こんにちは、勘矢です。
今回は松井松平家の分家旗本家について調べたことをまとめました。
1. 旗本松井松平家
(1)旗本:松平主税家
松平康重の長男康政は早世し、その子康朗は1640年に祖父の遺領から五千石を分知され、叔父康映が播磨に転封となると播磨国内で領地を与えられた。
四代康年は一族松平主計家からの養子で、甲府勤番支配などをつとめた。康年の子康知が早世したため、甥の康道を養子とした。五代康道は大番頭や西ノ丸御側などをつとめ、長男康任は宗家康定の養子となり浜田藩を相続した。六代康正は定火消や百人組頭などをつとめたが、1835年に兄康任とともに仙石騒動に関連して隠居謹慎となった。
幕末の八代康直は外国奉行をつとめ、1861年に遣欧使節の副使としてヨーロッパに行き、フランス・イギリス・オランダ・プロシア・ポルトガル・ロシアの各国と開港延期問題などの交渉に当たった。帰国後は、勘定奉行勝手方、江戸町奉行などをつとめ、1864年に宗家康泰の養子となり棚倉藩を相続し、康英と改名した。
初代 松平 康朗(やすあきら)【1625~1649】
松平康政の長男、母は酒井忠勝の娘。享年25。
妻は旗本 池田長賢の娘。
二代 松平 康寛(やすひろ)【1648~1729】
松平康朗の長男、母は池田長賢の娘。
1649年にわずか2歳で家督相続し、1729年に82歳で隠居した。享年82。
妻は近江小室藩主 小堀正之の娘。
三代 松平 康晴(やすはる)【1705~1734】
松平康寛の長男。1729年に25歳で家督相続。享年30。
四代 松平 康年(やすとし)【1709~1770】
一族 松平康納の二男、母は井戸良弘の娘。
1734年に26歳で家督相続。享年62。
松平 康知(やすとも)【1740~1764】
松平康年の長男。父に先立ち没した。享年25。
五代 松平 康道(やすみち)【1750~1800】
一族 松平康詮の三男。
叔父康年の養子となり、1770年に21歳で家督相続。享年51。
六代 松平 康正(やすただ)【?~?】
松平康道の二男。主税。1800年に家督相続。1835年に隠居。
七代 松平 康済【?~?】
松平康正相の子。軍次郎。1835年に家督相続。1847年に隠居。
八代 松平 康直(やすなお)【1830~1904】
松平康済の長男。万太郎。享年75。
九代 松平 康功【?~?】
阿部長吉郎厄介叔父。巨摩助、信濃守。
(2)旗本:松平主計家
松平康重の三男康命は1640年に父の遺領から三千石を分知され、兄康映が播磨に転封となると播磨国内で領地を与えられた。
二代康雄の子たちは早世したため、彦根藩井伊家家臣の松平家から康納を養子に迎えた。三代康納は御小姓組番頭や御留守居などをつとめた。
井伊家家臣の松平家は、康重の七男康久の子孫。康久は故あって出奔し、佐藤外記(のちに天野姓)を名乗って伯母が嫁いだ井伊家に身を寄せ、のちに井伊家の客分として扱われ千石を拝領した。子の康富のときに松平姓を許され、松平倉之介家として幕末まで続いた。
幕末の八代康正は御使番、目付、勘定奉行をつとめ御留守居となったが、1862年に目付のときの不祥事を理由に御役御免となった。1864年に田安家家老、大目付を経て勘定奉行に再任されたが、翌年に御役御免となった。
初代 松平 康命(やすなが)【?~1649】
二代 松平 康雄(やすお)【1641~1695】
松平康命の長男。
1649年にわずか9歳で家督相続。享年55。
妻は美作宮川藩主 関長政の養女(美作津山藩主 森長継の娘)。
松平 康忠(やすただ)【1664~1688】
松平康雄の長男。父に先立ち没した。享年25。
妻は一族 松平康寛の娘。
松平 康直(やすなお)【?~1691】
松平康雄の二男。父に先立ち没した。
松平 康実(やすざね)【?~1690】
松平康雄の三男。父に先立ち没した。
三代 松平 康納(やすなり)【1672~1740】
彦根藩井伊家家臣 松平康富の子、母は亀井玆政の娘。
1695年に24歳で家督相続。1739年に68歳で隠居。享年69。
妻は旗本 松平(能見)重花の娘。後妻は旗本 井戸良弘の娘。
四代 松平 康詮(やすあきら)【1701~1768】
松平康納の長男、母は松平重花の娘。
1739年に39歳で家督相続。西ノ丸御小姓組番頭、御留守居。享年68。
妻は宗家 松平康豊の養女(一族 松平康郷の娘)。
松平 康孝(やすなり)【1736~1754】
近江仁正寺藩主 市橋直方の六男。父に先立ち没した。享年19。
五代 松平 康休(やすひろ)【1750~1802】
松平康詮の二男。
妻は武蔵岡部藩主 安部信允の娘。後妻は備中岡田藩主 伊東長丘の娘。
六代 松平 康彊(やすかた)【1771~1815】
松平康休の長男、母は安部信允の娘。主馬。享年45。
1803年に家督相続。火事場見廻。
妻は備中岡田藩主 伊東長詮の娘(離婚)。先代康休後妻の姪。
七代 松平 康哉【?~?】
松平康彊の養子。主計。1815年に家督相続。寄合肝煎。1840年に隠居。
八代 松平 康正(やすまさ)【?~?】
(3)旗本:松平伊織家
松平康重の四男康紀は1640年に父の遺領から三千石を分知され、兄康映が播磨に転封となると播磨国内で領地を与えられた。
八代康英は高家前田家からの養子で、中奥の番士、御目付などをつとめ、1807年に長崎奉行となった。イギリス軍艦が長崎港に不法侵入したフェートン号事件が起きると、康英は責任を取って切腹した。幕府へは病死として届けられ、養子延次郎に相続が許された。
初代 松平 康紀(やすのり)【1619~1683】
松平康重の四男。享年65。
妻は播磨林田藩主 建部政長の娘。後妻は小笠原左京大夫家臣宮崎宮内の娘。
二代 松平 康起(やすおき)【1648~1692】
松平康紀の長男、母は宮崎宮内の娘。
妻は交代寄合 最上義智の娘。
三代 松平 康等(やすとも)【1667~1748】
松平康紀の八男、母は宮崎宮内の娘。
1692年に26歳で家督相続。御書院番の番士。1724年に58歳で隠居。享年82。
妻は旗本 中根正冬の養女(吉田氏の娘)。
四代 松平 康直(やすただ)【1699~1745】
旗本 皆川政能の二男、母は皆川豊隆の娘。政能は初代康紀の二男。
叔父康等の養子となり、1724年に26歳で家督相続。御使番。享年47。
妻は勝田元邑の娘。七代将軍家継の生母月光院の親戚。
五代 松平 康喜(やすよし)【1729~1748】
松平康直の長男、母は勝田元邑の娘。
1745年に17歳で家督相続。享年20。
六代 松平 康兼(やすかね)【1731~1771】
旗本 岡部忠藩の二男、母は岡部忠宜の娘。忠藩の父元府は初代康紀の甥。
康喜の婿養子となり、1748年に18歳で家督相続。西ノ丸御目付、禁裏附。享年41。
妻は松平康喜の養女。
七代 松平 康彊(やすかた)【1753~1777】
松平康兼の二男、母は松平康喜の養女。
1771年に19歳で家督相続。享年25。
妻は旗本 大岡忠近の娘。
八代 松平 康英(やすひで)【1761~1808】
高家前田清長の二男、母は大森邦頼の娘。祖父房長は初代康紀の甥康郷の子。
1777年に17歳で家督相続。享年48。別名康平。
妻は戸川逵旨の娘。
九代 松平 康民【?~?】
松平康英の養子。延次郎(寛政譜に松平康休の末子として記載あり)。
1808年に家督相続。中奥番。
十代 松平 康乂【?~?】
松平康民の養子。御使番。1860年に隠居。
十一代 松平 伊織【?~?】
松平康乂の子。舎人。1860年に家督相続。御小姓組、御使番。
(4)旗本:松平吉五郎家
松平康重の五男康敬は1650年に召されて将軍世子家綱の附属となり、西ノ丸御書院番となった。1652年に蔵米三百俵を賜った。二代康郷の長男康豊は、宗家康員の養子となり、浜田藩を相続した。六代康定は宗家康福の養子となり浜田藩を相続したので、蔵米は収められ絶家となった。
(寛政年間までの当主)
初代 松平 康敬(やすたか)【1629~1700】
松平康重の五男。享年72。
二代 松平 康郷(やすさと)【1651~1734】
松平康敬の長男。1700年に50歳で家督相続。御小姓組、御先弓頭。享年84。
妻は出羽本荘藩主 六郷政信の娘。
三代 松平 康平(やすひら)【1695~1746】
松平康郷の二男、母は六郷政信の娘。
妻は旗本 村上正春の娘。後妻は旗本 渡辺敬の娘。敬は初代康敬の二男。
四代 松平 康般(やすつら)【1730~1756】
旗本 渡辺雅の二男。雅は先代康平後妻の弟。
康平の婿養子となり、1746年に17歳で家督相続。西ノ丸御書院番の番士。享年27。
妻は松平康平の娘。
五代 松平 康端(やすざね)【1733~1757】
旗本 青木直宥の六男。
康般の婿養子となり、1756年に24歳で家督相続。享年25。
妻は松平康般の養女(三代康平の娘)。
六代 松平 康定(やすさだ)【1747~1807】
高家 前田房長の三男、母は青木直宥の娘。享年61。
1757年に11歳で家督相続。
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
参考文献:
寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社)
続徳川実紀 第1篇、第2篇、第3篇、第4篇、第5篇(経済雑誌社 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
寛政譜以降 旗本百科事典 第5巻(東洋書林)
乙未紀事 : 一名・仙石左京記(桜井勉 著 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
最新版 角川新版 日本史辞典(角川学芸出版)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。