探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

引っ越し大名 松平大和守家

こんにちは、勘矢です。
今回は来週(8/30)公開予定の映画、「引っ越し大名!」に登場する大名松平家ついて調べたことをまとめました。
 
 

1. 松平大和守家とは

 松平大和守家は、結城秀康徳川家康の二男)の五男直基が越前勝山に領地を与えられたことからはじまります。初代松平直基ははじめ、結城家の名跡を継ぎましたが、のちに松平を名乗りました。
 (1)越前勝山 三万石からはじまり、(2)越前大野 五万石、(3)出羽山形 十五万石、(4)播磨姫路、(5)越後村上、(6)播磨姫路と加増されながら転封を繰り返しました。越後騒動に連座して(7)豊後日田 七万石に減封されました。その後、(8)出羽山形 十万石、(9)陸奥白河 十五万石と元の石高まで戻り、再度(10)播磨姫路に入りました。さらに(11)上野前橋、(12)武蔵川越と転封となり、将軍家斉の子を養子に迎えたあとに二万石を加増されて十七万石となり、その後再び(13)上野前橋に戻り、廃藩置県を迎えました。
 領地が13回も変わり、引越しを12回行いました。その内の半分が映画に出てくる殿様の松平直矩のときに起こりました。
 

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松平大和守家略系図
 

2. 松平大和守家の領地変遷

(1) 越前勝山藩(福井県勝山市

 初代 松平 直基【1604~1648】
  在任期間:1624(21歳)~1635(32歳)
 
 松平直基の兄松平忠直が改易されると、その遺領の一部を与えられ越前勝山を領知しました。
 松平直基(32歳)が越前大野へ移ると、弟の松平直良(32歳)が越前木本より越前勝山に入りました。
 

(2) 越前大野藩(福井県大野市

 初代 松平 直基
  在任期間:1635(32歳)~1644(41歳)
 
 陸奥会津の加藤明成(52歳)がお家騒動で改易されると、出羽山形の保科正之(33歳)が会津に移り、越前大野の松平直基(41歳)が山形に移り、越前勝山の松平直良(41歳)が越前大野に移りました。
 
 

(3) 出羽山形藩<第一次>(山形県山形市

 初代 松平 直基
  在任期間:1644(41歳)~1648(45歳)
 
 播磨姫路の松平(奥平)忠弘(18歳)が出羽山形、松平直基(45歳)が出羽山形から播磨姫路へと入れ替わる転封が行われました。
 

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山形城
 

(4) 播磨姫路藩<第一次>(兵庫県姫路市

 初代 松平 直基
  在任期間:1648(45歳)~1648(45歳)
 
 2代 松平 直矩【1642~1695】
  在任期間:1648(7歳)~1649(8歳)
 
 播磨姫路の松平直矩(8歳)が幼少のため越後村上に移され、越後村上の本多忠義(48歳)が陸奥白河に移り、陸奥白河の榊原忠次(45歳)が播磨姫路に移るという三者が入れ替わる転封が行われました。
 

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姫路城
 

(5) 越後村上藩新潟県村上市

 2代 松平 直矩(なおのり)
  在任期間:1649(8歳)~1667(26歳)
 
 播磨姫路の榊原政倫(3歳)が幼少のため越後村上に移され、越後村上の松平直矩(26歳)が前任地の播磨姫路へと入れ替わる転封が行われました。
 
 

(6) 播磨姫路藩<第二次>(兵庫県姫路市

 2代 松平 直矩(なおのり)
  在任期間:1667(26歳)~1682(41歳)
 
 越後騒動に連座された松平直矩(41歳)は九州の豊後日田に移され、陸奥福島の本多忠国(17歳)が播磨姫路に移される転封が行われました。福島は幕府領となりました。
 

(7) 豊後日田藩(大分県日田市)

 2代 松平 直矩(なおのり)
  在任期間:1682(41歳)~1686(45歳)
 
 出羽山形の堀田正仲(25歳)が陸奥福島へ移され、豊後日田の松平直矩(45歳)が出羽山形に移される転封が行われました。
 

(8) 出羽山形藩<第二次>(山形県山形市

 2代 松平 直矩(なおのり)
  在任期間:1686(45歳)~1692(51歳)
 
 陸奥白河の松平(奥平)忠弘(62歳)が家臣騒擾のため出羽山形に移され、出羽山形の松平直矩(51歳)が陸奥白河へと入れ替わる転封が行われました。
 

(9) 陸奥白河藩福島県白河市

 2代 松平 直矩(なおのり)
  在任期間:1692(51歳)~1695(54歳)
 
 3代 松平 基知(もとちか)【1679~1729】
  在任期間:1695(17歳)~1729(51歳)
 
 4代 松平 明矩(あきのり)【1713~1748】
  在任期間:1729(17歳)~1741(29歳)
 
 播磨姫路の榊原政岑(27歳)が不行跡のため隠居させられると子の政永(7歳)が継ぐが、幼少のため越後高田に転封され、越後高田の松平(久松)定賢(33歳)が陸奥白河に移され、陸奥白河の松平明矩(29歳)が先々代が領知していた播磨姫路に移りました。
 
 

(10) 播磨姫路藩<第三次>(兵庫県姫路市

 4代 松平 明矩(あきのり)
  在任期間:1741(29歳)~1748(36歳)
 
 5代 松平 朝矩(とものり)【1738~1768】
  在任期間:1748(11歳)~1749(12歳)
 
 播磨姫路の松平朝矩(12歳)が幼少のため上野前橋に移され、上野前橋の酒井忠恭(40歳)が播磨姫路へと入れ替わる転封が行われました。
 

(11) 上野前橋藩<第一次>(群馬県前橋市

 5代 松平 朝矩(とものり)
  在任期間:1749(12歳)~1767(30歳)
 
 居城の前橋城が利根川の水害による被害を受けたため、松平朝矩(30歳)が武蔵川越に移され、武蔵川越の秋元凉朝(51歳)が幕府領になっていた出羽山形へ移される転封が行われました。前橋はこれ以降川越藩の飛び地となりました。
 また、この転封の背景には、老中を務めていた秋元凉朝と田沼意次との確執があったからだといわれるが、凉朝はこの転封を聞き入れず隠居し、養子の永朝が山形に移りました。
 

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前橋城
 

(12) 武蔵川越藩(埼玉県川越市

 5代 松平 朝矩(とものり)
  在任期間:1767(30歳)~1768(31歳)
 
 6代 松平 直恒(なおつね)【1762~1810】
  在任期間:1768(7歳)~1810(49歳)
 
 7代 松平 直温(なおのぶ)【1795~1816】
  在任期間:1810(16歳)~1816(22歳)
 
 8代 松平 斉典(なりつね)【1797~1850】
  在任期間:1816(20)~1850(54歳)
 
 9代 松平 典則(つねのり)【1836~1883】
  在任期間:1850(15歳)~1854(19歳)
 
 10代 松平 直侯(なおよし)【1839~1861】
  在任期間:1854(16歳)~1861(23歳)
 
 11代 松平 直克(なおかつ)【1840~1897】
  在任期間:1861(22歳)~1867(28歳)
 
 前橋城の再築が認められ、松平直克(28歳)は武蔵川越から上野前橋に移り、陸奥棚倉の松平(松井)康英(37歳)が武蔵川越に移り、陸奥白河の阿部正静(18歳)が陸奥棚倉に移される転封が行われました。白河は廃藩となりました。
 背景として、川越藩は江戸に近いので老中になった人物が度々藩主を務めることがあり、松平(松井)康英は老中に就任しましたので、その先例に倣うという考えがあったのではないかと思います。
 また、松平直克松平春嶽のあとに政事総裁職をつとめていましたが、幕府内での意見対立で主張を避けられ罷免されました。そういうことも移封された要因のひとつであったのかもしれません。
 
 

(13) 上野前橋藩<第二次>(群馬県前橋市

 11代 松平 直克(なおかつ)
  在任期間:1867(28歳)~1869(30歳)
 
 12代 松平 直方(なおかた)【1858~1907】
  在任期間:1869(12歳)~1871(14歳)
 
 

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再築前橋城復元図
 

3. 幻の引っ越し~三方領知替え事件~

 八代松平斉典は、将軍家斉の二十四男斉省を婿養子に迎えたのを機に、旧領の播磨姫路への転封を願いましたが実現しませんでした。その後、出羽鶴岡への転封を願って、出羽鶴岡の酒井氏を越後長岡へ、越後長岡の牧野氏を武蔵川越へ移封が命ぜられたが、鶴岡の領民の激しい反対運動があり、この国替えは撤回されました。
 幕命が庶民の反対で撤回されることは前代未聞で、この事件は幕府の威信を失墜させました。
 
 
参考文献:
 江戸時代全大名家事典(東京堂出版
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 江戸大名家血族事典(新人物往来社
 寛政重修諸家譜国立国会図書館デジタルコレクション
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社
 江戸三百藩大全(廣済堂出版
 
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。