探検!日本の歴史

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豊後臼杵藩 稲葉家

こんにちは、勘矢です。
今回は豊後臼杵藩 稲葉家とその一族について調べたことをまとめました。
 
 

1. 臼杵藩稲葉家とは

 伊予国愛媛県)の河野氏出身の通貞は、1464年に美濃国に移って土岐成頼に仕え、稲葉に改姓したことからはじまります。その子通則も土岐氏に仕えましたが、近江国滋賀県)の浅井亮政との戦いで五人の子と共に討死しました。僧籍に入っていた末子の良通(一鉄)が還俗して家を継ぎました。
 良通は土岐氏が没落すると斎藤氏、斎藤氏の没落後は織田信長に仕え、各地を転戦して軍功をあげました。また、氏家卜全安藤守就と共に美濃三人衆といわれました。本能寺の変後は羽柴秀吉に従いました。
 その子貞通も秀吉に属し、郡上八幡で四万石を領しました。関ヶ原の戦いでは、はじめ西軍に属していましたが、後に東軍に転じました。その後、豊後臼杵五万石を与えられ、幕末まで転封されることなく廃藩置県まで続きました。
 
 

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豊後臼杵藩稲葉氏略系図
 
 

2. 豊後臼杵藩 稲葉家

初代 稲葉 貞通(さだみち)【1546~1603】
 稲葉一鉄の二男、母は三条西公條の娘。
 父一鉄と共に織田信長に仕え、1569年(24)に西美濃一帯において四万貫の所領を安堵されました。本能寺の変後は羽柴秀吉に仕えて曾根城主となるも、父の命により嫡男の典通に譲りました。
 1587年(42)九州平定に従軍したとき、典通が秀吉の勘気に触れて謹慎すると再度曾根城主となりました。1590(45)に美濃郡上八幡に移され、小田原の陣、文禄の役に出兵しました。
 1600年(55)関ヶ原の戦いでは、はじめ西軍に属していましたが、後に東軍に転じて伊勢長島攻め、近江水口城攻めを命ぜられました。その後、豊後臼杵五万石に転封となりました。入封すると臼杵城の改修に着手し、さらに領内の検地を行いました。享年58。
 正室斎藤道三の娘、継室は織田信秀の娘(信長の妹)、前田玄以の娘。
 
二代 稲葉 典通(のりみち)【1566~1626】
 稲葉貞通の長男、母は斎藤道三の娘
 1582年(17)に曾根城主となり、1587年(22)の九州平定に父と共に従軍しましたが、秀吉の勘気を蒙って逐電し、伊勢国朝熊に謹慎しました。
 1592年(27)の文禄の役のとき、秀吉の許しを得て秀吉の甥で養子の豊臣秀勝に付き従って渡海し、各地を転戦しました。翌年、豊臣秀次に仕えました。1600年(35)の関ヶ原の戦いでは父と行動を共にしました。
 1603年(38)に再度家督相続し、豊後臼杵藩主となりました。江戸城名古屋城などの改修などをつとめました。1613年(48)に日向延岡藩高橋元種が改易されたときに城番をつとめました。大坂の両陣にも従軍しました。享年61。
 正室織田家家臣 丹羽長秀の娘。
 
三代 稲葉 一通(かずみち)【1587~1641】
 稲葉典通の長男、母は丹羽長秀の娘。
 1627年に41歳で豊後臼杵藩を相続しました。1632年(46)に肥後熊本藩主 加藤忠広が改易されたときに八代城の城番をつとめ、1637年(51)の島原の乱の際には領地境の警備を命ぜられました。享年55。
 正室は豊後小倉藩細川忠興の娘、常陸江戸崎藩主 青山忠俊の娘。
 
四代 稲葉 信通(のぶみち)【1608~1673】
 稲葉一通の長男、母は細川忠興の娘。
 1641年に34歳で豊後臼杵藩を相続しました。江戸府内火防役、参向公卿の接待役などをつとめました。また、豊後府内藩主 日根野吉明の改易や肥前島原藩主 高力高長の改易のときに城番をつとめました。享年66。
 正室は上野小幡藩主 織田信良の娘、継室は先妻の妹。
 
五代 稲葉 景通(かげみち)【1639~1694】
 稲葉信通の長男、母は織田信良の娘。
 1673年に35歳で豊後臼杵藩を相続しました。参向公卿の接待役などの公役をつとめ、藩政では藩制の刷新を図り、地方知行制を廃止するなどの機構整備に意を注ぎました。享年56。
 正室筑後久留米藩主 有馬忠頼の娘。
 
六代 稲葉 知通(ともみち)【1652~1706】
 稲葉信通の三男、母は織田信良の娘。
 1681年(30)に兄景通の養子となり、1694年に43歳で豊後臼杵藩を相続しました。城下の道路改修や市日を定めて商業の発展を図りました。享年55。
 正室は越後新発田藩主 溝口重雄の娘。
 
七代 稲葉 恒通(つねみち)【1690~1720】
 稲葉知通の二男、母は溝口重雄娘。
 1706年に17歳で豊後臼杵藩を相続しました。翌年の富士山大噴火による関東一円の降灰砂の被害に一千両を献上しました。また、三河国矢作橋の普請手伝などを命ぜられ、初めて藩財政の危機を迎えました。享年31。
 正室は播磨明石藩主 松平(越前)直明の娘。
 
八代 稲葉 董通(まさみち)【1709~1737】
 稲葉恒通の長男、母は側室 玉井氏。
 1720年に12歳で豊後臼杵藩を相続しました。1732年(24)の大飢饉に際して、幕府から5年賦で五千両を借用し、さらに翌年、城下の大火によって藩財政は破綻状態になりました。享年29。
 正室筑後久留米藩主 有馬則維の娘。
 
九代 稲葉 泰通(やすみち)【1730~1768】
 稲葉董通の長男、母は側室 河合氏。
 1737年にわずか8歳で豊後臼杵藩を相続しました。在任期間には風雨災害・火災が続発し、1764年(35)には居城が火災に遭ったため、幕府から五千両を借用しました。享年39。
 正室常陸笠間藩主 牧野貞通の娘。
 
十代 稲葉 弘通(ひろみち)【1752~1818】
 稲葉泰通の子。
 泰通には側室が産んだ長男 通興と正室が産んだ二男 副通がいました。1768年(17)に泰通が没すると副通が家督相続するも、十代将軍 徳川家治にお目見えをする前に没したため、その死を伏せて兄通興を副通の身代わりにして1770年(19)に弘通と改名して将軍家治に拝謁しました。寛政重修諸家譜では副通は弘通の初名として記載があり、生母は正室の牧野貞通の娘となっています。
 弘通の在任期間も天災が続発し、天明の飢饉の最中に勅使接待役などの公役を命ぜらたため、藩財政は破綻状態が続きました。1800年に49歳で隠居しました。享年67。
 正室は牧野貞長の娘。
 
稲葉 候通(これみち)【1772~1789】
 稲葉弘通の長男、母は側室 津田氏。父に先立ち没しました。享年18。
 
十一代 稲葉 雍通(てるみち)【1776~1847】
 稲葉弘通の二男、母は側室 津田氏。
 1800年に25歳で豊後臼杵藩を相続しました。翌年、評定所内に学問所、武術稽古場を開いて藩校の基礎を築きました。1802年(27)に参向公卿接待役を命ぜられて出費がかさみ、借財は九千貫におよびました。
 1811年(36)に全藩的規模の一揆が発生しました。1820年に45歳で隠居しました。享年72。
 正室筑後久留米藩主 有馬頼貴の娘。
 
十二代 稲葉 尊通(たかみち)【1801~1821】
 稲葉雍通の長男、母は有馬頼貴の娘。
 1820年に20歳で豊後臼杵藩を相続しました。享年21。
 
十三代 稲葉 幾通(いくみち)【1815~1844】
 稲葉雍通の三男。
 兄尊通の養嗣子となり、1821年にわずか7歳で豊後臼杵藩を相続しました。幼少のため、父雍通が実質的な執政となり、借財二十六万両を解消するため、1831年(17)に家老 村瀬通古を起用して藩政改革を断行しました。1842年(28)に藩校学古館を創設しました。享年30。
 正室豊前中津藩主 奥平昌高の娘。
 
十四代 稲葉 観通(あきみち)【1837~1862】
 幾通の弟 稲葉通孚の長男。
 幾通の養嗣子となり、1844年にわずか8歳で豊後臼杵藩を相続しました。軍制の整備に力を注ぎ、1851年(15)に沿岸に四台場を築造しました。享年26。
 正室は土佐高知藩主 山内豊熙の娘。
 
十五代 稲葉 久通(ひさみち)【1843~1893】
 旗本 岡野知英の五男。
 久通の養嗣子となり、1862年に20歳で豊後臼杵藩を相続しました。1868年(26)に上洛して参内し、翌年に版籍奉還して臼杵藩知事に任ぜられました。1871年(29)に廃藩置県を迎えました。享年51。
 正室は稲葉通孚の娘(先代観通の姉妹)。
 
 

3.  臼杵藩 稲葉一族

稲葉 方通(まさみち)【1566~1640】
 稲葉良通の四男。
 美濃国西保の地を領し、のち東美濃の和知に移り住みました。その後、徳川家康に仕えて四千四百石を知行しました。1615年(50)に大坂夏の陣に松平乗寿、稲葉正成等とともに河内国枚方を守りました。その後、尾張藩徳川義直の附属となり、美濃国金山に住みました。享年75。
 
稲葉 通綱(みちつな)【1611~1635】
 稲葉一通の二男、母は細川忠興の娘。1635年(25)に三代将軍 徳川家光に拝謁しました。享年25。
 
稲葉 通広(みちひろ)【1612~1675】
 稲葉一通の三男、母は細川忠興の娘。1635年(24)に三代将軍 徳川家光に拝謁しました。享年64。
 
稲葉 通古(みちふる)【?~?】
 稲葉恒通の三男、母は江見田氏。妻は分家稲葉通長の娘。
 
参考文献:
 江戸時代全大名家事典(東京堂出版
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 江戸大名家血族事典(新人物往来社
 寛政重修諸家譜(國民圖書 /  国立国会図書館デジタルコレクション)
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本名字家系事典(東京堂出版
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。