こんにちは、勘矢です。
今回は西尾藩分家の大給松平家について調べたことをまとめました。
1. 旗本大給松平家
(1)旗本:松平内匠頭家
松平乗春の二男乗興は1690年に父の遺領から肥前国内で五千石を分与され、翌年兄乗邑の転封に伴い近江国内に移された。御小姓組番頭や御書院番頭をつとめ、1724年に将軍世子家重の御側となった。二代乗行は御使番、西ノ丸御小姓組番頭などをつとめた。三代乗森は中奥の御小姓、小普請組支配をつとめた。
四代乗譲は御小姓組番頭、御書院番頭、留守居などをつとめた。五代乗顕は中奥の御小姓、百人組頭、新番頭をつとめた。六代乗弼は御小姓、百人組頭をつとめた。七代乗恵は御使番をつとめた。
初代 松平 乗興(のりおき)【1686~1752】
松平乗春の二男、母は奥平昌能の娘。
1739年に54歳で隠居。享年67。
妻は伊勢長島藩主 増山正弥の娘。
二代 松平 乗行(のりゆき)【1725~1776】
松平乗興の長男。1739年に15歳で家督相続。享年52。
三代 松平 乗森(のりもり)【1745~1792】
松平乗行の長男。1776年に32歳で家督相続。享年48。
妻は近江三上藩主 遠藤胤将の養女(遠藤胤忠の娘、離婚)。後妻は上総大多喜藩主 松平正温の娘。後々妻は丹後田辺藩主 牧野惟成の養女(旗本 牧野美成の娘)。
四代 松平 乗譲(のりより)【1775~1842】
松平乗森の長男。
1792年に18歳で家督相続。享年68。
妻は遠江横須賀藩主 西尾忠移の娘。
五代 松平 乗顕(のりあきら)【?~?】
松平乗譲の長男、母は西尾忠移の娘。下野守。
1842年に家督相続。
六代 松平 乗弼 【?~1858】
七代 松平 乗恵 【?~?】
伊勢神戸藩主 本多忠寛養子 忠穆の子。実父忠穆は越後新発田藩主溝口直諒の子。
乗弼の養子となり、1858年に家督相続。求馬介。
(2)旗本:松平伝兵衛家
松平家乗の二男知乗は1616年に召し出されて中奥小姓となり、蔵米五百俵を与えられた。1621年に蔵米を改められて三河国内で千石を与えられ、その後御書院番となった。1633年に常陸国内で加増されて千二百石となった。
二代乗延は家督相続時に三百石を弟乗英に分与したので、九百石を知行した。1663年に常陸国内の知行地を相模国内に移された。三代乗邦は兄の養子となって相続し、作事奉行をつとめ、久能山東照宮の修復を担当した。1702年に武蔵国内で三百石を加増され千二百石となり、1705年に大目付に進んだ。
四代乗南は御小姓組をつとめ、1728年の日光社参に供奉した。五代乗梯は婿養子で、六代乗季は義兄の養子となって相続した。乗季は新番頭などをつとめた。
(寛政年間までの当主)
初代 松平 知乗(とものり)【1602~1659】
妻は松平忠吉の家臣 山上信安の娘。
二代 松平 乗延(のりのぶ)【1627~1694】
松平知乗の長男、母は松平忠吉の家臣 山上信安の娘。
1659年に33歳で家督相続。1691年に65歳で隠居。享年68。
妻は高家 大沢基重の娘。旗本 加藤良勝の娘。
三代 松平 乗邦(のりくに)【1652~1734】
松平知乗の六男。
兄の養子となり、1691年に40歳で家督相続。1721年に70歳で隠居し、蔵米三百俵を賜った。享年83。
妻は上野前橋藩酒井家の家臣 折井幹歓の娘。
四代 松平 乗南(のりなみ)【1680~1742】
松平乗邦の長男、母は折井幹歓の娘。
1721年に42歳で家督相続。
1739年に60歳で隠居。享年63。
妻は旗本 柘植兄正の娘。後妻は旗本 赤井忠広の娘。後々妻は甲府徳川家の家臣 松平乗中の娘。
五代 松平 乗梯(のりかけ)【1713~1743】
旗本 蒔田広蕃の四男。
1739年に27歳で家督相続。享年31。
妻は松平乗南の娘。
六代 松平 乗季(のりすえ)【1733~1789】
松平乗南の三男。1743年に11歳で家督相続。享年57。
妻は旗本 三好長栄の娘。後妻は旗本 堀成品の娘。
七代 松平 乗冬(のりふゆ)【1767~?】
松平乗季の長男、母は三好長栄の娘。
1789年(23歳)。
(3)旗本:松平備後守家
松平知乗の二男乗英は1650年に召し出されて西ノ丸の御小姓組の番士となり、1652年に蔵米三百俵を与えられた。1659年に父の遺領から三河国内で三百石を分与され蔵米は返還した。乗英は甥の乗明を養子として相続させた。乗明は御小納戸、御先弓頭などをつとめた。
乗明の長男は実弟乗有の養子となり、二男は早世したため、実弟乗有の四男乗尹を養子に迎えた。三代乗尹は御小納戸などをつとめたのち作事奉行となり、久能山東照宮の修復を担当した。1786年に上総国内で加増されて六百石となった。四代乗識は御小姓組番頭などをつとめた。
(寛政年間までの当主)
初代 松平 乗英(のりふさ)【1633~1714】
松平知乗の二男、母は山上信安の娘。1698年に66歳で隠居。享年82。
妻は旗本 大橋親重の娘。
二代 松平 乗明(のりあきら)【1673~1740】
松平乗武の二男。
1698年に26歳で家督相続。享年68。
妻は旗本 日下宗恒の娘。後妻は御家人 鳥居包重の娘。
松平 乗道(のりみち)【?~1736】
松平乗明の二男。御小姓組に列した。父に先立ち没した。
三代 松平 乗尹(のりただ)【1726~1790】
松平乗有の四男。
伯父乗明の養子となり、1740年に15歳で家督相続。享年65。
妻は旗本 横田栄松の娘。
四代 松平 乗識(のりちか)【1748~?】
松平乗尹の長男、母は横田栄松の娘。
1790年に43歳で家督相続。
妻は旗本 山村良旺の娘。
松平 乗堪(のりひで)【1773~1790】
松平乗識の長男。父に先立ち没した。享年18。
松平 乗功(のりかつ)【1776~?】
松平乗識の二男、母は山村良旺の娘。御小納戸。
妻は旗本 柘植正寔の娘(離婚)、後妻は旗本 大橋親厚の養女(旗本 稲垣昭庶の娘)。
(4)旗本:松平一学家
松平知乗の三男乗武ははじめ甲府藩主徳川綱重に附属され、1704年に綱重の子家宣の将軍家相続に伴い幕臣となった。このとき蔵米千三百俵を与えられ、のちに上総・下総国内で千三百石となった。長男乗中も甲府徳川家に仕えたが、父に先立ち没した。
二代乗有は御使番、御目付、奈良奉行をつとめた。三代乗守は西ノ丸御書院番をつとめた。四代乗崇は西ノ丸御小姓組をつとめた。
(寛政年間までの当主)
初代 松平 乗武(のりたけ)【1636~1711】
松平知乗の三男、母は山上信安の娘。
1710年に75歳で隠居し、蔵米三百俵を賜った。享年76。
二代 松平 乗有(のりあり)【1683~1743】
松平乗武の三男。1710年に28歳で家督相続。享年61。
妻は交代寄合 福原資清の娘。
松平 乗芳(のりふさ)【1697~1741】
松平乗明の長男、母は日下宗恒の娘。
叔父乗有の婿養子となり、御書院番に列したが、父に先立ち没した。享年45。
妻は松平乗有の娘。
三代 松平 乗守(のりもり)【1722~1779】
松平乗有の三男、母は福原資清の娘。
1743年に22歳で家督相続。享年58。
妻は旗本 藤枝豊忠の娘。藤枝氏は甲府藩主徳川綱重の生母於夏の方の実家。
四代 松平 乗崇(のりたか)【1753~?】
松平乗守の長男、母は藤枝豊忠の娘。
1779年に27歳で家督相続。
妻は旗本市岡正峯の娘。寛政譜の市岡の項では正峰。
(5)旗本:松平鑛蔵家
松平知乗の四男乗実は甲府藩徳川家に仕えた。その子乗充は1704年に徳川家宣が将軍世子となったときに御家人に列し、蔵米二百六十俵を賜った。乗憑は一橋宗尹の附属となり近習番となった。
(寛政年間までの当主)
初代 松平 乗充(のりみつ)【1660~1733】
松平乗実の長男。
1727年に68歳で隠居。享年74。
妻は上総大多喜藩阿部伊予守家臣 天海文九郎の娘。
二代 松平 乗憑(のりより)【1711~1788】
松平乗充の二男、母は天海文九郎の娘。
1727年に17歳で家督相続。1769年に59歳で隠居。享年78。
妻は旗本 太田盛照の娘。
三代 松平 乗員(のりかず)【1745~1779】
松平乗憑の長男、母は太田盛照の娘。
1769年に25歳で家督相続。享年35。
妻は旗本 西山昌長の娘(離婚)。旗本 市川忠昌の娘。
四代 松平 乗郷(のりさと)【1752~?】
旗本 土井利意の三男、母は大屋信行の娘。
妻は松平乗員の娘。
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
参考文献:
寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社)
続徳川実紀 第2篇、第3篇、第4篇、第5篇(経済雑誌社 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
寛政譜以降 旗本百科事典 第5巻(東洋書林)
日本人名大辞典(講談社)
増補改訂版 日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本(中経出版)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。