探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

大給松平家~岩村藩とその分家~

こんにちは、勘矢です。

前回に続き大給松平家について調べたことをまとめました。

 

 

1. 岩村藩系大給松平家

 館林藩主松平乗寿の二男乗政ははじめ石川姓を称して徳川家綱に近侍していたが、1679年に若年寄就任とともに常陸小張(茨城県つくばみらい市)一万石で諸侯に列し、1682年に信濃小諸二万石に転じた。子の乗紀は松平姓に復し、1702年に美濃岩村岐阜県恵那市岩村)に転封となり、幕末、乗命は陸軍奉行となったが、戊辰戦争では新政府に属した。

 

大給松平氏系図岩村藩系)



 

 

2. 美濃岩村藩

(1)小張藩から小諸藩

 館林藩主松平乗寿の二男乗政は1644年に三代将軍徳川家光にはじめて拝謁し、1651年に家綱に近侍し、翌年御小姓となって蔵米千俵を賜った。1654年に父の遺領より上野国内において五千石を分与され、はじめの蔵米は千俵は弟乗員に与えた。1661年に知行地を常陸国内に移され、翌年御小姓組番頭となった。

 1672年に側衆となり、1679年に若年寄となり、常陸国内で五千石を加増されて一万石となり諸侯に列し、小張に陣屋を構えた。1681年に下総国内で五千石を加増され、翌年に奏者番となり、さらに五千石を加増されて二万石となり、信濃小諸へ転封となった。

 

初代 石川 乗政(のりまさ)【1637~1684】

 松平乗寿の二男、母は側室 赤城氏。享年48。

 小張藩主 在職期間:1679年(43)~1682年(46)

 小諸藩主 在職期間:1682年(46)~1684年(48)

 正室は出羽亀田藩主 岩城重隆の娘、継室は肥前平戸藩松浦鎮信の娘。

 

 

(2)美濃岩村藩(前期)

 二代乗紀は1684年に家督相続し、1702年に美濃岩村二万石へ転封となった。同年奏者番となり、翌年に松平に復姓した。

 三代乗賢は1717年家督相続すると、弟致乗に新墾田二千石を分与した。1723年に若年寄となり、翌年に将軍世子徳川家重に近侍し、1735年に西ノ丸老中となり美濃国内で一万石を加増されて三万石となった。1745年に家重が九代将軍となると本丸老中となったが、翌年在職中に病没した。

 乗賢の子は早世していたため宗家乗邑の三男乗薀を養子にし、1746年に家督相続した。1758年に美濃郡上藩主金森頼錦が領地没収となると郡上城の城請取り役を命ぜられた。1762年に奏者番となり、1773年に飛騨高山で騒動が起きると藩兵を出動させて鎮圧した。四男衡は幕命により幕府儒官林大学頭家を相続した。

 

二代 松平 乗紀(のりただ)【1674~1716】

 松平乗政の長男、母は側室 丹羽瀬氏。享年43。

 小諸藩主 在職期間:1684年(11)~1702年(29)

 岩村藩主 在職期間:1702年(29)~1716年(43)

 正室丹波福知山藩主 朽木稙昌の娘。

 

三代 松平 乗賢(のりかた)【1693~1746】

 松平乗紀の長男、母は朽木稙昌の娘。享年54。

 在職期間:1717年(25)~1746年(54)

 正室駿河田中藩主 太田資直の娘。

 

松平 乗恒(のりちか)【1724~1740】

 松平乗賢の二男、母は側室 境野氏。父に先立ち没した。享年17。

 

四代 松平 乗薀(のりもり)【1716~1783】

 下総佐倉藩主 松平乗邑の三男、母は側室 加賀野氏。享年68。

 在職期間:1746年(31)~1781年(66)隠居

 正室肥前平戸藩主 松浦篤信の養女(千本倶隆の娘)。

 

 

 

岩村城太鼓櫓

 

(3)美濃岩村藩(後期)

 五代乗保は丹波福知山藩主 朽木玄綱(二代乗紀の五男)の九男で、養父の隠居により家督相続した。翌年に大坂加番をつとめ、1784年に奏者番となった。1798年に西ノ丸若年寄となり、その後本丸若年寄となった。1606年に大坂城代となり、役料として一万石を与えられた。1810年に西ノ丸老中となり、在職中に没した。

 乗保の嫡子乗友は早世したため、乗美が六代藩主となった。窮迫する財政の建て直しのため家老丹羽瀬氏を重用して藩政改革を断行した。しかし、飢饉、大凶作と災害に見舞われ、不満を持つ領民は1837年に丹羽瀬を弾劾する嘆願書を郡奉行に提出し、藩は丹羽瀬に蟄居を命じて領民の要求を認めた。

 七代乗喬は奏者番をつとめ、八代乗命は大坂加番、奏者番、陸軍奉行をつとめた。1868年に藩論を勤王に決めると新政府に帰順し、京都鞍馬口警衛にあたった。1869年に版籍奉還して岩村藩知事に任ぜられ、1871年廃藩置県を迎えた。 

 

五代 松平 乗保(のりやす)【1749~1826】

 丹波福知山藩主 朽木玄綱の九男、母は側室 浅田氏。享年78。

 在職期間:1781年(33)~1826年(78)

 正室は石見浜田藩主 松平康福の娘。

 

六代 松平 乗美(のりよし)【1792~1845】

 松平乗保の二男、母は側室 池田氏。享年54。

 在職期間:1826年(35)~1842年(51)隠居

 正室丹波福知山藩主 朽木倫綱の娘。

 

七代 松平 乗喬(のりたか)【1826~1855】

 松平乗美の二男、母は側室 千葉氏。享年30。

 在職期間:1842年(17)~1855年(30)

 正室丹後田辺藩主 牧野節成の娘。

 

八代 松平 乗命(のりとし)【1848~1905】

 松平乗喬の二男、母は牧野節成の娘。享年58。

 在職期間:1855年(8)~1871年(24)1869年より知藩事

 正室尾張名古屋藩主 徳川斉荘の娘、継室は和泉岸和田藩主 岡部長寛の娘。

 

岩村城

 

3. 旗本大給松平家

(1)旗本:松平仲家

 松平乗紀の三男致乗は1717年に父の遺領から美濃国内で新田二千石を与えられた。御小姓組番頭などをつとめた。二代乗俊には嗣子がなく、叔父朽木玄綱の五男乗純を養子に迎えた。三代乗純も嗣子がなく一族の乗陳を養子に迎えた。四代乗陳は西ノ丸の御書院番をつとめた。五代乗集は中奥の番士などをつとめた。

 

(寛政年間までの当主)

初代 松平 致乗(ゆきのり)【1702~1739】

 松平乗紀の三男、母は朽木稙綱の娘。享年38。

 

二代 松平 乗俊(のりとし)【1725~1744】

 松平致乗の長男。1739年に15歳で家督相続。享年20。

 妻は旗本高木正栄の娘。

 

三代 松平 乗純(のりずみ)【1734~1761】

 丹波福知山藩主 朽木玄綱の五男。1744年に11歳で家督相続。享年28。

 妻は旗本 池田頼教の娘。

 

四代 松平 乗陳(のりつら)【1745~1786】

 一族松平乗行の二男。1761年に17歳で家督相続。享年42。

 妻は旗本 片桐友従の娘。この片桐家は大和小泉藩片桐家の分家。

 

五代 松平 乗集(のりちか)【1770~?】

 松平乗陣の長男、母は片桐友従の娘。

 1786年に17歳で家督相続。

 妻は旗本 永井直諒の娘。旗本 岡部長貴の養女(岡部直清の娘)。

 

※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。

 

参考文献:

 江戸時代全大名家事典(東京堂出版

 日本史諸家系図人名事典(講談社

 江戸大名家血族事典(新人物往来社

 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社

 寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)

 名門・名家大辞典(東京堂出版

 日本名字家系事典(東京堂出版

 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社

 徳川将軍家・松平一族のすべて(新人物往来社

 続徳川実紀 第1篇、第2篇、第3篇、第4篇、第5篇(経済雑誌社 / 国立国会図書館デジタルコレクション)

 家康と松平一族(安城市歴史博物館)

 

それでは、今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございます。