探検!日本の歴史

趣味で調べた戦国から江戸時代の大名、城、藩、旗本などについて主に書いていきます。

旗本 安部一族

こんにちは、勘矢です。
今回は前回(武蔵岡部藩 安部家 - 探検!日本の歴史)の続きで、武蔵岡部藩安部家から分家した旗本家について調べたことをまとめました。
 
 

1. 旗本安部一族

 岡部藩二代藩主 信之は、弟 信秀(安部關次郎家)と信直(安部友四郎家)にそれぞれ千石を分与しました。三代藩主 信友は、弟 信厚(安部喜太郎家)に千石を分与しました。四代藩主信峯は、弟 信方(安部兵庫家)に二千石を分与しました。五代藩主信賢は、弟の信政(安部監物家)に新墾田千石を分与しました。
 初代藩主 信盛の三男 貞信(安部助四郎家)、信盛の弟 正成(安部岩之丞家)は幕府に取り立てられました。
 安部岩之丞家 正成の二男 正広(安部次郎兵衛家)、安部兵庫家 信方の二男 信尹(安部善太郎家)は岡部藩の孫分家となります。
 信盛の四男 信政(安部又十郎家)は、甲府藩臣を経て旗本になりました。
 

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安部家略系図
 
 

2. 旗本家当主一覧(寛政年間までの当主)

(1)旗本:安部助四郎家

初代 安部 貞信(さだのぶ)【1617~1653】
 初代岡部藩主 安部信盛の三男、母は保科正直の娘。
 1636年(20)に御書院番の番士となり、1639年(23)に廩米三百俵を賜りました。享年37。
 妻は旗本 横山興知の娘。
 
二代 安部 信経(のぶつね)【?~1697】
 安部貞信の長男、母は横山興知の娘。
 1653年に相続し、小普請となりました。1663年に御書院番に列しました。
 妻は甲府藩家臣 松田政名の娘。
 
三代 安部 信重(のぶしげ)【1673~1743】
 安部信厚の四男(安部喜太郎家)。
 1697年に25歳で相続しました。1708年(36)に御書院番となり、1720年に48歳で隠居しました。享年71。
 妻は旗本 神尾幸之の娘。
 
四代 安部 篤儔(あつとも)【1690~1735】
 旗本 松村時昌の二男、母は細井氏。
 1720年に31歳で相続しました。1724年(35)に御小姓組に列しました。享年46。
 妻は安部信重の娘。
 
五代 安部 信知(のぶとも)【1726~1764】
 安部篤儔の長男、母は安部信重の娘。
 1735年にわずか10歳で相続しました。1749年(24)に西の丸の御小姓組の番士となりました。享年39。
 妻は旗本 玉虫茂雅の娘(離婚)。
 
六代 安部 信晨(のぶとき)【1761~?】
 安部信知の二男。
 1764年にわずか4歳で相続しました。1785年(25)に御小姓組に列しました。
 妻は旗本 石原正國の娘(離婚)、後妻は旗本 大久保忠敷の娘。
 

(2)旗本:安部又十郎家

初代 安部 信政(のぶまさ)【?~1663】
 岡部藩主 安部信盛の四男。
 甲府藩主 徳川綱重に附属となり、1648年に月俸二十口を賜い、のち桜田の館(甲府江戸屋敷)において書院番の頭をつとめ、奏者役に転じました。
 
二代 安部 信世(のぶよ)
 岡部藩主 安部信之の三男。
 桜田の館につかえました。
 
三代 安部 信美(のぶみつ)
 信厚の三男(安部喜太郎家)。信世の甥。
 桜田の館につかえました。
 
四代 安部 一信(かずのぶ)【1695~1771】
 岡部藩主 安部信友の四男。
 桜田の館において徳川綱豊に奉仕し、1704年(10)に綱豊が将軍継嗣として江戸城西の丸に入ると御家人に列し、廩米六百四十俵を賜り小普請となりました。
 1710年(16)に御小姓となり、翌年に廩米をあらため、武蔵国内で采地六百四十石を賜りました。1716年(22)に寄合に列し、1735年(41)小十人の頭となり、1737年(43)に御目付に転じ、1741年(47)に御船手を兼ねました。1746年(52)から1751年(57)まで長崎奉行をつとめました。1767年に73歳で隠居しました。享年77。
 妻は老女倉橋の養女。
 
五代 安部 信門(のぶかど)【1727~1791】
 安部一信の二男、母は老女倉橋の養女。
 1749年(23)に御書院番に列し、1767年に41歳で相続しました。1776年(50)に十代将軍徳川家治の日光社参するとき、宿割の事をうけたまわりました。1778年(52)に組頭に進みました。享年65。
 妻は旗本 神尾守邦の娘。
 
六代 安部 恩信(おきのぶ)【1760~?】
 安部信門の長男、母は神尾守邦の娘。
 1791年に32歳で相続しました。
 妻は旗本 中根正直の娘。
 

(3)旗本:安部關次郎家

初代 安部 信秀(のぶひで)【1696~1695】
 岡部藩主 安部信盛の五男、母は保科正直の娘。
 1659年に御小姓組の番士に列し、1661年に廩米三百俵を賜りました。翌年、父の領地のうち摂津国内で千石の地を賜り、廩米を収められました。1667年に御目付として仙台に赴きました。1677年に番を辞職し小普請となりました。
 
二代 安部 信重(のぶしげ)【1687~1721】
 安部信秀の長男。
 1695年にわずか9歳で相続しました。1707年(21)に御小姓組に列しました。享年35。
 妻は安部信旨の娘(安部兵庫家)、後妻は旗本 大久保忠直の娘。
 
三代 安部 信係(のぶつぐ)【1712~1747】
 安部信重の長男。
 1721にわずか10歳で相続しました。1731年(20)御小姓組に列しました。1746年(35)より西の丸に勤士しました。享年36。
 妻は本田正方の娘。
 
四代 安部 信久(のぶひさ)【1721~1795】
 安部信重の二男。
 1747年に27歳で相続しました。翌年、西の丸の御書院番となり、1771年(51)に番を辞職しました。1775年に55歳で隠居しました。享年75。
 妻は旗本 一柳直正の娘(伊予西条藩 一柳家の分家)。
 
安部 信正(のぶまさ)
 旗本 山本茂親の二男。
 安部信久の婿養子となるが、父に先立ち没しました。
 妻は安部信久の養女(旗本 間部詮長の娘)。
 
五代 安部 信要(のぶよし)【1751~1787】
 安部信方の三男(安部喜太郎家)、母は逸見義武の娘。
 1775年に25歳で相続しました。翌年、御小姓組に列しました。享年37。
 妻は旗本 山中鑛俊の養女(旗本 内田正房の娘)。
 
六代 安部 昌信(まさのぶ)【1770~?】
 旗本 間部詮番の二男、母は安部信久の娘。
 1788年に19歳で相続しました。1796年(27)に御書院番となり、のちに徳川家慶の附属となりました。
 妻は安部信要の娘。
 
間部家についてはこちらをご覧ください。
 

(4)旗本:安部友四郎家

初代 安部 信直(のぶなお)【?~1692】
 岡部藩主 安部信盛の七男。
 1659年に御小姓組の番士となり、1661年に廩米三百俵を賜りました。翌年、父の領地のうち摂津国内で千石の地を賜り、廩米を収められました。1690年に隠居しました。
 妻は旗本 朝倉重宣の娘。
 
二代 安部 信典(のぶのり)【?~1705】
 某氏の子。
 1690年に相続しました。
 
三代 安部 信昌(のぶまさ)【?~1708】
 岡部藩主 安部信峯の五男。
 1705年に相続しました。1708年に没すると家は絶えました。
 

(5)旗本:安部喜太郎家

初代 安部 信厚(のぶあつ)【1647~1728】
 岡部藩主 安部信之の二男、母は長谷川正尚の娘。
 1667年(21)に御書院番に列し、1669年(23)に廩米三百俵を賜りました。1678年(32)に父の領地摂津国で新墾田千石をを分け与えられ、廩米は収められました。1684年(38)から約2年屋敷改をつとめました。1687年(41)組頭にすすみ、1691年(45)御廊下番頭に転じ、1694年(48)に職を辞職し、小普請となりました。1723年に77歳で隠居しました。享年82。
 妻は旗本 溝口宣知の娘(越後新発田藩 溝口家の分家)。
 
二代 安部 信行(のぶゆき)【1664~1730】
 安部信厚の長男、母は溝口宣知の娘。
 1683年(20)に御小姓組に列しました。1723年に60歳で相続しました。享年67。
 妻は旗本 岡部直好の娘。
 
三代 安部 信方(のぶみち)【1705~1773】
 安部信行の長男、母は岡部直好の娘。
 1730年に26歳で相続しました。1734年(30)に西の丸の御書院の番士となり、1759年(55)より道奉行をつとめ、1763年(59)に御使番に進みました。享年69。
 妻は旗本 逸見義武の娘。
 
四代 安部 信伊(のぶただ)【1739~?】
 安部信方の長男、母は逸見義武の娘。
 1773年に35歳で相続しました。翌年、御書院番の番士となり、1776年(38)に十代将軍徳川家治の日光社参に従いました。1791年(53)に番を辞職し、翌年に隠居しました。
 妻は旗本 小宮山昌則の養女(旗本 小宮山昌章の娘)。
 
五代 安部 信庸(のぶつね)【1760~?】
 安部信尹の長男、母は小宮山昌則の養女。
 1792年に33歳で相続しました。1795年(36)に御書院番に列し、翌年、徳川家慶の附属となりました。
 妻は旗本 夏目信政の娘。
 

(6)旗本:安部兵庫家

初代 安部 信方(のぶかた)【1665~1707】
 岡部藩主 安部信友の二男、母は内藤忠政の娘。
 1701年(37)に従弟の播磨赤穂藩浅野長矩の刃傷事件に連座して出仕を差し止められました。その後、父の遺領三河八名郡のうちにおいて二千石を分け与えられ、寄合に列しました。1704年(40)御使番となりました。翌年、元紀州藩徳川光貞の病気見舞いの御使をうけて和歌山に赴きました。享年43。
 妻は旗本 森川重高の娘。
 
二代 安部 信興(のぶおき)【1695~1746】
 安部信方の長男、母は森川重高の娘。
 1708年に14歳で相続し、寄合に列しました。このとき、弟信尹に五百石の地を分け与え、千五百石となりました。1745年(51)に御小姓組の番士となりました。享年52。
 妻は旗本 八木高補の娘。
 
三代 安部 信盈(のぶみつ)【1724~1787】
 安部信興の長男、母は八木高補の娘。
 1746に23歳で相続し、小普請となりました。1753年(30)に御書院番に列し、1765年(42)に御使番にうつり、1772年(49)に御先鉄砲の頭に転じ、その後盗賊追捕の役を翌年までつとめました。1782年に59歳で隠居しました。享年64。
 妻は旗本 杉浦正奉の娘。
 
安部 信栄(のぶなが)
 旗本 松下之綱の二男。
 信盈の養子となりましたが、父に先立ち没しました。
 
四代 安部 信旨(のぶむね)【1749~?】
 筑後三池藩主 立花長煕の五男、母は信濃須坂藩主 堀直英の娘。
 1782年に34歳で相続しました。1787年(39)に西の丸の御書院番となり、1790年(42)に本丸に勤士しました。1796年(48)に徳川家慶の附属となりました。1798年(50)に御使番にすすみました。
 妻は安部信盈の養女(岡部藩主 安部信允の娘、信盈の姪)。
 
安部 信几(のぶやす)
 安部信旨の長男。
 父に先立ち没しました。
 妻は旗本 諏訪頼暠の娘。
 
安部 信編(のぶつら)【1774~?】
 安部信旨の三男、母は安部信盈の養女。
 妻は筑後三池藩主 立花貫長の四男直尹の娘、後妻は旗本 浅野長寿の娘(赤穂藩浅野家の分家)。
 

(7)旗本:安部善太郎家

初代 安部 信尹(のぶただ)【1698~1724】
 安部信方の二男(安部兵庫家)、母は森川重高の娘。
 1708年(11)に父の遺領のうちにおいて五百石を分け与えられ小普請となり、1717年(20)に御書院番に列しました。享年27。
 
二代 安部 信伴(のぶとも)【1709~1779】
 安部信行の三男(安部喜太郎家)、母は岡部直好の娘。
 1724年に16歳で相続しました。1734年(26)に中奥の番士となり、1742年(34)に番を辞職しました。1749年(41)に御書院番に列し、1779年(71)に高齢につき番を辞職しました。享年71。
 妻は旗本 八木茂時の娘、後妻は旗本 佐々長俊の娘。
 
三代 安部 信興(のぶおき)【1750~1787】
 安部信伴の長男。
 1779年に30歳で相続しました。享年38。
 妻は旗本 小川忠清の娘。
 
四代 安部 信以(のぶもち)
 安部信興の長男、母は小川忠清の娘。
 1787年に相続しました。
 

(8)旗本:安部監物家

初代 安部 信政(のぶまさ)【1688~1738】
 岡部藩主 安部信峯の四男、母は秋月種信の娘。
 1706年(19)に父の遺領武蔵国内で新墾田千石を与えられ、寄合に列しました。享年51。
 妻は旗本 青木信峯の娘。
 
二代 安部 信由(のぶよし)【1719~1744】
 安部信政の二男、母は青木信峯の娘。
 1738年に20歳で相続し、寄合となりました。享年26
 
三代 安部 信理(のぶあや)【1727~1745】
 安部信政の三男、母は青木信峯の娘。
 1744年に18歳で兄の養子となり相続し、小普請となりました。享年19
 
四代 安部 信富(のぶとみ)【1730~?】
 安部一信の三男(安部又十郎家)。
 1745年に16歳で相続しました。1752年(23)御書院番の番士となり、1758年(29)美濃郡上城の城引渡しの役をつとめました。1762年(33)御使番にすすみ、翌年肥前唐津城の城引渡しの事をつとめました。
 1776年(47)に十代将軍徳川家治の日光社参に従いました。同年、御先鉄砲の頭となりました。
 1782年(53)より翌年まで盗賊追捕の役をつとめ、1791年(62)に仙洞御所附きにうつり、1798年(69)に御持筒の頭にうつりました。
 妻は旗本 山本邑貞の娘。
 
安部 信成(のぶなり)【1749~?】
 高家 堀川広益の四男、母は上臈年寄秀小路の養女。
 1790年(42)に御小姓組に列しました。
 妻は安部信富の養女(安部一信の娘)、後妻は旗本 田村顕詩の養女(旗本 多羅尾光豊の娘、顕詩の妹)。
 
田村家についてはこちらをご覧ください。
 

(9)旗本:安部岩之丞家

初代 安部 正成(まさなり)【1589~1669】
 安部信勝の二男、母は水野忠重の娘。
 1601年(13)に徳川家康につかえ、のちに武蔵国内で采地三百石を賜りました。1616年(28)より大番をつとめ、1625年(37)に下総国内で百石を賜り、1629年(41)に組頭にすすみ、1633年(45)に常陸国内で四百石を加増されて八百石を知行し、のち御使番に転じました。1645年(57)に相模国三浦三崎の船改となり、1648年(60)に同所近郷の御代官を兼ねました。1658年(70)に高齢によりつとめを辞職しました。享年81。
 
二代 安部 信成(のぶなり)【1628~1692】
 安部正成の長男。
 1640年(13)に御小姓となり、1642年(15)に廩米二百俵・月俸三十口を賜りました。1651年(24)に寄合に列し、1656年(29)に御小姓に復し、廩米を加えられ、月俸は収められました。1660年(33)に五百俵を加えられて千俵となりました。1664年(37)に小普請となりました。
 1669年に42歳で相続しました。廩米のうち八百俵を収められ、すべて千石の禄となりました。享年65。
 妻は弓気多昌吉の娘(寛政譜 安部家の系図)・弓気多昌勝の娘(寛政譜 弓気多家の系図)。
 
三代 安部 信旨(のぶむね)【1669~1724】
 安部信成の長男。
 1692年に24歳で相続しました。1695年(27)に御書院番に列し、1697年に廩米を改められ、常陸国内で二百石を賜り、千石を知行しました。その後、御使番に進み、1699年(31)に御目付に転じました。1707年(39)に宝永地震のあとに東海道及び大坂に至るまでの間の検視を仰せつかりました。翌年、御先鉄砲の頭にうつり、のち盗賊追捕のことをつとめました。享年56。
 妻は旗本 土屋利陽の養女(旗本 土屋利勝の娘)。
 
四代 安部 信之(のぶゆき)【1686~1755】
 安部信旨の長男、母は土屋利陽の養女。
 1709年(24)に御小姓組の番士となり、1724年に39歳で相続しました。1726年(41)に屋敷改めをつとめ、1731年(46)に組頭に進みました。1735年(50)に西の丸の御目付に転じ、1745年(60)に佐渡奉行となり、1752年(67)に御持筒の頭にうつりました。享年70。
 妻は旗本 坂部正勝の娘。
 
五代 安部 信満(のぶみつ)【1722~?】
 安部信之の長男。
 1755年(34)で相続しました。1757年(36)に御小姓組となり、1776年(55)に十代将軍徳川家治の日光社参に従いました。
 妻は紀州藩家臣 齋藤実衛の養女、齋藤実衛の娘。
 
安部 信録(のぶよし)【1747~1796】
 旗本 大久保忠郷の二男。
 1794年(48)に御書院番の番士に列しました。父に先立ち没しました。享年50。
 妻は安部信満の娘、後妻は永井白衆の娘(離婚)。
 
安部 信延(のぶひさ)
 旗本 朝比奈昌始の二男、母は水野元長の娘。
 妻は安部信満の養女(紀州藩家臣 齋藤実延の娘)。
  

(10)旗本:安部次郎兵衛家

初代 安部 正広(まさひろ)【1620~1704】
 安部正成の二男(安部岩之丞家)。
 1649年(30)に御書院番の番士となり、1652年(33)に廩米三百俵を賜りました。1700年(81)に高齢につき番を辞職し、小普請となりました。享年85。
 妻は旗本 河野通幸の娘。
 
二代 安部 信東(のぶとう)【1654~1734】
 川井喜左衛門の二男。
 1678年(25)に御小姓組に列し、1704年(51)に相続ました。1729年(76)に高齢につき番を辞職しました。享年81。
 妻は安部正広の娘。
 
三代 安部 信広(のぶひろ)【1677~1749】
 安部信東の長男、母は安部正広の娘。
 1693年(17)に御書院番に列し、1699年(23)に番を辞職しました。1734年(58)に相続し、1748年に72歳で隠居しました。享年73。
 
四代 安部 信一(のぶかず)【1719~1791】
 安部信之の二男(安部岩之丞家)。
 1748年に30歳で相続し、御小姓組の番士となりました。1777年(59)より屋敷改めをつとめ、1789年(71)に辞職しました。享年73。
 妻は旗本 岡山之英の娘。
 
安部 信正(のぶまさ)
 旗本 橋本忠政(忠正)の四男。
 安部信一の養子となるも故ありて実家に戻りました。また名を正志と改めました。
 妻は安部信一の娘(婚約)。
 
五代 安部 信忠(のぶただ)【1762~?】
 旗本 天野正景の四男。
 1790年(29)に御書院番に列し、1791年(30)に相続しました。
 妻は旗本 小笠原貞吉の娘。
 
 
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
 
参考文献:
 日本史諸家系図人名事典(講談社
 寛政重修諸家譜国立国会図書館デジタルコレクション
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。