本:野間清次郎家
(寛政年間までの当主)
初代 野間 重尚(しげなお)【1619~1677】
野間重成の二男。
1647年(29)に召されて小十人に列し、のちに廩米百俵を賜りました。1659年(41)に組頭に転じ、その後二百俵を賜りました。享年59。
二代 野間 重忠(しげただ)【1661~1725】
野間重尚の長男。
1677年に17歳で相続しました。1679年(19)に大番に列しました。1706年(46)に新番に移り、1715年(55)に鉄砲箪笥の奉行となり、1722年(62)に務めを辞職しました。享年65。
妻は旗本 青柳貞利の娘。
三代 野間 尚定(なおさだ)【1684~1732】
野間重忠の長男、母は青柳貞利の娘。
1709年(26)に大番に列し、1725年に42歳で相続しました。1732年(49)に二条城の守衛にあるときに没しました。享年49。
妻は青柳新九郎の娘。
四代 野間 尚知(なおとも)【1716~1764】
野間尚定の長男、母は青柳新九郎の娘。
1732年に17歳で相続しました。1737(22)に大番となりました。享年49。
妻は旗本 万年頼穀の娘。
五代 野間 尚張(なおひろ)【1728~1784】
野間尚定の二男、母は青柳新九郎の娘。
1764年に37歳で相続しました。1768年(41)に大番に列し、翌年に辞職しました。1784年に57歳で隠居しました。享年57。
妻は旗本 朝比奈泰輝の娘(離婚)、旗本 青山忠雄の娘。
六代 野間 尚春(なおはる)【1759~1796】
野間尚知の二男、母は万年頼穀の娘。
1784年に26歳で相続しました。1788年(30)に大番となり、1790年(32)に番を辞職しました。1795年に37歳で隠居しました。享年38。
七代 野間 尚庸(なおつね)【1779~?】
野間尚春の長男。
1795年に17歳で相続しました。
※旗本各家の家名は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
参考文献:
家紋・旗本八万騎(秋田書店)
英雄と佩刀(国立国会図書館デジタルコレクション)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。