こんにちは、勘矢です。
今回は前回(駿河今川氏 - 探検!日本の歴史)の続きで、その後の今川家について調べたことをまとめました。
1. 高家今川氏とは
2. 高家今川家
初代 今川 氏真(うじざね)【1538~1614】
1568年(31)に戦国大名家としての今川家が亡びたあと、妻の実家北条家に身を寄せるも、岳父北条氏康が亡くなるとその子氏政は上杉謙信との越相同盟を破棄して、今川氏の仇敵武田氏と結びました。そのため、徳川家康の元に逃れました。
そののち、近江国内に五百石を与えられました。享年77。
妻は北条氏康の娘 早川殿。
今川 範以(のりもち)【1570~1607】
二代 今川 直房(なおふさ)【1594~1661】
今川範以の長男、母は吉良義安の娘。
父が早世したため、祖父氏真に育てられました。1611年(18)に二代将軍 徳川秀忠に拝謁し、そののち祖父の跡を相続しました。
子の範明・範興は早世したため、甥 岡山弥清の子氏堯を養子に迎えました。
三代 今川 氏堯(うじなり)【1642~1673】
旗本 岡山弥清の長男、母は品川高久の娘。
1661年に20歳で相続しました。1666年(25)に改めて今川の苗字は嫡家に限る旨をお沙汰がありました。享年32。
妻は土井利重の娘。
また、氏堯と利重は同世代なので、利重の実の娘ではない可能性が考えられる。
系図では利重には妹が数名いるので、妹を養女にして嫁がした可能性が考えられる。
四代 今川 氏睦(うじみち)【1668~1699】
旗本 品川高寛の長男。
妻は旗本 北条氏平の娘。
五代 今川 範高(のりたか)【1694~1712】
高家 品川伊氏の長男、母は蒔田定行の娘。
範高は先代氏睦の従兄松平重治の孫で末期養子となり、1699年にわずか6歳で相続しました。享年19。
妻は高家 畠山義寧の娘。
六代 今川 範主(のりぬし)【1698~1728】
高家 品川伊氏の二男、母は蒔田定行の娘。
先代の弟で、1712年に15歳で相続しました。享年31。
七代 今川 範彦(のりひこ)【1716~1749】
今川範主の長男。
1728年に13歳で相続しました。享年34。
妻は旗本 秋月種輔の娘。
八代 今川 義泰(よしやす)【1728~1784】
今川範主の三男。
先代の弟で、1749年に22歳で相続しました。1762年(35)に奥高家となりました。享年57。
喜連川家についてはこちらをご覧ください。
九代 今川 義彰(よしあき)【1756~1818】
今川義泰の長男。
1784年に29歳で相続しました。のちに奥高家となりました。享年63。
妻は旗本 小笠原政方の娘。
十代 今川 義用(よしもち)【?~1839】
今川義彰の長男、母は小笠原政方の娘。刑部大輔、上総介。
1818年に相続しました。1819年に奥高家となりました。
妻は美濃高富藩主 本庄道昌の娘。
十一代 今川 義順【?~1841】
今川義用の子。通称太郎。
1840に相続しました。
十二代 今川 範叙【?~?】
今川義順の子。彦三郎、駿河守、刑部大輔。
参考文献:
徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社)
名門・名家大辞典(東京堂出版)
江戸大名家血族事典(新人物往来社)
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。