こんにちは、勘矢です。
1. 大給松平氏
大給松平氏は、松平親忠の二男乗元が三河国賀茂郡大給(愛知県豊田市松平町大給)を領したことからはじまる。一説には、三河国賀茂郡荻生庄の地頭荻生氏に乗元が婿養子となったともいわれている。乗元の孫の代に嫡流と傍流の親清流に分かれた。
嫡流の家乗は1590年に徳川家の関東移封で上野那波(群馬県伊勢崎市)一万石を領し、関ヶ原の戦い後の1601年に美濃岩村二万石となった。以降の歴代の藩主は幕府の要職に就くことが多いため転封を繰り返し、1764年に三河西尾六万石に移されて以降はここに定着した。歴代のうち、乗寿・乗邑・乗完・乗寛・乗全が老中をつとめ、後者の三名は三代続けて老中となった。
家乗の二男真次の子孫は三河奥殿藩主、乗寿の二男乗政の子孫は美濃岩村藩主となった。傍流の親清流は豊後府内藩主となった。また、旗本となった家も数多くある。
松平 乗元(のりもと)【1443~1537】
松平親忠の二男。享年95。
松平 乗正(のりまさ)【1482~1541】
松平乗元の子。享年60。
松平 親乗(ちかのり)【1515~1577】
松平乗勝の子、母は松平清康の養女。享年63。妻は松平(桜井)信定の娘。
松平 真乗(さねのり)【1546~1582】
松平親乗の長男、母は松平(桜井)信定の娘。享年37。妻は戸田弾正の娘。
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2. 三河西尾藩松平家
(1)上野那波から転封を重ね上野館林へ
松平家乗は1582年にわずか7歳で家督相続した。1590年の小田原の陣に従軍し、その後、上野国那波郡内で一万石を与えられた。1600年の関ヶ原の戦いでは三河吉田城を守備し、翌年に一万石を加増されて二万石で美濃岩村に移った。
二代乗寿が家督相続した1614年は大坂冬の陣が起き、乗寿は河内国枚方に出陣し、翌年の夏の陣でも枚方に出陣して活躍した。1638年に奏者番となり、加増されて遠江浜松三万五千石となった。1642年に西ノ丸老中となり、1644年に加増されて上野館林六万石となった。1651年に徳川家綱が将軍となると本丸老中となり、在職中に没した。
初代 松平 家乗(いえのり)【1575~1614】
松平真乗の長男、母は戸田弾正の娘。享年40。
那波藩主 在職期間:1600年(26)~1601年(27)
岩村藩主 在職期間:1601年(27)~1614年(40)
二代 松平 乗寿(のりなが)【1600~1654】
岩村藩主 在職期間:1614年(15)~1637年(38)
浜松藩主 在職期間:1638年(39)~1644年(45)
館林藩主 在職期間:1644年(45)~1654年(55)
(2)上野館林から転封を重ね下総佐倉へ
三代乗久は家督相続時に弟乗政に五千石を分与した。1661年に五千石を加増され下総佐倉六万石となり、1678年に加増されて肥前唐津七万石となった。乗久の長男忠尚は奥平松平家の養子となったため二男乗春が跡を継いだ。このとき、弟好乗に三千石(二千石と新墾田)、乗重に新墾田二千八百石を分与したので六万八千石となった。
五代乗邑は1690年にわずか5歳で家督相続し、弟乗興に五千石、乗住に三千石を分与したので六万石となった。翌年に志摩鳥羽へ転封となり、1710年に伊勢亀山へ転封となった。1712年、一族間に起こった紛争の措置が悪かったため逼塞となった。
1717年に山城淀へ転封となり、翌年に大坂城代となった。1718年に老中となり、下総佐倉に再封となった。八代将軍徳川吉宗による享保の改革を支え、農政・財政の最高責任者をつとめた。1745年に一万石を加増されたが、吉宗が隠居すると老中を更迭され、一万石を収公され、蟄居の身となった。
三代 松平 乗久(のりひさ)【1633~1686】
松平乗寿の長男、母は側室 赤城氏。享年54。
館林藩主 在職期間:1654年(22)~1661年(29)
佐倉藩主 在職期間:1661年(29)~1678年(46)
唐津藩主 在職期間:1678年(46)~1686年(54)
四代 松平 乗春(のりはる)【1654~1690】
松平乗久の二男、母は水野忠善の娘。享年37。
在職期間:1686年(33)~1690年(37)
五代 松平 乗邑(のりさと)【1686~1746】
松平乗春の長男、母は奥平昌能の娘。享年61。
唐津藩主 在職期間:1690年(5)~1691年(6)
鳥羽藩主 在職期間:1691年(6)~1710年(25)
伊勢亀山藩主 在職期間:1710年(25)~1717年(32)
淀藩主 在職期間:1717年(32)~1723年(38)
佐倉藩主 在職期間:1723年(38)~1745年(60)隠居
(3)絶家した分家旗本家
1)松平乗寿の三男乗員は将軍世子徳川家綱に附属されて御小姓をつとめた。1654年に兄乗政に与えられていた蔵米千俵を与えられ別家したが、1657年に無嗣断絶となった。
松平 乗員(のりかず)【?~1657】
松平乗寿の三男。
2)松平乗久の七男好乗は1686に父の遺領から三千石を分与されて別家した。御小姓組番頭、御書院番頭などをつとめた。三代影乗が早世したため無嗣断絶となった。
松平 好乗(よしのり)【1662~1714】
松平乗久の七男、母は水野忠善の娘。享年53。
松平 乗種(のりたね)【1693~1722】
松平好乗の長男。1714年に22歳で家督相続。享年30。
松平 影乗(かげのり)【1721~1723】
松平乗種の長男。1722年にわずか2歳で家督相続。。享年3。
3)松平乗久の八男乗重も1686年に父の遺領から二千八百石を分与されて別家したが、1689年に無嗣断絶となった。
松平 乗重(のりしげ)【1667~1689】
松平乗久の八男、母は水野忠善の娘。享年23。
4)松平乗春の三男乗住は1690年に父の遺領から三千石を分与され、翌年近江国内に移された。1696年に早世し無嗣断絶となった。
松平 乗住(のりずみ)【1689~1696】
松平乗春の三男、母は奥平昌能の娘。享年8。
5)松平乗邑の五男乗溥は元文2年に将軍世子徳川家治附属の御小姓となり、蔵米二千俵を与えられた。1744年に嗣子なく断絶した。
松平 乗溥(のりひろ)【1722~1744】
松平乗邑の五男。享年23。妻は松平乗種の娘。
(4)三河西尾藩主(前期)
六代乗佑は兄意乗が早世したために嫡子となった。1745年に父乗邑が蟄居の身になったため、乗佑が下総佐倉六万石を相続することになったが、間もなく出羽山形へ転封となった。1760年に奏者番・寺社奉行兼任し、1764年に大坂城代に任ぜられて三河西尾へ転封となった。
七代乗完は兄たちが早世したため、嫡子となって1769年に家督相続した。1781年に奏者番、1787年に寺社奉行を兼任し、その後京都所司代となった。1789年に老中となり、寛政の改革を行った松平定信を補佐し、在職中に没した。
六代 松平 乗佑(のりすけ)【1715~1769】
松平乗邑の二男、母は側室 柳瀬氏。享年55。
佐倉藩主 在職期間:1745年(31)~1746年(32)
山形藩主 在職期間:1746年(32)~1764年(50)
西尾藩主 在職期間:1764年(50)~1769年(55)
松平 乗孝(のりたか)【1745~1766】
松平乗佑の長男、母は堀口氏。父に先立ち没した。享年22。
七代 松平 乗完(のりさだ)【1752~1793】
松平乗佑の四男、母は側室 堀口氏。享年42。
在職期間:1769年(18)~1793年(42)
正室は信濃高島藩主 諏訪忠林の娘 イハ。継室は上野館林藩主 松平武元の娘。
(5)三河西尾藩主(後期)
八代乗寛は1800年に奏者番となり、1809年から1813年に寺社奉行をつとめ、1815年に寺社奉行に再任され、1818年に老中となった。
九代乗全は1840年に奏者番となり、その後寺社奉行を兼任した。1844年に大坂城代となり、翌年に西ノ丸老中、1848年に本丸老中となった。1855年に老中を罷免され、1858年に再任されたが、1860年の桜田門外の変後に辞職した。
十代乗秩は兄乗全の嫡子乗懿が1850年に没したため兄の養子なり、1862年に家督相続した。1864年に奏者番となり、翌年に寺社奉行となったがのちに辞職した。1866年に第二次長州征討のため大坂に出兵した。
多くの老中を輩出した大給松平家であるが勤王方へ方針を転換し、1868年に新政府の東海道先鋒総督橋本実梁に誓書を提出し、東海道に出兵した。また、乗秩は上洛して京都警護にあたった。1869年に版籍奉還して西尾藩知事に任ぜられ、1871年に廃藩置県を迎えた。
八代 松平 乗寛(のりひろ)【1777~1839】
松平乗完の長男、母は松平(越智)武元の娘。享年63。
在職期間:1793年(17)~1839年(63)
正室は備後福山藩主 阿部正倫の娘 利恵子。
九代 松平 乗全(のりやす)【1794~1870】
松平乗寛の長男、母は阿部正倫の娘。享年77。
松平 乗懿【1827~1850】
松平乗全の子。享年24。
十代 松平 乗秩(のりつね)【1839~1873】
松平乗寛の四男、母は側室 伊東氏。享年35。
在職期間:1862年(24)~1871年(33)1869年より知藩事
参考文献:
江戸時代全大名家事典(東京堂出版)
江戸大名家血族事典(新人物往来社)
日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社)
寛政重修諸家譜(國民圖書 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
名門・名家大辞典(東京堂出版)
日本名字家系事典(東京堂出版)
日本人名大辞典(講談社)
増補改訂版 日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本(中経出版)
家康と松平一族(安城市歴史博物館)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。