こんにちは、勘矢です。
今回は、丸岡城とその城主について調べたことをまとめました。
1. 丸岡城
越前朝倉氏が織田信長によって滅ぼされたあと、越前では一向一揆が発生しました。これを平定するため信長は大軍を派遣し、これを平定しました。戦後、越前は柴田勝家に与えられ、北ノ庄を本拠にしました。丸岡城は勝家の養子勝豊によって築城されました。
丸岡城の天守は、現存の天守の中でも古い建築様式で、外観は上層望楼を形成して通し柱がなく、一層は二階三階を支える支台となり、屋根は二十で内部は三階となっています。屋根が全部石瓦で葺かれているのが珍しいです。
1960年に重要文化財の指定を受けました。
天守は日本最古の建築物と言われていましたが、下記記事によると戦国時代の建築ではなく、江戸時代に建築された可能性が高いとのことです。
城のデータ
天守の高さ:12.6m
石垣の高さ:6.0m
鯱の高さ :1.66m
城山の高さ:17.0m
石瓦の重さ:約20~50kg
石瓦の枚数:約6000枚・重さ約120t
坂井市丸岡歴史民俗資料館では、本多氏、有馬氏にゆかりの古文書や武具などが展示されています。
2. 丸岡城絵図と現在の地図の比較
昔の城郭は五角形の広い堀をもった形状となっています。河川を利用して外堀としています。
現在の地図を見ても五角形の形状はなんとなく残っています。
丸岡城絵図
現在の地図
3. 丸岡城 歴代城主
城主名、在位期間
(1) 柴田 勝豊(しばた かつとよ)1576~1582
(2) 安井 左近家清(やすい さこんいえきよ)1582~1583
(3) 青山 修理亮(あおやま しゅりのすけ)1583~1587
丹羽長秀の家臣。のち豊臣家の家臣。
(4) 青山 忠元(あおやま ただもと)1587~1600
(5) 今村 盛次(いまむら もりつぐ)1600~1612
越前福井藩の家老。
(6) 本多 成重(ほんだ なりしげ)1612~1647
(7) 本多 重能(ほんだ しげよし)1647~1649
(8) 本多 重昭(ほんだ しげあき)1649~1676
(9) 本多 重益(ほんだ しげます)1676~1695
本多氏については以前書きましたので、こちらをご覧ください。
(10) 有馬 清純(ありま きよすみ)1695~1702
(11) 有馬 一準(ありま かずのり)1702~1733
(12) 有馬 孝純(ありま たかすみ)1733~1750
(13) 有馬 允純(ありま ますずみ)1750~1772
(14) 有馬 誉純(ありま なずみ) 1772~1830
(15) 有馬 徳純(ありま のりすみ)1830~1837
(16) 有馬 温純(ありま はるすみ)1837~1855
(17) 有馬 道純(ありま みちずみ)1855~1869
有馬氏については前回書きましたので、こちらをご覧ください。
参考文献
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。