探検!日本の歴史

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高家土岐氏とその一族

こんにちは、勘矢です。
今回は高家土岐氏とその一族について調べたことをまとめました。
 
 

1. 高家土岐氏とは

 美濃守護土岐頼芸の子頼次は、松永久秀豊臣秀吉と仕えたのちに徳川家康に仕えました。その子頼勝のときに加増されて高家に列しましたが、頼泰のときに罪があり上野伊勢崎藩主 酒井忠告に召し預けられました。この家から土岐藤兵衛家、土岐新左衛門家、土岐勘解由家の3家が分家しました。
 頼次の弟頼元ははじめ斎藤を称し、その子持益のときに土岐に復しました。その孫大膳頼元のときに表高家となりました。 

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高家・旗本土岐氏系図
 

2.  土岐氏当主一覧

(1)高家:土岐兵庫家

(寛政年間までの当主)
初代 土岐 頼次(よりつぐ)【1545~1614】
 土岐頼芸の二男、母は六角定頼の娘。
 1587年(43)に豊臣秀吉から河内国内で五百石を与えられました。その後、徳川家康から本領を安堵されました。享年70。
 妻は湯島武房の娘。
 
二代 土岐 頼勝(よりかつ)【1578~1666】
 土岐頼次の長男、母は湯島武房の娘。
 大坂の両陣に供奉し、その後美濃国内で五百石を加えられました。1625年(48)に高家に列しました。享年89。
 妻は旗本 山名豊国の娘。
 
三代 土岐 頼義(よりよし)【?~1685】
 土岐頼勝の長男、母は山名豊国の娘。
 1666年に相続し、表高家に列しました。1682年に隠居しました。
 妻は諏訪数馬の娘。
 
四代 土岐 頼晴(よりはる)【1633~1702】
 土岐頼義の長男、母は諏訪数馬の娘。
 1682(50)に相続し、翌年奥高家となりました。1688年(56)につとめを辞職しました。享年70。
 妻は旗本 依田信重の娘(離婚)、後妻は鈴木重泰の娘。
 
五代 土岐 頼泰(よりやす)【?~?】
 土岐頼晴の五男、母は鈴木重泰の娘。
 1702年に千石のうち七百石を相続し、三百石を弟頼行に分け与えました。1706年に罪があり上野伊勢崎藩主 酒井忠吉に召し預けられました。
 
 

(2)高家:土岐滽之助家

初代 土岐 頼元(よりもと)【?~1608】
 土岐頼芸の四男、母は六角定頼の娘。通称五郎左衛門、越前守。
 父頼芸が追放されたのち、斎藤義龍より扶助を受けました。義龍の子龍興が没落すると、和泉国におもむき、また甲斐の武田信玄に属したのち、豊臣秀吉に仕えました。河内国内で五百石の地を与えられ、関ヶ原の戦い後に徳川家康に仕えて、旧領を賜りました。
 
二代 土岐 持益(もちます)【?~1640】
 土岐頼元の長男。
 徳川家康に仕えて大坂の両陣に従い、徳川家光の上洛に供奉しました。1625年に美濃国内で五百石を加えられ、合わせて千石を知行しました。
 妻は伯父土岐頼次の娘。
 
三代 土岐 頼長(よりなが)【?~1657】
 土岐持益の長男、母は土岐頼次の娘。
 1640年に相続しました。
 
四代 土岐 頼元(よりもと)【1640~1722】
 土岐頼長の長男。通称大膳。
 1657年に相続し、表高家に列しました。また、三百石を弟頼房に分け与えて七百石となりました。1704年に隠居しました。享年83。
 
五代 土岐 頼常(よりつね)【1682~1764】
 土岐頼元の長男。
 1704年に23歳で相続しました。享年83。
 妻は旗本 杉浦安重の娘。
 
六代 土岐 頼恭(よりやす)【1715~1766】
 土岐頼常の長男、母は杉浦安重の娘。
 1764年に50歳で相続しました。享年52。
 妻は旗本 鈴木英政の娘。
 
七代 土岐 頼方(よりかた)【1745~1785】
 土岐頼恭の長男、母は鈴木英政の娘。
 1766年に22歳で相続しました。1776年(32)に高家となりました。1779年(35)と1783年(39)に御使をうけたまわって上洛しました。享年41。
 妻は旗本 井上方正の娘(兄は土岐新左衛門家に養子に入った頼起)、後妻は旗本 松平(形原)信友の娘。
 
八代 土岐 頼庸(よりつね)【1769~?】
 土岐頼方の二男、母は松平(形原)信友の娘。
 1785年に17歳で相続しました。
 妻は旗本 小田切直年の娘。
 
九代 土岐 頼之【?~?】
 1820年に相続しました。
 
 

(3)旗本:土岐藤兵衛家

(寛政年間までの当主)
初代 土岐 頼泰(よりやす)【?~1677】
 土岐頼次の二男、母は湯島武房の娘。
 1625年に駿河大納言忠長の附属となり、忠長が改易されると御勘気を蒙り処士となりました。その後赦免されて、1638年に御書院番の番士となり、采地三百石を賜りました。1648年に御目付にすすみ、1651年に廩米三百俵を加えら、1667年につとめを辞職しました。1676年に隠居し、養老の料として廩米三百俵を賜りました。
 妻は山岡景重の娘。
 
二代 土岐 頼克(よりかつ)【1645~1719】
 土岐頼泰の長男、母は山岡景重の娘。通称彦四郎。
 1663年(19)に御小姓組に列し、1676年に32歳で相続しました。その後、番を辞職して小普請となり、1697年(53)に廩米三百俵を采地に改められ、上総・下総国内で六百石を知行しました。1699年に55歳で隠居しました。享年75。
 妻は弓気多昌勝の娘(離婚)。
 弟は梶川与惣兵衛頼照。梶川氏については、こちらをご覧ください。
 
三代 土岐 頼堅(よりかた)【1675~1742】
 梶川頼照の二男、母は塙直貞の娘。
 1699年に25歳で相続しました。1701年(27)に御書院番となりました。享年68。
 妻は土岐頼克の娘。
 
四代 土岐 頼克(よりかつ)【1708~1748】
 土岐頼利の長男、母は朝岡直泰の娘。通称治大夫。
 1739年(32)に御小姓組に列しました。1742年に35歳で相続しました。享年41。
 妻は土岐頼堅の娘。
 
五代 土岐 頼郷(よりさと)【1732~1791】
 土岐頼堅の三男。
 1748年に17歳で相続しました。1766年(35)に御書院番となりました。享年60。
 妻は旗本 大久保忠頼の娘。
 
六代 土岐 頼直(よりなお)【1765~?】
 土岐頼郷の長男、母は大久保忠頼の娘。
 1791年に27歳で相続しました。1795年(30)に御書院番に列し、翌年、徳川家慶の附属となり、西ノ丸につとめました。
 妻は旗本 大津勝政の娘。
 

(4)旗本:土岐新左衛門家

(寛政年間までの当主)
初代 土岐 頼重(よりしげ)【1633~1675】
 土岐頼義の二男、母は諏訪数馬の娘。
 1649年(17)に御小姓組の番士となり、翌年徳川家綱の附属となり、西ノ丸の御書院番に移り、家綱が将軍となると本丸につとめました。1652年(20)に廩米三百俵を賜りました。享年43。
 妻は旗本 村上吉久の娘。
 
二代 土岐 頼久(よりひさ)【1665~1733】
 土岐頼重の長男、母は村上吉久の娘。
 1675年に11歳で相続し、小普請となりました。1683年(19)に御書院番に列し、1696年(32)に番を辞職しました。1718年(54)に御書院番に復し、1723年(59)に番を辞職しました。享年69。
 
三代 土岐 頼意(よりもと)【1699~1761】
 土岐頼久の長男。
 1733年に35歳で相続しました。1735年(37)に小姓組となり、1737年(39)に西ノ丸に仕え、1745年(47)に番を辞職しました。享年63。
 妻は旗本 進藤正静の養女。
 
四代 土岐 頼起(よりおき)【1741~?】
 旗本 井上方正の六男、母は井上玄徹の娘。
 1761年に21歳で相続しました。1766年(26)に御小姓組に列し、1771年(31)に番を辞職しました。1788年(48)に隠居しました。
 妻は旗本 長谷部信利の娘。
 
五代 土岐 頼房(よりふさ)【1763~?】
 土岐頼起の長男、母は長谷部信利の娘。
 1788年に26歳で相続しました。1789年(27)に御小姓組の番士となり、1796年(34)に徳川家慶の附属となり、西ノ丸につとめました。
 妻は旗本 今井兼程の娘。
 

(5)旗本:土岐勘解由家

(寛政年間までの当主)
初代 土岐 頼行(よりつら)【1683~1718】
 土岐頼晴の六男、母は鈴木重泰の娘。
 1702年(20)に父の遺領の内三百石を分け与えられて小普請となりました。1706年(24)に御書院番の番士となりました。享年36。
 
二代 土岐 頼邑(よりさと)【1716~1745】
 旗本 土岐頼久の二男。
 1718年に3歳で相続しました。1737年(22)西ノ丸の御小姓組に列しました。享年30。
 妻は旗本 高麗高演の娘。
 
三代 土岐 頼寛(よりひろ)【1733~1790】
 土岐頼邑の長男、母は高麗高演の娘。
 1745年に13歳で相続しました。1759年(27)に御小姓組に列しました。享年58。
 妻は旗本 金田正峯の娘、後妻は旗本 辻守里の娘。
 
四代 土岐 頼重(よりしげ)【1769~?】
 土岐頼起の二男、母は長谷部信利の娘。。
 1790年に22歳で相続しました。1797年(29)に御書院番の番士となりました。
 妻は旗本 高麗恒政の娘。
 

3. 高家土岐一族

土岐 頼成(よりなり)
 土岐頼勝の二男、母は山名豊国の娘。
 1636年に御書院番の番士となりました。
 
土岐 頼長(よりなが)
 土岐頼勝の三男、母は山名豊国の娘。
 1636年に御書院番の番士となりました。
 
土岐 頼昌(よりしげ)
 土岐頼勝の四男、母は山名豊国の娘
 1649年に御書院番の番士に列し、翌年西ノ丸のつとめとなり、のちに御小姓組に転じました。1652年に廩米三百俵を賜りました。翌年、罪があり松平藤松に召し預けられ、1663年にゆるされました。
 
土岐 頼茂(よりしげ)【?~1701】
 土岐頼晴の長男。1701年に父に先立ちました。子の頼盈は叔父頼泰の養子となりました。
 
土岐 頼利(よりとし)
 土岐彦四郎頼克の長男。病により家を継ぎませんでした。妻は御家人 朝岡直泰の娘。
 
土岐 頼房(よりふさ)【1645~1657】
 土岐頼長の二男。
 1657年(13)に父の遺領の内三百石を分け与えられました。のちに御書院番に列するも、失心するにより采地を納められました。
 
 
※旗本各家の家名は、徳川旗本八万騎人物系譜総覧を基に採用しました。これに記載がない家は、寛政譜に記載されている最後の当主の通称を採用しました。
 
参考文献:
 寛政重修諸家譜国立国会図書館デジタルコレクション
 名門・名家大辞典(東京堂出版
 日本名字家系事典(東京堂出版
 徳川旗本八万騎人物系譜総覧(新人物往来社
 日本史総覧 コンパクト版(新人物往来社
 最新版 角川新版 日本史辞典(角川学術出版)
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。