こんにちは、勘矢です。
今回は長州藩毛利一門の宍戸家・右田毛利家・厚狭毛利家について調べたことをまとめました。
1. 宍戸家
宍戸家は常陸国茨城郡宍戸(茨城県笠間市宍戸)発祥で、八田知家の四男家政が宍戸氏を称したことから始まる。南北朝時代の朝家は足利尊氏に従って安芸国高田郡甲立荘(広島県安芸高田市甲田町)を賜って下向し、安芸宍戸氏の祖となった。
戦国時代の元源は近隣の毛利氏と交戦を繰り返していたが、嫡孫隆家が毛利元就の娘と結婚したことにより、毛利氏の藩屏となり、隆家は元就の子息らとともに毛利氏発展の支柱となった。
江戸時代は長州藩一門となり、三丘で一万五千石。幕末の親基は家老となり、四国艦隊下関砲撃事件では講和使節、第二次幕長戦争では芸州口の指揮役をつとめた。親基の孫乙彦は1900年に特旨を以て男爵を授けられた。
宍戸 隆家 【1518~1592】
宍戸元源の嫡孫。母は備後の国人 山内直通の娘。享年75。
三女は毛利輝元室。
宍戸 元秀 【1547~1597】
宍戸隆家の子。享年51。
妻は内藤興盛の娘。
宍戸 元続 【1563~1631】
宍戸元秀の子。享年69。
平成 27 年度山口県文書館第7回資料小展示 信長の娘と伝えられた女性
宍戸 広匡 【?~1626】
宍戸元続の子。
妻は穂井田元清の娘。
宍戸 就尚 【1607~1640】
宍戸広匡の子。享年34。
妻は興正寺門跡准尊の娘。
宍戸 就附 【1635~1676】
熊谷元実の子、宍戸就尚の甥。享年42。
妻は宍戸就尚の娘。
宍戸 就延 【1643~1722】
熊谷元実の子、宍戸就附の弟。享年80。
妻は阿川毛利就泰の娘。
宍戸 広隆 【1686~1736】
熊谷就実の子、宍戸就延の甥。享年51。
妻は宍戸就延の娘。
宍戸 広周 【1720~1772】
熊谷元貞の子、宍戸広隆の甥。享年53。
妻は厚狭毛利元連の娘。
宍戸 就年 【1749~1826】
宍戸広周の子。享年78。
妻は矢野紀以の養女。
宍戸 親朝 【1772~1831】
宍戸就年の子。享年60。
妻は右田毛利就任の養女。
宍戸 元礼 【1808~1867】
妻は二条治孝の子寛斎の娘 永姫。
宍戸 親基 【1827~1886】
妻は上田安定の娘、後妻は東坊城聡長の娘 朝子。
2. 右田毛利家
幕末の元統は1862年に上京して内外の庶政を翼賛し、翌年兵庫警衛総督となって手兵を率いて警備、その後帰藩して防州南海防禦総督を兼ねた。1864年に吉川経幹と共に益田・福原・国司の三家老の首級を携えて広島に行き、征長総督 徳川慶勝に藩主父子の謝罪を陳述した。1868年に藩の職制改革によって執政となり、翌年大参事に任ぜられた。
元統の養子親信は1865年に家督相続し、第二次幕長戦争では石州出兵総督となった。鳥羽伏見の戦い、その後は北越に転戦した。1869年に施政司に任ぜられた。翌年から4年に渡ってフランスへ留学し、1879年に第百十国立銀行を設立して頭取となった。養子の祥久は親信の功績により1897年に男爵を授けられた。
初代 毛利 元政 【1559~1609】
毛利元就の七男、母は乃美氏。享年51。
正室は天野元定の娘。
二代 毛利 元俱 【1585~1645】
毛利元政の長男、母は木梨隆盛の娘。享年61。
正室は宍戸元続の娘。
三代 毛利 元法 【1603~1652】
毛利元俱の長男、母は宍戸元続の娘。享年50。
四代 毛利 就信 【1626~1703】
毛利元法の長男、母は堅田元慶の娘。享年78。
正室は周防岩国領主 吉川広正の娘。
五代 毛利 広政 【1687~1733】
吉敷毛利就直の四男、母は春日氏。宝永元年家督相続。享年47。
正室は厚狭毛利就久の娘、継室は北面松波光篤の娘。
六代 毛利 広信 【1721~1733】
毛利広政の長男、母は厚狭毛利就久の娘。享年13。
七代 毛利 広定 【1719~1769】
正室は毛利広政の娘。
八代 毛利 就任 【1756~1803】
毛利広定の長男。享年48。
正室は梅園中将入道慎山の娘。
九代 毛利 房良 【1784~1805】
毛利就任の長男、母は梅園氏。享年22。
十代 毛利 房顕 【1794~1842】
毛利就任の四男。はじめ児玉親忠の養子。享年49。
正室は益田親愛の娘。
十一代 毛利 元統 【1818~1887】
吉敷毛利房謙の子、母は益田親愛の娘。通称筑前、諱は元亮とも。享年70。
正室は厚狭毛利元教の妹。
十二代 毛利 親信 【1849~1885】
村上惟庸の長男(毛利房顕の三男で村上元顕の養子)、母は村上元顕の娘。通称藤内。享年37。
正室は毛利元統の娘。
3. 厚狭毛利家
幕末の元美は領内各地の防禦惣奉行などをつとめていたが病気により辞職した。1863年の外国船砲撃により馬関諸隊惣奉行を命ぜられて出陣した。その後は嫡子親民と国事に周旋した。
初代 毛利 元秋 【1552~1585】
毛利元就の五男。享年34。
二代 毛利 元康 【1560~1601】
毛利元就の八男。享年42。
正室は杉原盛重の娘、継室は吉見広頼の娘。
三代 毛利 元宣 【1598~1667】
毛利元康の長男。享年70。
正室は右田毛利元政の娘。
四代 毛利 元勝 【1646~1697】
毛利元宣の長男。享年52。
正室は益田就宣の娘。
五代 毛利 就久 【1672~1743】
右田毛利別家 毛利雅信の二男。享年72。
正室は吉敷毛利就直の養女(宍戸就附の娘)。
六代 毛利 元連 【1699~1774】
毛利就久の長男、母は吉敷毛利就直の養女。享年76。
七代 毛利 就盈 【1739~1776】
周防徳山藩主 毛利広豊の子。享年38。
正室は毛利元連の娘。
八代 毛利 就宣 【1762~1804】
右田毛利広定の三男。享年43。
正室は毛利就盈の娘。
九代 毛利 房晁 【1786~1844】
毛利就宣の長男、母は利就盈の娘。初名房衆。享年59。
正室は右田毛利就任の娘。
十代 毛利 元美 【1811~1885】
毛利房晁の長男、母は右田毛利就任の娘。通称能登、初名元教。享年75。
毛利 親民【1837~1883】
毛利房衆の三男。はじめ清水親春の婿養子となったが、離別して実兄元美の養子となった。家督を継がないまま病没。享年47。
参考文献:
近世防長諸家系図綜覧(防長新聞社 山口支社編)
名門・名家大辞典(東京堂出版)
日本人名大辞典(講談社)
稿本もりのしげり(時山弥八 編 / 国立国会図書館デジタルコレクション)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。